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園山尚恵さんは2008年3月末にそれまで5年間勤めていた中学校を退職し、一人チェンマイへ象使い学校の設立に参加するため旅立った。今回は忙しい一時帰国中の時間をいただいて、お話を聞かせてもらった。
「大学を卒業して、ずっとなりたかった先生になりました。中学校の理科の先生で、5年間勤めました。先生になって、本当に毎日楽しかった。子どもたちはまだ若いっていうか、子どもだからもうエネルギーがわーっとくるんですよ、毎日成長していくんですよ、本当に。その成長が見られて、かわいいし。『これ、やめられないな』ってずっと思いながら仕事していました。教員ってうまくつなげて夏休みとか2週間ぐらい休めるときがあって、それで2年目からは休みのたびにタイにいくようになったんですね」
初めは観光で訪れたチェンマイで、動物園や象の病院に行き、タイのゾウたちに出会う。ランパーンという場所にあるゾウの病院では地雷を踏んだゾウや、鼻がないゾウ、そしてエレファント・キャンプではゾウとコミュニケーションを交わすゾウ使いたちに出会った。
「タイではゾウさんを病院に入れて、看病して生かそうとしているということに感動しました。日本だったら犬とか、毎日何匹も保健所で、殺されているじゃないですか。あんなに大きいゾウさんを飼うってやっぱりお金がかかることですよね。でもそういう、けがをしたゾウさんのための環境をきちんと作って、ゾウさんが暮らしていけるようにしているのがまず、すごいと思った。それから、ゾウ使いさんってどういう仕事をしてるのかなってすごく気になってしまって。で次の機会にエレファントキャンプでゾウ使いの体験をしたんですよ。そしたらもうはまってしまって。ゾウさんもかわいいし、だってゾウと会話してるんですよ。言葉は通じないはずなのに、分かりあってる、信頼しあってる、なんか自分たちと違う世界があるっていうことにもう、すごく惹かれました。それからは休みごとにチェンマイに行ってゾウ使いの修行をしました。ゾウ使いになれるものならなりたいって思っていました」
「チェンマイの奥のほうっていっぱいいろんなエレファントキャンプがあるんですよ。もうとにかく、全部見たくて、いろんなところに行って」
学校の立ち上げに参加することになるメータマン村には、当時、観光客用の施設はなかったものの、ゾウを所有しているという村長さんのところへ遊びに行くと、快く受け入れてくれたという。
「村長さんや村の人やゾウさんたちが大好きになって、もう、7回ぐらい行ったんです。そしたら7回目のときに、村長さんが『ここでゾウ使い学校を立ち上げようと思っているんだけど、外国人のお客さんも連れて来てほしいし、一緒に立ち上げない?』って声をかけられたんです」
初めは「かわいい生徒達を置いて、とてもじゃないけど来れない」と思ったという園山さん。
「日本で働いていた学校は、職場としても、こんないい学校はないって思ってましたし。だから、最初は両立して日本でパンフレットとかもつくって日本で宣伝していけばいいかなって思ったんです。でもやっぱり私、一つしかできない性格なんですよ。教員をしていると、ほんとはこれだめなんですけど、プライベートの日曜日とかでも、やっぱり登校拒否の生徒とか、ちょっと問題を抱えてる生徒のこととか考えちゃったりするんですよ。で結局こういうゾウ使い学校のことなんて考えられないし、両立は私は無理だって思ったんですよ」
大好きな仕事を辞めて、タイへ行くかどうか、どんなふうに考えて決断されたのだろうか。
「学校を一から立ち上げていくっていうことに教師として、すごく興味がありました。もちろんゾウさんが大好きなので、旅行だけじゃわからないことを知りたい、それから外国で働いてみたいという憧れもありました。もうどうしようどうしようってずっと考えてて。だってどっちがやりたいのか考えても、同じなんですよ。どっちもやりたいんですよ。でもそれだったら、新しいことに挑戦することもありかなって思いました。長い人生の中、1年や2年ぐらいちょっと遠回りして違うことやってみても、またこの経験を生かして教員に戻るっていうこともありなんじゃないかなって思ったんです」
「もっと日本人や、多くの外国の人に、ゾウさんとゾウ使いさんのことを知ってもらいたい。日本人のスタッフがいることで、日本から少しでも多くお客さんが来てくれて、お客さんとゾウさんとの体験を手伝うことができたらそんな経験、ないよなって思いました」
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