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渋谷にも文化あり

カテゴリ : 
くもの脚(著者が散歩などで発見したこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2010-3-17 21:00
先日、東京・渋谷のヨシモト∞ホールで開催された「渋谷文化茶会 其ノ壱」に行ってみた。このイベントは、渋谷で活躍している5人による講演とパネルディスカッションから構成され、約100人の観客を集めていた。ざっと見渡したところ、その中には渋谷の文化を象徴するコギャルやセンターガイなどがまったくいなくて、ほとんどは渋谷で商売しているビジネスマンやそれをサポートするクリエイターたちのようだった。

堅い学問の枠内のみで「文化」について考えることが多くなった私にとって、渋谷という活気あふれる街の文化について考察するチャンスが与えられたのは新鮮だった。パネリストの一人、松永芳幸さんが 1990 年代にコスプレ・ダンス・パーティというものをプロデュースして、その後、秋葉原初のメイドカフェを開店した人だと聞くと、私が普段接触することのない、現在もっとも生き生きとした日本文化を代表するリーダーを生で見ているのだと少し感動した。渋谷には 24 時間営業の美容室があって、朝 4 時でもネイルやヘアメークができるということも、地元デパートの月刊誌を編集する高野公三子さんの話を聞くまでは、毎日渋谷を通る私も知らなかった。

言葉関係では、発表者たちの口からカタカナ語が多く発せられた、という印象が強かった。メモらなかったのでここでは上記の「クリエイター」や「プロデュース」など以外はリストアップできないが、観衆に一般の日本人がいれば話の内容が半分しか通じなかった部分もあったと思う。「エーアール」という言葉は何回も使われていたが、私を含む多くの人が分からない顔をしていたので、それは augmented reality(AR、拡張現実)の略であると高野さんが説明してくれた。

私はその時点で、洒落た渋谷の真ん中にいながら渋谷らしくない辞書について考えるようになってしまった。「AR」という技術は将来、辞書にも応用できないか、と想像してみた。例えば、街を散歩するときに名前の知らない物を見かけたら…

…電子辞書のカメラをそれに向けると物の名前を表示する…

…ことができたら面白いのではないか。

辞書と言えば、私は4月24日に、三省堂書店神保町本店で「辞書オタクから辞書学者へ、そして再び辞書オタクへ」というタイトルで話すことになった。私のエッセーが入っている本を買っていただかなければならないが、ご興味のある方はぜひご来場ください。

路上にて

カテゴリ : 
くもの脚(著者が散歩などで発見したこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-4-23 9:30
私は今年3月、『英語青年』最後の紙版で次のことを書いた。昨年12月、東京のある駅の前で見かけた中年女性についての話だ。
彼女は、慌ただしい人混みの中、歩道橋下の柱の前に静かに立っていて、汚れた広告板を手に持って『私の志集』と題された詩集を1冊300円で売っていた。彼女を見てびっくりしたのは、東京でも路上で詩集を売る人が珍しいからではない。四半世紀前に、私がその駅を使って日本語学校に通っていた時に、同じ女性が同じ広告板を持って同じ落ち着いた顔つきで詩集を売っていたからである。そのとき、彼女の詩集を何回も買おうと思ったが、勇気はなかった。しかし、歳を取るメリットの一つは、知らない人に話しかけようとすると怖じ気づく気持ちが減ることである。今回は躊躇なく彼女の『志集』を買った。謄写版のような簡易印刷で刷られ、手作業によりホッチキスで止めたようなその小冊子は、もう第40号に達している。その晩は帰りの電車で、また次の日以降は大学の研究室で何回も詩集を読み返して、詩人のことを思い返した。この25年間、その駅の周辺は再開発と再々開発ですっかり様子が変わったが、彼女がそこで自分の言葉を都会人に提供しつづけていることは感慨無量である。
昨夜、久しぶりにその駅前を通りかかると、この女性は同じ場所に立っていた。「第41号は?」と訊いたら、彼女は「6月以降に出る」と答えた。私は代わりに、まだ持っていなかったバックナンバー1冊を購入した。6月以降、また詩人を探してみる。

(上記引用文が活字になってから、彼女の詩集の題名は『私の志集』ではないことに気が付いた。副題は「志集」だが、題名は各号違う。『英語青年』紙面上では不可能になったので、こちらで訂正する。)

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