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ハムレットの解釈 (その2)

ハムレットの解釈 (その2)

カテゴリ : 
くもの上 (読者からの投稿)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-12-4 21:30
先日の読者投稿に対して、別な読者から次のような便りをいただいた。どうもありがとう! 他の方からのコメントも歓迎する。
『ハムレット』の独白に関する投稿を面白く読みました。

この独白についてはこれまでもさまざまな議論があり(たとえば大修館書店のシェイクスピア双書『ハムレット』ではこの部分に長大な注がついていて、これまでの主な論点が紹介されています)論争が尽きることはないのではないかと思いますが、個人的にはやはり to be を to suffer、not to be を to take arms と対応させる読みが自然ではないかと感じています。not to be を「この世から消えてしまう」(=自殺)と考えるのではなく、死んでもかまわないと覚悟して行動に出ることと解釈することにそれほど無理があるとは思えません。ハムレット自身にもともと「消えてしまいたい」という自殺願望があるようで(たとえば第1独白では宗教的な禁忌さえなければ…と漏らしています)、この独白の後半でも論点がどんどんずれていく(死ぬとは眠ること、眠れば夢を見る、云々)ので話がややこしくなっているのだと思いますが、少なくとも独白の冒頭部分では「自殺するかしないか」の話ではないように思えます。

これまでの日本語訳でも「このままでいいのか、いけないのか」「やる、やらぬ」など、生死よりも行動するかしないかという問題に焦点を当てたものも多く見られます。もっとも、行動するかしないかが生死に関わる問題であることも確かなので、この両方を盛り込まなければならないというところに翻訳者のジレンマがあるのではないかと勝手に推測しています。

また、シェイクスピアの作品をいろいろと読んでいると、自殺(あるいは死を覚悟で行動すること、いわば間接的な自殺?)に対するイメージ自体が現代とシェイクスピアの時代では違うのではないかという気もしてきます。現代人は自殺を弱さや病に由来する消極的でネガティブな行動ととらえることが多く、またキリスト教でも自殺は大罪とされていますが(だからこそハムレットは第1独白で悩んでいるのだと思いますが)、時代や国によっては自殺を必ずしも「悪」や「弱さ」としない価値観もあります。たとえば日本の武士道もそうですし、ルネサンスにも影響を与えた古代ギリシャ・ローマの哲学(特にストア派など)においても、自分の信念を貫くため積極的に命を捨てることは必ずしも間違った(あるいは「弱い」)選択肢ではなかったようです。シェイクスピアの時代にも様々な価値観があったからこそ、ハムレットはあんなに悩んでいるのではないかと個人的には思えます。

文法に関するコメントでなく、的外れでしたら申し訳ありません。

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