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私の語学スタイル

第 4 回
「対話すること、交流することが人間らしさ」

004

Style5
ヒッピーになってお経の意味を知る

 専門学校時代も後半になって、住職は国分寺の「ほら貝」という喫茶店で、ナナオサカキ氏を中心とするヒッピー、「部族」の人々に出会う。
 「ヒッピーっていうのは誤解されてるんだけど、ろくでもないことやってる連中、みたいに思われるじゃないですか。ところが欧米で差別意識をなくして、東洋文化を対等に見るようになっていったのは、ヒッピーからなんですね。ゲーリー・スナイダーっていう人は日本にきて 2 年間妙心寺派のお寺で座禅組んでいるからね。そうやって日本の仏教とか、インドの宗教に興味を持って、で最終的に解脱ということ、悟りを開くということを目的としだした連中がヒッピーの中にいるんですよ。そういう人たちの影響を受けたんですね」
 子どものころからお寺の日曜学校などに通っていた住職だが、お経が悟りを開く教えが書いてあるものだということはヒッピーと出会って初めて知ったという。この頃の阿部住職は聖書や、ヒンドゥー教関係の本、禅の本などいろいろな書物を読み、自分が生きている意味を探し出そうとしていた。「生きていること」自体が苦しかったと住職は語る。
 「だんだんイラストレーターになる夢が色あせてくるわけですよ。この時期、こんなこと考えたことありますね。もし自分がイラストレーターになれたとして、有名になりました、自分の好きな人とも一緒になって子どももできました、イラストレーターとして売れて、けっこうな家に住んで、で当時の最先端のしゃれた生活して、暮らして、結局、死ぬじゃない。じゃあ自分の人生ってなんなのかって思ったんです。いや当時はね、ベトナム戦争とか平和だとか、なんか人と人との憎しみあいのない世界とか、そういうことをいろいろ考えさせるような時代でもあって。ラブアンドピースですよね。それはどうやったら実現できるのか。いろいろ考えましたけど、その答えが悟りを開くことだったんですね」

※ナナオサカキ 自然保護、環境問題等に深く関わっている詩人。鹿児島県出身。

※部族 日本のヒッピーの自称の一つ。

※ゲーリー・スナイダー 1930 年 サンフランシスコ生まれ。50 年代中頃、アレン・ギンズバーグやジャック・ケルアックなどのビート世代に大きな影響を与えた人物で、文筆、ポエトリー・リーディング、禅仏教の実践と研究、環境保護活動、大学教授など多彩な活動を展開している。

Style6
絶対に死ぬ、それは絶対にまずいな

 どうやって悟りを開けるのかを考え抜いた結果、インドに行って行者(サドゥー)になることに決めた住職。「それもお前の業なら仕方がないな」と父親に言われ、わずかな資金援助を得て、カルカッタへ出発した。真夜中に到着したカルカッタでは、たまたま一緒の飛行機に乗っていたホメオパシーの医者、ベナルジさんに助けられることになる。
 「『お前この時間にね、歩いていったら絶対殺される』って言われたの。絶対に殺されるって、それは絶対まずいなと思って、でそのインド人が見るに見かねたんでしょうね、その日からしばらく家に泊めてくれて、面倒をみてくれたんですよ。でも、『行者(サドゥー)になりに来た』って言ったらびっくりしちゃってね。『何考えてんだ』って言われましたね」
 ベナルジさんの提案で、まずインドに慣れるために、ベナルジさんの部下の行商の旅についていき、南インドを 1 か月旅行した。しかし、
 「『こんなことずっとやってられない』と思って、一人で今度ネパール行くことにしたんですよ。ベナルジさんからは、『夜行列車に乗っても絶対寝るなよ』って言われました。寝ると必ずモノを盗られるというところだったんですね。で、乗ったの。で、寝たの。朝おきたら胴巻きに入れておいたパスポートと現金、全部盗られてた」
 パトナという駅で半日、途方にくれることになる。
 「結局は、もう最終的にはお金なくっても行者になるだけだから、お金なくなる予定なんだけど、まだ 1 か月そこそこでしょ。で南インド旅行の間に一度赤痢になったことがあって、もう昼も夜もわからなくてすごかった。その経験があったから、お金なくて、そこらへんの水飲んだら、これは絶対に死んじゃうなと思ったの。でふっとね、胸のポケットにね、ちょうどパトナからカルカッタに帰れる分くらいのお金があったの。たしか 15 ルピーくらいだったかな。でそれがあって、半日駅で考えたけど、結局帰ったんですよ。ベナルジさんのところに帰ったらこう言ってくれた。『これでお前はお父さん、お母さんのところに帰れるからよかったな』って。つまりもうお金もないし、帰りの飛行機のチケットを送ってもらって帰るしか、選択肢がなかったんですね」
 そのときの自分を振り返って、住職はこう語る。「悟りを開こうと思ったら、命なんて言ってたら、開けない。だけど、結局自分がいざ死ぬことが現実問題になったときに帰って来ちゃうんだね。このままいたら死んじゃうな、ということが明らかになったときに、まずい、まずいというかいやだというんで帰ってきたの」

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