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私の語学スタイル

第 4 回
「対話すること、交流することが人間らしさ」

004

Style7
僧侶になることにしたのは

 「日本に帰って来て、次どうするか考えてたんだよね、ヒッピーのとこ行くか、お金ためてまたインド行くか。そしたらおふくろが、『学校に行ったらどうか』っていうんですよ。学校っていうのは築地本願寺の中にある東京仏教学院という、夜間の 1 年の学校。そこ行ったらどうかって」
 住職はそのときに初めて 禅の本も、聖書もヒンドゥー教の本も読んで悟りについて考えていたけれども、自分が生まれ育ったお寺の浄土真宗の教えを、知らないことに気づいた。
 「一回浄土真宗ってなんだっていうことを勉強するのも悪くないなと思って、『いいよ』って言ったんです。そしたら親父がすぐさま築地本願寺に連絡して。でもそのとき 6 月だったかな。『もう今からはだめだ、来年の 4 月まで待ってくれ』と言われたらしいんですよ。『いや来年まで待ってたら、またどっか行っちゃう。本人行く気になってるから、頼むから入れてくれ』って親父が無理やり頼み込んで、で 6 月に入ったんですよ。でその 2 か月後坊さんになりました」
 「そこでね桐渓順忍(きりたにじゅんにん)という和上さんがいて、その人の授業を聞いたときにね、自力では、悟りを開くのは無理だと。そんなことしなくても、阿弥陀様が悟りを開かせてくださるんですよっていう教えに出会ってね。でああ俺は悟りが開けるんだって。その話を聞いて自分が救われたので、人にその教えを話して一生過ごすのもいいなって思って、坊さんになったわけですよ。それが今坊さんやってる原点。話すためなら、どこでも行くっていうね」

Style8
英語をしゃべれる坊さんが増えればいい

 より多くの人に仏の教えに出会ってほしいという願いのもと、最近では英語でのお説法やお寺にカフェを併設する、という仏教の新たな試みが各地で始まっている。阿部住職の持論は英語を使って文化交流をしていく、ということ。実際2度目のインドや日本で、ダライラマと英語で交流するということもしてきた。
 「宗教の場合でいっても、仏教をキリスト教文化圏の人たちに押し付けるんじゃなし、向こうもこっちに押し付けるんじゃなし、お互いがお互いを尊重して交流していくなかでね、また我々が考えもつかなかったような世界がそこに開けてくるでしょ。生きているっていうことは、人との出会いによってお互いが知らなかった世界に出会うことが楽しいんでね。それは一人ではできなくて、出会いによって生まれると思う。そこで一番重要なのは言葉ですから、そういう意味で英語を重要視する必要はあると思います。義務教育で英語をやるのであれば、ちゃんと使えるレベルにする必要がある、今のレベルでは足りないと思いますよ。まあ、やっぱり将来的なことを言えば英語がしゃべれる坊さんが増えてくると、だいぶ世界も変わってくると思う」
 「文化交流をしていく上で、やっぱり仏教というものを一番専門的に学んでいる僧侶が、英語がしゃべれて、英語文化圏の人とか英語を話す人たちに仏教の教えを伝えていくっていう役目を、自覚していくべきだと思うんです。それで英語を習っているというのもあるんですよ。あのね、人間の基本はこうやって対話でしょ。対話が成り立つところにけんかはないんですよ。というのはけんかっていうのは誤解とかそういうものからおきてくるんですよね。今実質的に国際公用語のようになっている英語がしゃべれるってことはね、他の文化を持った人間と交流が持てるっていうことで、これは平和の原点ともいえると思うんです」
 住職が英語で法話をするようになった経緯は、そのまま住職が僧侶となる経緯のお話とつながっていた。住職はインドや日本での「交流」を通して、一生をかけてやっていく職業にたどり着いたし、これからも英語で、日本語で、人々とどんどん交流していくつもりだという。自分の仕事を英語で話してみると、気づくことがたくさんある、といって学び続けている住職の前向きな姿は、外国語は自分にはあまり関係ない、と思う人にもヒントを与えるのではないだろうか。3 日続けて家にいるのは珍しいというほど、日本全国を飛び回っている住職。今日はあなたの街で法話中かもしれない。(Y)

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