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言葉の忘却

言葉の忘却

カテゴリ : 
くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2010-8-17 21:00

6月に、香川県立観音寺第一高等学校で講義をした。簡単な自己紹介の後、次のような質問を生徒たちに出した。

 

日本語で tazuneta (訪ねた)の u と tasuketa (助けた)の u は同じ音ですか。

 

以前に、同様の質問を日本人にしたことがなかったので、どういう答えが返ってくるか見当もつかなかった。「はい、同じ音です」という返事を期待していたが、「もちろん違う音だよ」と言われるかも知れない。「違う音」が答えだったら、その後の講義がパーになるので、少し怯えていた。

 

私が「同じ音」という答えを期待していたことは一目瞭然だったようで、一部の生徒は「違う音だと思う」と答えたが、二つに u  がどう違うかうまく説明できなかった。多くはやはり「同じ音だよ」と答えてくれたので、その後の講義を無事に続けられた。

 

音波ではっきり見える、有声母音と無声母音の違い

なぜこの質問をしたかと言うと、27年前、私が初めて日本語を勉強を始めたころに tazuneta の u と tasuketa の u はまったく違うように聞こえたからだ。あるいは、私の耳には tasuketa に u すらなくて、 tasketa のように聞こえていたといえる。日本人は z と n という有声の子音の間に u を発音するときに声帯を震わせて有声の母音にするが、 s と k という無声の子音の間では u を無声にする傾向が強い。英語には無声の母音がほとんどないので、私の英語耳には tasuketa の無声 u が聞こえなかったのだ。u が有声になるか無声になるかは、その前後の音から予想できる、そして有声無声の違いによって言葉の意味が変わらないので、日本を母語とする人はその違いを意識しないはずだと思っていたのだが、観音寺第一高等学校に行くまで、実際に日本人に確認したことがなかった。

 

講義に来てくれた生徒たちの多くは15、16歳ぐらいだったろう。私がその二つの u  の違いを説明したら、だいたい信じてくれたと思うが、まだ半信半疑の人もいたようだ。私もそのぐらいの年齢で、「同じに聞こえるが実際に違う音」を母語の英語で知ってびっくりしたことがある。これは英語圏では言語学入門コースでよく取り上げられる例だが、 top  の t  と stop の t が違うのだ。英語を母語とする人が top を発音するときに、 t  の後に空気をプーッと吹き出すのに対して、 stop の t  の後にそのプーッはない。 口の前に手を当てるだけでわかるにもかかわらず、私を含み多くの英語圏の人々は指摘されるまでは気が付かない。tazuneta と tasuketa の u と同じように、これも前後の音から予測できる、有意ではない違いなので、英語の話者はふつう意識しないのである。

 

我々が外国語を学ぶときに、母語にはない音、単語、文法などを覚えることに必死になる。しかし、言語の習得には忘却も必要だ。私は日本語を学び始めたときに tazuneta と tasuketa の u の違いを強く意識していたが、日本語が上達するにつれてその違いをだんだん忘れた。その違いを忘れたからこそ日本語が少し上達した、とも言える。以前、ある日本人に「外国人が party という言葉を言うときに『パーティー』と聞こえる場合もあれば『パーティ』と聞こえる場合もありますが、どちらが正しいですか」と聞かれたことがある。英語には長母音(「ティー」の ii)と短母音(「ティ」の i)の間には有意的な違いがないから、その質問に戸惑った。英語が上手な日本人なら party の最後の母音が長くなったり短くなったりすることを意識しなくなるのだろう。英語を使う時に日本語にある違いを忘れる必要があるのだ。

 

言葉の面白さは様々なところにある。単語の多様な意味にもあるし、文法の複雑な構造にもある。そのなかで、毎日使っている母語に気が付かない音があり、そして雑音としてしか聞こえないはずの外国語にはすぐ気が付く音があることが特に面白いのではないだろうか。

 

四国での講義は「言葉ってどこが面白いの?」がテーマだった。また今度、その講義で取り上げた言葉の面白さを一つ二つここで紹介したい。

 


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