Web英語青年

Web英語青年ブログ

  • 最新配信
  • RSS

最新エントリー

最初のくも本

カテゴリ : 
くも本 (面白い絶版書の紹介)
執筆 : 
k_webmaster  投稿日 2009-4-2 0:10

ウェブは夢の図書館になりつつある。特に Google Books Internet Archive が米英の図書館でスキャンして公開している本は、『Web 英語青年』の読者にとっては貴重な資料だ。しかし、それぞれのサイトで新資料が速いペースで追加されており、目録機能がまだ充実していないので、どういう本がどこにあるのか、わかりにくい。


ここでは「くも本(ぼん)」という見出しで、『Web 英語青年』の記事やこの「ことばのくも」で言及した本、または読者や私が面白いと感じた本を紹介する。ウェブ上で全文が無料で読める本に限定する。

 

第1弾として、先日「四半世紀と一か月 」で紹介した“The Autocrat of the Breakfast-Table の雑誌連載第1回と単行本を紹介する。

 

Atlantic Monthly の第1号から


 

 

The Autocrat of the Breakfast-Tableの単行本

 

 

あなたもこんなふうに面白い本を見つけたら、ぜひそのタイトルやリンクを送ってください。

kotobanokumo■■kenkyusha.co.jp

 ※「■■」を「@」に変えてください。

四半世紀と一か月

カテゴリ : 
くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
k_webmaster  投稿日 2009-3-31 12:00

私は1516歳のころ、ダジャレに嵌まってしまった。どんな場面でも、必ずというほどダジャレをまき散らしたのだ。家族や高校の先生をだいぶ困らせた。化学の授業で試験管の栓を持ち上げて、Stopper! Stop her!) と叫んだり、数学の授業で「パラドックス」が説明されたら、真面目な顔で They're handy if you have two boats. と言ったりした。(Theyは、すなわち pair of docks。)今考えると恥ずかしい限りだが、当時は自分がすごくクレバーだと思い込んでいた。


故郷カリフォルニア州パサデナ市の図書館では、名門雑誌 Atlantic Monthly 1857の創刊号から開架式書棚に置いてあった。その第1号で“The Autocrat of the Breakfast-Table と題する Oliver Wendell Holmes の連載をたまたま読むことがあった。その連載は次のように始まっていた。


I was just going to say, when I was interrupted, that one of the many ways of classifying minds is under the heads of arithmetical and algebraical intellects.  (中断した時にちょうど私が言おうとしていたのは、数多い知性の分類法のひとつに、頭脳を算術的と代数的とに分けるものがあるということだ。)


今は、文系と理系、芸術系と技術系、または一般人とオタクのようなカテゴリーで人を分けるので、知力を「算数的」と「代数的」に分類することは面白いと思ったが、当時、 Holmes が伝えようとしていたことはよく分からなかった。それよりも興味を持ったのは、数ページ後の、ダジャレを言う人への猛烈な批判だった。


People that make puns are like wanton boys that put coppers on the railroad tracks. They amuse themselves and other children, but their little trick may upset a freight train of conversation for the sake of a battered witticism. (ダジャレを言う人々は、銅貨を線路に置く悪童のようなものである。小さないたずらは、自分やほかの子供たちには楽しいだろうが、気を利かせたつもりの陳腐な言葉のために、会話の貨物列車を転覆させるかもしれないのだ。)


私にとっては、ダジャレで「会話の貨物列車を転覆させる」のが最大の楽しみだったので、当分の間、Holmes の言葉を思い出しながら会話の線路に銅貨を置きつづけた。


Autocrat”の初回で私の興味を惹いたもう一つの点は、雑誌の第1号、しかも連載の第1回なのに「私の話が人に遮られたときに言おうとしていたのは……」という書き出しで始まっていることだった。自己言及的で、読者を迷わす、意味不明なそのテクストはとてもポストモダンのようであったが、出版年はやはり1857だった。そんな時代にもこのようなウィットがあったと私は知らなかった。


 その後、連載をまとめた単行本で著者の説明を見つけた。


The interruption referred to in the first sentence of the first of these papers was just a quarter of a century in duration. (この(連載)記事第1回の冒頭の1文で言及された中断は、まさに四半世紀にわたっていた。)

 

1831年と1832年に、Holmesが別の雑誌に同じタイトルでエッセーを寄稿していたのだ。そして、四半世紀後、まったく別の新刊雑誌で、素知らぬ顔でまた継続したのだ。ジョークと言えばジョークだが、青年の私には大いに受けた。


今回から始まるこのブログ「ことばのくも」は、つい一か月前、紙の『英語青年』の最終号で終わった別名の連載の続きだが、紙という媒体とインターネットという媒体の間には四半世紀に負けないくらいの広いギャップがある。南カリフォルニアの市立図書館で見つけたほこりまみれの古雑誌を始め、紙の出版物への執着がまだ私には強いが、このウェブという新しい媒体にも素晴らしい面がたくさんある。これからは、私が言葉について考えたこと、見つけたこと、誤解したことなどをここに書くので、皆さん、お時間があるときに覗いてみてください。そして、言葉(英語・日本語)について面白いことを発見したら、メールでお知らせいただければありがたいです。


kotobanokumo■■kenkyusha.co.jp

※「■■」を「@」に換えてください。 

 

私はまだ「青年」といわれる年齢で英語のダジャレを言うのをやめたが、なぜか50歳を過ぎても、第2言語である日本語では、まだダジャレで人を困らせるのが好きだ。「ことばのくも」というタイトルもダジャレだが、その意味を後日、ここで説明する。


▲ページトップに戻る