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6月号のくも本

カテゴリ : 
くも本 (面白い絶版書の紹介)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-6-3 17:10
『Web英語青年』の6月号がアップされた。私にとっては、その記事に関連する「くも本」を探してみることが毎月の楽しみになった。

まず、三原芳秋氏の「世俗批評とオカルト宗教」で言及される、William James の The Varieties of Religious Experience: A Study in Human Nature.子供の時、これは親の本棚にあったが、まだ読んだことはない。

阿部公彦氏が解説する、ウィリアム・フォークナーの『アブサロム、アブサロム!』はまだウェブ上で全文が読めないようだが、なぜかフォークナーの Collected Stories があった。何編か、高校の時に読んだ記憶がある。

諏訪部浩一氏の『マルタの鷹』講義を楽しんでいる読者は、1910年の Celebrated Criminal Cases of America は見逃せないのであろう。

最後に、新田啓子氏のエッセーで紹介されている、Edith Wharton と Odgen Codman, Jr. の The Decoration of Houses が見事な形で Internet Archive に保存されている。下記はその扉。


悲しい英会話

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青年の蔵 (『英語青年』の過去記事)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-5-29 16:30
私の周りには、昨今の会話重視の英語教育に懐疑的な学者が少なくない。その理由には学生の読解力低下、英会話教材の知的レベルの低さなどいろいろあるようだが、先日、大正5年(1916年)11月1日の『英語青年』で次の表現集を読んだら、もう一つの理由を思いついた。
門別会話作文資料
笹岡民次郎
Care and Sorrow, Conscience,
     Remorse and Repentance.

My heart is heavy.

僕は心配して居る

With a heavy heart.
心配して

It broke his heart.
それは彼を傷心させた

He takes these things very much to heart.
大層心配する、気にする

I am, or I feel uneasy (anxious) about him.
あの人のことが心配になる

It cut him to the heart (or to the quick).
彼は胸を刺されるやうな思をした

Wishing to escape from the torments of troubled conscience, he has committed a suicide. [原文のまま。正しくは he has committed suicide]
精神上の苦痛を免れる為自害した

It goes to his heart (or touches him deeply).
彼の心を傷める

I thought that there must be some trouble brewing.
何んだか不安心に思つた

Grief gnaws his heart.
悲哀は彼に断腸の思をさせる、沁み沁みと悲しんで居る

You know not the grief that wrings my soul.
君は僕が断腸の思をするのを知らぬ

It makes one's heart bleed.
血を吐くやうな思をさせる、心を傷ます

It grieves me to the every heart. [原文のまま。正しくは to the very heart]
痛ましい事だ

What have I done to meet these cruel sufferings?
何んの因果でこんな酷い苦みをするのか
現在ではこのような暗いテーマを取り上げる英会話教材がほとんど存在しないはずなのだ。万一あったら、You know not the grief that wrings my soul. などが復唱される授業に是非参観したい。

アメリカの俳句

カテゴリ : 
くもの笑い (ユーモアに関する考察)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-5-27 15:50
日本生まれの俳句が他の言語でも創られるようになったのはよく知られている。私も、約40年前、カリフォルニアの公立小学校で haiku の創作法を習ったことを覚えている。英語圏の子供には、アクセントの強弱が分かりにくいので伝統的な詩は書きにくいが、音節の数だけで長さが決まる haiku は子供でもすぐできるのだ。小学校で私がどういう haiku を書いたか覚えていないが、ウェブでは小学生の haiku が見つかる。例えば、ペンシルバニア州の小学校5年生 Melissa Folk が次の句で Haiku Poem and Art Contest で三位を取った。
I am a flower
Sitting on a lily pad
Looking at the fish
俳句は米国でよく知られているのだが、多様な気候を持つ北米大陸では一律の季語が成立しにくいこともあり、日本のように文化に浸透しているとは言えない。しかし、俳句と同じようにコンパクトで完成度の高いジャンルがある。それは、芸術作品としてあまり認められていないが、gag や one-liner と呼ばれる短いジョークである。

実際、1993年10月25日の『ニューヨーカー』で、Adam Gopnik という評論家は、 Woody Allen が若いときに創ったジョークを American haiku brought to perfection (完成されたアメリカ俳句)と絶賛した。Gopnik氏が取り上げた Woody Allen の gag には次の例がある。
My grandfather, on his deathbed, sold me this pocket watch.

What a wonderful thing, to be conscious! I wonder what the people in New Jersey do.

I am two with nature.

「けち」というユダヤ人のステレオタイプ、ニューヨーク市民が持つ隣のニュージャージー州への偏見、そして to be one with nature (大自然と一体感を持つ)という表現をもじって自然を嫌うマンハッタン住民の気持ちによって、それぞれの gag が成立する。米国のジョークには季題がないが、日本の俳句を理解するには日本の気候や風景を知る必要があるのと同様に、このような「奇題」を知らないと米国の one-liner が理解しにくい。

Woody Allen が真面目な映画監督になって久しい現在、米国のユーモア文化の最高峰は The Onion という雑誌とウェブサイトだと私は思う。将来の学者が21世紀初頭のアメリカ文学を研究する上で必須の対象になるのであろう。 The Onion の素晴らしさについて、後日でも書きたいと思う。

ジョークの文法

カテゴリ : 
くもの笑い (ユーモアに関する考察)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-5-21 21:20
数週間前、アフガニスタンからのニュースが少し話題になって、英語では冗談のネタにもなった。あるブログでは、次の見出しで紹介されていた。
Afghanistan's pig quarantined
この見出しが可笑しいところは、読者が知らない事物を表す単数名詞に所有形を使うとそれは一つしかないというニュアンスになることだ。実際、アフガニスタンでは豚肉などが完全に禁止されているので、豚がいるのはカブール動物園の一匹のみ。その一匹が豚インフルのために隔離されているという意外な事実は、所有形と単数名詞のコンビだけで表されているので、読者が笑ってしまう。

英語の授業などで What did you do last weekend? という質問に対して、I went to Odaiba with my friend. と生徒が答えたら、その生徒に一人の友達しかいないというニュアンスになるから、「日本人がよく間違う英語」としてしばしば取り上げられる。(I went to Odaiba with one of my friends. や I went to Odaiba with a friend of mine. が正しい。) Afghanistan's pig quarantined を読んでびっくりするのも同じ文法的な理由による。Afghanistan's only pig quarantined だったら、事実は依然として意外だが、見出しのユーモアが半減する。Afghanistan's pigs quarantined だったら、まったく笑わない。

同じように、複数形の名詞のみが使われるところを単数形にすると、冗談になる場合がある。
The response to my article was great. A few days later, a letter poured in. (私が書いた記事への反応は凄かった。数日後、一通の手紙が殺到して来た。)
冗談を翻訳しにくい理由には、文化の違いがよく指摘されているが、文法もその理由になることがあるのだ。

美しい influenza

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くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-5-19 20:40
新型の豚インフルエンザが話題の中、先日、同僚から「なぜ influenza は influ ではなく flu と略すんですか」と訊かれた。即座に「知らない」と答えた。

その後考えたら、flu というの語の不思議に気がついた。gymnasium から gym,  telephone から phone ができたように、語頭か語尾を残して短縮語を作る例が多いが、中間部だけが残る例は少ない。すぐ思い付いたのは fridge (refrigerator から)ぐらい。少し調べたら、その他に detective からできた tec や pajamas に由来する jams や jammies もあると分かったが、fri(d)ge と tec と jam はいずれも言葉の強勢のある音節である。一方、influenza では en が第一アクセント、in が第二アクセントなので、無強勢の flu だけが残っている。 influenza と同じアクセント・パターンを持つ satisfaction や Casablanca が tis や Sa に短縮されることは考えられないが、なぜか influenza が flu になったのだ。

cadenza, extravaganza, Vicenza など、イタリアの言葉は英語話者の耳に美しく聞こえることが多い。その意味を無視したら influenza という語も美しい。詳細は忘れたが、昔見たコメディーに登場した女性が Influenza と名付けられた。それを聞いて笑ったが、エキゾチックな美人だったので納得できるネーミングでもあった。一方、flu は言葉も実物もまったく美しくない。これ以上に蔓延しないように祈りましょう。

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