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本を炊いて

本を炊いて

カテゴリ : 
くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2012-4-3 19:50
私は一年近くこのブログを更新していないが、言葉は絶え間なく更新している。
 
言葉というものは個人のものなのか、特定集団(社会)のものなか、それとも人間という動物が全員共有して、それで他の動物と区別されているものなのか議論が尽きないが、私は相変わらず自己中心的な個人なので、今日は個人としての言葉を考える。
 
私個人にとっては、この一年間でもっとも印象深い言葉は「放射線」でも「絆」でも「なでしこジャパン」でもなく、「自炊」だ。この印象的な「自炊」はもちろん、「cooking food for oneself; 《英》self-catering」(新和英大辞典の紙版、2003年)ではなく、「taking a book apart and scanning the pages so that one can read the book on an e-reader; scanning a book into an e-book format [digitizing a book] for one's own use.」(同辞典のオンライン版)という新しい意味なのだ。この長い説明訳で分るように、「書籍を裁断機でばらばらにし、1 ページずつスキャナーで読み込み、デジタルデータに変換すること」という意味を英語で表すには「自炊」のようにコンパクトで面白い言葉がまだない。
 
私が始めて「自炊」の新しい語義を知ったのは確か一昨年ぐらいで、研究社の編集者であるMさんとの雑談の時だったと記憶しているが、その衝撃を感じ始めたのは昨年3月下旬、震災や節電の影がまだ東京を暗く覆っていたころだ。ある日の夕方、山手線からたまたま見た「本→電子書籍」と書いている新しい看板が衝撃の始まりだった。その駅で降りる予定はなかったが、思わずカバンをラックから下ろして電車を出た。看板の店が入っている雑居ビルに行ってみたが、まだ営業を始めていなかった。ドアの張り紙によると、震災の影響で機材の配達が遅れ、4月中旬ごろに開店が延びていたのだ。
 
結局、その店に初めて行ったのは5月に入ってからであった。「1 ページずつスキャナーで読み込み、デジタルデータに変換すること」がどういうことかよく分からなかったので、事前に店に電話して、右開きの横文字の本にも対応するかを聞いてみた。大丈夫だと言われたので、その日、仕事が終わってから、捨ててもいいと思っていた本2、3冊を店に持ちこんで「自炊」してみた。結果に満足したので、秋ごろまで、週1、2回ぐらい、10〜15冊ずつをトートバッグに入れてその店に通うようになった。夏が進むに従って、本棚が少しずつ空くようになった。
 
最近のスキャナーでは「自炊」がいかにも簡単で速いというのが最初の衝撃だった。250ページの文庫本なら、店員に背表紙を裁断機で取ってもらってから、自分で数回に分けてばらばらになったページをスキャナーに通すだけで、5分も経たないうちに、その本が丸ごと収録された50メガバイトぐらいのPDFファイルが出来上がるのだ。残った紙はそのまま資源ごみに出すが、電子ファイルはパソコンでもタブレットでも読めるので、本が無くなった感覚はない。逆に、そのファイルを複数のところでパックアップできるので、紙よりも大切に保存している。
 
次の衝撃が襲ってきたのは、実際に自炊した本をタブレットで読み始めたときだった。紙よりも読みやすかったのだ。ページが平らで、「のど」(gutter)と呼ばれる綴じ目による曲線がなく、目がなめらかに行から行へ移る。さらに、文字を拡大できるので、特に文庫本など小型本は紙より文字がはっきり読める。私は子供のときから本をたくさん読んできたが、この数年間、老眼の影響や仕事の多忙ゆえに本を読む時間が確かに減っていた。しかし、自炊した本をタブレットに入れるようになってから、さまざまな本をまた愛読するようになった。(今没頭しているのは Ian Frazier の Travels in Siberia だ。出版当時の2010年に買っていたが、自炊するまでは読まなかった。)私は自宅と職場を合わせて数千冊の本を持っているが、辞書など、「読む」ではなく「参照する」本以外は一刻も早く全冊自炊したいと思う。
 
最後の衝撃は嬉しいことではない。PDFファイルは汎用のフォーマットであり、著作権上は禁じられていても、技術的にコピーは容易である。タブレットはまだ高いのだが、これから安くなるにつれて若者の間でも広く普及すれば、紙の本を買わないで、他の人がスキャンした本をただで読むケースが多くなるかもしれない。そのファイルの入手先は友人もあるだろうが、交換ソフトや海外の無法ダウンロードサイトもありうる。本の読者が本を買わないようになったら、著者や出版社の収入が減って、レコード業界が経験したような淘汰を出版業も避けられなくなるだろう。
 
現在、山手線から見える店にはもう通っていない。最初は職場で、その後は自宅で自炊用のスキャナーを導入したからだ。職場のコピー機室には業務用の電動裁断機があるから、それを使っている。厚い本でも一発で背表紙がとれる。自宅には手動の機械しかないので、本をスキャンする前にカッターナイフで厚さ一センチぐらいの束に分けなければならない。大切にしてきた本にナイフを入れるのは残酷な行為と感じないわけではないが、毎週末に数十冊を断頭してスキャンしているのだ。数えていないが、たぶん500冊以上をすでに電子化している。1万円で買える、手のひらに入るようなハードディスクに1万冊も収納できると思ったら、私の今までの人生で紙の本はどんなウェートを持ってきたか、そのウェートがどんなに軽くなっているか、新しい意味での「自炊」を痛感しているこのごろである。

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