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言葉のギャップ

カテゴリ : 
くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-5-18 19:10
先日、『東大英単』のオーディオブック版の収録に立ち会った。代々木公園近くのスタジオで行なった。見出し語、その定義、そして英語の用例は英語ネイティブのナレーターに読み上げられ、例文の日本語訳は日本人のナレーターに読み上げられた。二人とも一流のプロだったので録音はスムーズに進んだが、分量が多かったので、午後3時から始まった録音は夜遅くまで続いた。

昔、フリー翻訳者として生活していたときにビデオ台本などの収録によく立ち会っていたので、そのような作業に慣れているが、今回改めて痛感したのは、書き言葉と話し言葉の間のギャップ。『東大英単』の見出し語は比較的平易なので問題なかったが、例文には固有名詞やアカデミックな用語がかなり出ているので、その発音を知っていると思っても実際に知らない言葉が意外に多かった。辞書やウェブで発音を確認する必要があった言葉には Srinivasa Ramanujan、myocardial infarction、Voltaire、Homo floresiensis、Acre(都市名)、Mendeleyev、 subsidence、Gamal Nasser、Khrushchev、Otto Neurathなどがあった。微妙なアクセントの違いにも時間が取られた。例えば、The history of mathematics is full of new developments, but Cantor's set theory transcends them all. という例文では、ナレーターさんが最初、
Cantor's set theory (下線部の方を強く発音)
と読んだが、ここでは set theory は「固定されている理論」ではなく「集合論」なので
Cantor's set theory
に直してもらった。

日本語の読みを確認する言葉も少なくなかった。「文書」は「ぶんしょ」か「もんじょ」か? 「生得」は「せいとく」か「しょうとく」か? 国語辞書やアクセント辞典がよく引かれた。

文字で書かれている言葉を正確に読み上げるのは簡単ではない。

awesome みたいな

カテゴリ : 
くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-5-13 12:30
先日の投稿について、読者からご感想をいただいた。
ことばのくも の「偶然の一致?みたいな」、面白かったです。断定を避ける表現は日本語ではよく流行りますが、米国でも流行ったりするのですね。
そうです。特に、若者のスラングでは、漠然と「良い」または「悪い」を意味するはやり言葉が多い。以下に思い付いた表現だけを挙げてみたが、他にも多数ある。
「良い」
awesome
bitchin'
cool
copacetic
far-out
rad

「悪い」
bogus
bunk
cronk
gnarly
grody
whack
上には死語(または瀕死語)が含まれるので、ご使用の際にはご注意を。

偶然の一致?みたいな

カテゴリ : 
くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-5-11 19:40
18歳と19歳の我が娘たちと話すとき、あるいは渋谷など若者が群がる街を歩くとき、「みたいな」がよく耳に入る。これは「ライオンみたいな猫 a cat that's just like a lion」(『新和英大辞典』の用例)や「まるでうそみたいな値段だ」(『大辞林』)のように、名詞の前に付ける助動詞ではなく、文末にくる「みたいな」である。

この使い方が嫌いな大人がいるようだが、私に面白いと思えるのは、英語の前置詞 like との類似性。「みたいな」と同じように、like は名詞の前に付くのが通例なのに対して、若者の会話では名詞から独立して多用される。例えば、

He was, like, really mad. 彼は, その, かんかんに怒っていましたよ (『新英和中辞典』)

この like は discourse particle (談話助詞) と名付けられて真面目に研究されるようになったが、一般の大人からは依然として耳障りと批判されている。

それで私が知りたいのは、どうして似たような意味(= like meanings!)を持つ「みたいな」と like が同年代の日本人と米国人などの会話に流行るようになったのか、である。まるで偶然の一致、みたいな。

『マルタの鷹』時代のシスコ

カテゴリ : 
くも本 (面白い絶版書の紹介)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-5-4 15:10
先日アップロードされた『Web 英語青年』 5 月号の 13 ページに「Downtown San Francisco: Scene of Intrigue and Betrayal in "The Maltese Falcon"」という地図がある。私が『マルタの鷹』を読んだのはだいぶ前だが、サンフランシスコという舞台設定と小説の展開が切り離しがたかったと記憶している。チャンドラーのロサンゼルスも同じ。

『マルタの鷹』時代のシスコを示してくれる「くも本」を探してみた。次の写真は 1940 年の San Francisco: The Bay and Its Cities の 198 ページと 199 ページの間にあるグラビアから。Spade & Archerの探偵事務所はこのへんだったかな。


Francis Bruguiereの写真集 San Francisco (1918年)も目を引く。


Spade & Archer が載っていないが、1938 年の電話帳には他の探偵の広告がある。

「現存している知識のすべて」

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くも本 (面白い絶版書の紹介)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-5-1 14:50
先日、Internet Archiveの「最もダウンロードされているテキスト」のリストを見たら、かなり下のほうに『ブリタニカ大百科事典』(Encyclopaedia Britannica)の11版(1911年)があった。この本の紙版は自宅の本棚にはある。1981年ごろ、シカゴの古本屋で150ドルで買った。1983年の来日の際に持って来られなかったが、10年前、東京から横浜へ引っ越したときに本を置く場所が確保できたので、他の本と一緒にカリフォルニアの倉庫から出して日本に送った。スペースもとるし手に持つと重くて黴臭いが、久しぶりにこの雑学の宝蔵を乱読できるようになって嬉しかった。今度は、その29巻にも及ぶ百科事典をいつも持ち歩いているラップトップに入れたくて、早速、全ファイルをダウンロードした。容量は計1ギガバイトだが、重量はゼロ。DjViewという無料ソフトで快適に読める。

子供のときにも、『ブリタニカ大百科事典』の11版は自宅にあったが、両親の寝室の本棚にしまってあり、私はあまり開かなかった。両親は空き巣を恐れて、数十ドル以上の現金なら財布や引き出しではなく、この百科事典の第1巻に挟んでいた。現金が必要なたびにその巻を取り出したから、第1巻の背表紙のみがぼろぼろになっていた。本好きな空き巣ならそれに気がついて現金を見つけたかも知れないが、幸いに被害に遭わなかった。

20代の半ばで『ブリタニカ』の11版を読み物として考えるようになった切っ掛けは、『ニューヨーカー』1981年3月2日号に Hans Koning というオランダ生まれの作家が書いた "The Eleventh Edition" というエッセーだった。Koning氏は、20世紀を汚す大戦や大虐殺をまだ知らない11版の著者1500人の楽観主義や白人以外の人種への蔑視、そして29巻だけで現存している知識のすべてを各層の読者に提供しようとしていた編者の過信("the high ambition of bringing all extant knowledge within the reach of every class of readers";  第1巻の序文)を鋭く批判した。しかしその一方、extant knowledgeの網羅が不可能といえども、11版の4000万語ではそれに近づいたようにも見えると論じた。特に歴史や伝記、自然科学や工学の記事が充実していると指摘した。現在、『ニューヨーカー』の購読者が雑誌の全バックナンバーを無料で読めるので、私は11版の電子ファイルを全部ダウンロードしてから、Koning氏のエッセーをプリントアウトして翌朝の通勤電車内で28年ぶりに再読した。それで、また時間をかけて『ブリタニカ』の11版を乱読したくなった。

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