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私の語学スタイル

第 8 回
“自分”を表現する力

008

Style1
“本質”を見つけるために

 クライアントとの対話は、言葉や物事の“本質”と向き合う作業でもあると、先生は話す。実際に、先生の著作では“本質”、“エッセンス”をとらえた文章が、さまざまな分野から引用されている。小説、詩、哲学書、聖書、仏教書、画家や料理家、スポーツ選手の言葉など……本当に多様である。精神科のお医者さんが書いた本には見えないくらいだ。読書家で勉強熱心で、非常にアンテナの広い方なのだろうと思わせるが、その秘密は何なのか。
 「よく、読書家だとか博学だとか勘違いされるのですが、全然違いますよ。本は好きだけど、本の虫というわけじゃない。勉強熱心というのもちょっと違う。ただある時期、純粋に自分の個人的な興味から関心を持って、のめりこんだものばかりです。それも、マニアックに突きつめるところまではいかない。自分が納得のいくところ、気が済むところで、ふっと終わる。それの繰り返しです」
 ある時期、詩人になりたくて、谷川俊太郎氏や茨木のり子氏の詩を、夢中で読んだことがあった。またある時期は、イギリスの劇団によるシェイクスピア演劇にはまり、来日公演を欠かさず観に行った。能にはまって、東京で見られる能を片っ端から調べ、「これだ!」というものに出会えるまで、とにかく観続けたことも。
 「『能って何だ』とか『すばらしい能とは何だろう』とか、ふと考えて。ぞくぞくっとくるものに出会えるまで、ひたすら観に行きましたね。でも、なかなか出会えないものなんですよ。ありそうでないな、ありそうでないな、という感じ。でもある時、鳥肌の立つようなおもしろい能に出会う。それで、『ああやっぱりあった』と納得して、自分の中の能ブームが終わる」
 無理に勉強しようとして知識を身につけるのではなく、その時どきに自然と興味が惹かれるもの、心に響いてくるものだけを取り入れる。本を読むときもそうだという。
 「ピンとくるものしか読めないし、すっと入ってくるものじゃないとだめ。知識を得るために読むというわけじゃないんです。本を読みながら、自分が共感できる部分を見つけるというか。自分なりに考えを掘り下げて抽出した本質の部分を、本の中からも探してみるというのに近いかな。どの分野のものでも、もっとも深いところまで掘り下げると、共通の“地下水脈”に行き当たります。その“地下水脈”のところを探すんです」
 “地下水脈”とは、いわば“普遍性”のこと。探しているものが何か、自身でわかっているからこそ、見つけだすことができるのだろう。

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