Web英語青年

Web英語青年ブログ

  • 最新配信
  • RSS

ネイティブ・バッシング

ネイティブ・バッシング

カテゴリ : 
くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2010-2-1 21:00
言語教育において、ネイティブ・スピーカーの立場は微妙だ。「ネイティブだから自分の母語を完全にわかっているのではないか」という誤解がある反面、「ネイティブに過ぎないので言語を教える技能をたぶん持たないのではないか」というパーセプションもある。日本の英語教育界だと、この意見の対立は、「ネイティブ講師陣」で客寄せしようとしている英会話学校や、外国人講師の採用によって様々な問題に直面している高校や大学でも見られる。

この対立は新しいことではない。19世紀初頭のイギリスにもあった。
Teaching French is become the profession of Foreigners of all sorts, who know not how to shift for a living, and often have no qualification at all. The generality of the French know not their mother-tongue: but the few who are masters of it are not, on that single account, capable of teaching it.(フランス語を教えるのは、他の仕事ができない、多くの場合はまったく無能の外国人の職業になってしまった。フランス人でも、大半は自分の母語すらわかっていないし、母語をマスターしている小数でも、その理由だけでフランス語を教えることができるわけではない。)
これは、1812年初版の Lewis Chambaud 著の A Grammar of the French Tongue; with a Preface Containing an Essay on the Proper Method of Teaching and Learning that Language という本からの引用である。

私の場合、まず学習者の立場から言うと、1970年代、北米の高校と大学でロシア語を勉強していたときには、アメリカ、ユーゴスラビア、チェコスロバキア、エストニアなど出身の教師がほとんどで、ロシア語を母語とする人は、トロント大学の夏期集中講座で、ソ連から亡命してきたばかりのユダヤ人一人だけだった。一方、中国語の先生たちは、全員、中国か台湾出身のネイティブだった。今振り返ると、その教師たちの出身の違いが私の学習に影響を与えたのは、発音だけだった。ロシア語を勉強し始めたときにネイティブの発音を聞くチャンスがなかったので、悪習慣が定着して英語訛りが抜けなかったのに対して、中国語の場合はネイティブの発音を最初から真似する訓練ができたので、中国語を全くできなくなった現在でも、発音だけは綺麗だと中国人の知り合いに言われる。読解力、文法力などの面では、先生たちの「ネイティブ度」に特に違いを感じていなかったのだ。(日本語については、来日してから学び始めたので、すべての教師が日本人ではあったが、日常生活でも日本語の環境に浸かっていたため、先生たちの母語の良し悪しを判断できない。)

教師としては、自分の母語、すなわち英語しか教えたことがない。日本語の教科書を書いたことがあるが、教室では日本語を教えるチャンスはまだない。そのため、自分もたぶん、19世紀初頭のイギリスでも現在の日本でも批判されることがある、ダメなネイティブ講師を脱却できていないのだろう。

▲ページトップに戻る