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私の語学スタイル

第1回
「最初は“ただ日本人であるだけ”の先生だった」

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これまでも、これからも、生まれ変わっても“教師”

 2009年の秋からはまた中国へ赴任の話も出ているのだそう。還暦を迎えた今も、泉原先生は教師として実に生き生きと活躍している。「生まれ変わるなら幼稚園か保育園の先生がいいかな。学ぶ段階のうち“最初”というのはとても大事だから、できるだけ早い時期の教育にかかわりたいという思いがあって。日本語を教えるときも、‘あいうえお’から教えたい!とかね」
 ことばや文化、人間というものへの興味を常に抱きながら、教えるということを心から楽しみ、教師であり続ける。それが泉原先生の生き方だ。これからもきっと、先生の‘桃李’(=教え子)たちは天下に満ちあふれ、先生を慕い続けるに違いない。 (K)

 

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