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久しぶりの帰省

カテゴリ : 
くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2010-8-3 20:30

この間、カリフォルニアに行って来た。7月26日は父の90歳の誕生日だったので、4年ぶりに故郷パサデナに帰ったのだ。久しぶりに英語で生活することになるので、米語の変化をここで報告するつもりだったが、新しい単語や言い回しには特に気がつかなかったので、報告できる新情報はない。

言葉に直接関係することではないが、米国が移民の国であるという事実に改めて感銘を受けた。ロス国際空港からタクシーに乗ったら、運転手さんは40代の韓国出身の男性だった。若いときに、母国で徴兵されずに米陸軍のほうに入って、冷戦中の西ドイツで数年間、兵隊として勤務したそうだ。その後、米国の国籍を取得して、現在はロスのダウンタウンで家族と一緒に住んでいる。

私が日本に長年住んでいると言ったら、会話がさらに弾み、金曜日の夕方に渋滞していたフリーウェーで、約1時間、いろいろ話した。その運転手さんは日本好きで、2回も家族を連れて観光で来日したことがあるという。「日本人はこころが冷たい」など、時々他のアジア人からも聞くような変なステレオタイプをまだ抱いていたが、「生まれ変わったら日本人になりたい」とも言った。

父の誕生日パーティーでは Tetsuo George Hayakawa という父の友人の隣に座った。Hayakawa さんは米国生まれだが、1942年にパサデナ市立大学で勉強していたときに、日系人だという理由で、アリゾナにあった強制収容所に入れられた。彼も1944年に米軍に入って、戦争終了後、占領軍要員として日本に来たという。その時に、まだ日本軍服を着ていた従兄弟に会ったときの複雑な気持ちなど、いろいろ興味深いことを話してくれた。Hayakawaさんは日本語も話せるが、「明治生まれの母から日本語を覚えたので、古めかしい女性言葉でしか話せない」との理由で、パーティーでは『お父さんの誕生日お祝いを申し上げます』以外は英語のみで話した。

最後の一泊は、ロスから船で約1時間で行けるカタリナ島で過ごした。子供のときによく行ったところなので思い出の多い場所だ。パサデナやロスもそうだが、この観光地でもメキシコなど中南米出身の人が非常に多くなってきた。英語がわからない人も少なくない。私はこれからもずっと日本に住むつもりだが、もし米国へ帰ることになったらすぐスペイン語の勉強を始めたい。

米国滞在中、、Hayakawa さんによるお祝いの言葉以外は、日本語をまったく聞かなかった。不思議な5日間だった。

私は今晩、四国に行く。香川県立観音寺第一高等学校に招かれて、明日、「言葉って、どこが面白いの?」というテーマで講義する。私から一方的に話すのは面白くないので、高校生たちとディスカッションしようと思っている。議題は、次のように予定している。

  1. 日本語で tazuneta (訪ねた)の u と tasuketa (助けた)の u は同じ音ですか。
  2. 日本語にはどのぐらいの数の単語があると思いますか。あなたはその中でどのぐらいの単語を知っていると思いますか。
  3. 次の言葉は、同じ意味ですか。
  1. ひとつ one
  2. 寒い cold
  3. 生活 life
  1. コンピュータは翻訳ができると思いますか。
  2. 次の日本語についてはどう思いますか。
  1. 「動物園(どうぶつえん)に行(い)ったが、パンダを見(み)れなかった。」
  2. 「動物園(どぶつえん)に行(い)たが、パンダが見(み)られなかた。」
  3. 「私(わたし)(い)った に その 動物園(どうぶつえん)、が 私(わたし)(み)られなかった その パンダたち。」
  1. 世界中の人々は、どうして同じ言語を話さないのですか。
  2. 外国語はなぜ難しいのですか。

 

OEDに勝つ

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くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2010-5-9 18:10

この間にも書いたが、Oxford English Dictionary によると kamikaze という言葉の英語での初使用例は1945年だそうだ。OED(オンライン版)の例文は次のとおり。

 

1945 Newsweek  27 Aug. 25 As a British task force was hoisting victory pennants a Kamikaze darted out of the clouds toward the ship.


 

しかし、1944年12月1日の『英語青年』には、次の Nippon Times 記事が引用されている。

 

KAMIKAZE UNITS HIT 5 ENEMY WARSHIPS
IN LEYTE GULF AREA

 

IMPERIAL HEADQUARTERS' COMMUNIQUE, 4 p.m., November 3:—"1. The Special Kamikaze Air Attack Units on November 1 attacked the enemy convoy escort forces that are now penetrating the Gulf of Leyte and sank one cruiser and damaged one battleship, one battleship or cruiser, one cruiser, and one destroyer."


 

先日、この用例をOEDの編集部に送っておいた。

言葉の伝染病

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くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2010-4-27 21:10

言葉を病気として考えたら、言語学習がどのように変わるのだろう。

娘たちが3、4歳ぐらいのときに、カリフォルニアに住んでいる、私の姉のところに数日間泊まったことがある。同年齢の従兄弟エリックとよく遊んでいた。娘たちは日本語で、エリックは英語で話していたが、仲良く家の中を走り回ったりかくれんぼしたりしていた。2、3日経ったら、それまで日本語を聞いたことがなかったエリックは、従姉妹が持っているおもちゃを欲しくなったら “Kashite!” と言うようになった。エリックは「貸して」とは日本語だと気が付かなかったようだが、幼稚園児の間で風邪がすぐうつるのと同じように、彼はその言葉に感染したのだ。

横浜・野毛町には、「三陽」というラーメン屋がある。「毛沢東定食」(餃子定食)や「バクダン」(揚げニンニク)などの珍名メニューで地元で少し有名な所でもある。店主は日本人だが、従業員の多くは中国か台湾の出身だ。私は8、9年ぐらい前から月数回のペースで食べに行っているのだが、従業員同士の会話で「言葉の感染症」に気付いたのは最近のことだ。同じものの注文が二つ入ったら「二つ」や「二個」ではなく「ニガ」と言うときがある。本人たちには確認していないが、「ニガ」とは中国語の「二个」(ni ge)に違いない。三陽の日本人従業員同士でも「ニガ」と言っているのだ。同じ職場で働く人たちが同じ「病気」になってしまったようだ。(もちろん、日本国内の店なので、中国人の従業員たちはもっと重く日本語に感染している。)

言語の習得を「教える」や「学ぶ」などのような健全な動詞で描写することが多いが、言葉を病気と同じように人間の意思に関係なく「うつる」ものとして見たら、言語教育はどうなるのだろうか。

討議のうろ覚え

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くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2010-3-11 21:20
前回、討議に関する討議の予告編を書いたので、今回はその結果報告をすべきだろう。しかし、私自身も討議にのめりこんでいたためか、今となってはその詳細をよく思い出せない。特に、私がこのブログで提案した討議の「文法ルール」が適用されていたかどうかわからない。討議は録音されていたので、後日、報告書などで文字化されたときに、その「文法」の分析に取り組もうと思う。ここではとりあえず、まだはっきり覚えている討議の設定と終わり方だけを報告する。

大学のホールで、80人ぐらいの傍聴者に囲まれて8人の討議者が輪を作って座っていた。その一人が司会を務めたが、話の内容はそれぞれの討議者に任せられていた。普通のパネル・ディスカッションとの違いは、我々討議者は互いの顔も聴衆の顔も常に見えていたため、話している間も他の討議者や聴衆を同じように意識していたことだ。そのためか、普通のパネル・ディスカッションより討議らしい討議になったと思う。

終わり方で面白かったのは、時間が大幅にオーバーしたことだ。8人の討議者の話はだいたい時間内に終わったが、質疑の時間が始まると、討論に参加したい熱心な人が多く現れた。「ぜひ、私に話させてください!」と大声で叫んだ大学生もいた。その人たちの参入で討議がますます面白くなったので、結局、予定より1時間ぐらい延びて終わった。中座した人も数人いたが、ほとんどの人たちは最後まで残ってくれた。

公開の討論が終わったら、討議者たちは場所を変えて、食事を摂りながらまた3時間ぐらい議論を続けた。これも初めのうちはどんどん面白くなる一方だったが、後半のほうになると、疲れとアルコールの影響で討議の質がついに落ちるようになった。それでも、たいへん「良い討議」だったと私は感じていた。

私がこれから研究しようと考えている討議の文法学では、討議の終わり方が一つの重要な課題になりそうだ。というのは、だらだら続く無駄な討議はもちろん良くないが、有益な討議すら長く続いてしまうと、その内容がどんなに良くても「ずっと座っていてお尻が痛くなった」といったような記憶しか残らないこともある。「良い討議は予定より長くなる場合もあるが、最良の討議は参加者や傍聴者が肉体的な疲労を感じて注意力が散漫になる前に終了する」をもう一つの討議の文法ルールにしよう。

討議の重要性はくも本でも論じられている。Robert Watersの Culture by Conversation(1907年)のイントロに次のようなことが書かれている。
It is a strange thing that although there have been written, within the last twenty-five years, more books on education, mental, moral and physical, than perhaps in all the years before, scarcely anything has been written on Conversation as an educational factor. And yet, as the writer proposes to show, no agency is more powerful in the development of the mind, in the gaining of culture, in the formation of character, in the creation of ideas, in the inspiration of literary workers, and in the achieving of professional and social success, than this little-prized intellectual exercise.(妙なことに、この25年の間だけで、以前よりも多くの本が、知的、道徳的、肉体的な教育について執筆されているが、教育の要素としての会話についてはほとんど何も書かれていない。しかし、著者はこれから示そうとしているのだが、知力の発達、教養の習得、人格の形成、アイディアの創出、文筆家の着想、そして仕事や社会的な成功には、会話という軽視されがちな知的活動よりも有効な手段はない。)



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