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私の語学スタイル

第1回
「最初は“ただ日本人であるだけ”の先生だった」

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最初は“ただ日本人であるだけ”の先生だった

 1985年8月、泉原先生は中国・ハルビンへ渡航した。「大学で中国語を専攻した経験を生かして、中国で日本語の先生になってみないか?」と声がかかったのだという。
 最初のころは、日本語教師として可もなく不可もなし。はっきり言って“ただ日本人であるというだけ”の先生だった。しかし赴任から2年後、ハルビン工程大学の田忠魁先生との出会いが、日本語教師としてのモチベーションを大きく変えることになる。
 「田先生はとにかくうるさい先生で、日本語について本当にたくさん質問してきたんです。例えば『‘それとなく’と‘なんとなく’はどう違うんですか?』とか、『‘それとなく’と‘さりげなく’はどう違うんですか?』とか。こちらとしては母語だから漠然とした違いはわかるんだけど、うまく説明できなくて。でも答えられずに『その程度か』と思われるのが悔しいので、必死で勉強して何とか答えると、さすがの田先生も『すごい!』って顔をして満足するわけです。それを何度も繰り返していくうちに、他の先生では答えられないような質問にも答えるというのが評判になって、『何でも答えられる先生』という評判がついたんです」
 相手の疑問に真摯に向き合い、真面目に考えるという姿勢──これは教師として非常に大切なことなのだろう。「向こうはわからないから聞いているのに、単に『日本語ではこう言うんです』の一言で済まされてしまったら、すごくショックでしょう。だから答えのあるなしは別にしても、学習者と一緒に、学習者の立場に立って考えるような姿勢が大事なんだと思っています」
 これが日本語教師歴23年、泉原先生のモットーなのである。

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「先生しててよかった!」と思う瞬間

 「今まで、日本以外では中国と韓国で教えてきたんだけど、どちらの国でも目の色を変えて勉強している学生たちばかりだったんです。だから教える方としても本当に面白かったし、教えがいがあった」と語る泉原先生。中国、韓国で学生たちと築いた人間関係は、今もずっと続いているのだという。
 「‘桃李満天下’(中国語読みで、タオリーマンティエンシァ)という言葉があって、桃李(=教え子)が天下に満ちている、というのが教師の役得かな。今も私が中国や韓国に行くと言えば、かつての教え子がごちそうしてくれたり、連絡をくれたりするし、そういう彼らの気持ちとか、彼らとの関わりがすごく嬉しいわけ。そういうときは特に、先生しててよかったな、と思う」
 「教えているときが一番幸せそうな顔してる」と、先生は周りからよく言われるそうだ。教師モードに入ったときは、声も顔つきも普段とはまるで変わるのだという。「もしかして、生まれたときから先生だったんじゃない?」なんて言われたこともあるくらいの、根っからの教師体質なのだ。

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