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B is for Bridge

カテゴリ : 
くも本 (面白い絶版書の紹介)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2012-9-20 14:50

B は The Royal Alphabet (1807年)から。

A is for Anchor

カテゴリ : 
くも本 (面白い絶版書の紹介)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2012-9-19 14:30

しばらくの間はアルファベットを子供に教える「くも本」を紹介する。

まず、1864年に出版された Alphabet of Objects の A。

 

インドに行く前に、東京大学新聞から「百年後特集号」への寄稿を頼まれた。ゴア州マルガオ市のコーヒーショップで次の記事を書いた。

東大入試は新しい世界言語で

トム・ガリー

 2112年2月25日と26日に行う東京大学の入試は二つの言語で実施される。「社会」「歴史」「文芸」の3科目は日本語で、「構造科学」「物化生学」「哲学」の3科目はグロ語で実施される。「英語」などの外国語科目はない。

 その理由は21世紀の前半に遡る。確かに、2040年代の半ばぐらいまでは英語の国際語としての立場がますます強くなる。日本、中国、ロシアなどでは英語での教育も一般的になる。2045年の国連調査によると、全世界では20歳の人々の約9割が「上級の英語能力を持つ」とされる。英語教育者の間では「英語のグローバル化が成功した」との喜びの声があるが、実際には、英語は国際語として役に立たなくなった。

 各国の若者たちが英語で教育を受けると言っても、友達同士や家庭ではあいかわらず母語を使うことがほとんどだからである。そのため、大人になってしゃべる「英語」はそれぞれの母語の影響が定着して、他の母語を持つ人の「英語」との相互理解がほぼ不可能になる。2060年代に入ると、英語のグローバル化が失敗したと認めざるを得なくなる。

 紙面が限られているので2067年から起こる世界的な大混乱の詳細は省略するが、一応、地球の温暖化や海面の上昇による深刻な凶作や大幅な人口移動が発生し、紛争や戦争が世界規模で勃発するとしておく。

 その混乱がどん底まで落ちた2071年には、国連を母体に解決策が真剣に模索されるようになる。その議論は領土、政治、経済などの問題に集中するが、世界の人々の間で相互の理解と連携が不可欠と認識されるので、言語政策に関する新しいアイディアも求められる。英語のような自然言語が有用ではないと分かったので、全世界に統一される人工言語の採用が唯一の解決策だという確信が広くなる。

 最初はエスペラントの採用が検討されるが、20世紀以来の言語学研究を応用して、もっと学びやすい国際語が創られ全世界の人々に教えられるようになる。その共通第2言語は英語では GloLan、日本語では「グロ語」、そしてグロ語では ᑱᓗᕋᘆ と呼ばれる。グロ語の発音や語彙などは、自然言語のように変化して方言に分かれないように国連に厳しく規制される。

 2112年度の東大入試を受ける若者たちは子供の時代から日本語とグロ語の両方で学校教育で受け、また国際コミュニケーションにはグロ語のみが使用されるので、外国語の能力を入試で測る必要はない。駒場の教養教育課程では選択科目として英語を履修することが可能だが「難しすぎる」「役に立たない」「死語に近い」などの理由で人気がなく、英語を教える教員は非常勤講師の一人しかいない。

出典:週間東京大学新聞第2604号(2012年9月4日)

先週の木曜日に、インド・ゴアでの一ヶ月におよぶ滞在を終えて、日本へ帰って来た。刺激に溢れた非常に有益な旅であった。

帰る前日、マルガオ市でたまたまアメリカ人の英語教育関係者に会った。彼女は米国の某州立大学の教員だが、今年は米国国務省の派遣プログラムでインドを訪れ、英語の教授法をインド人の英語講師たちに教えていたそうだ。

いろいろ話すうちに、彼女は「インドでセミナーなどをやると、インド人の先生たちには私が喋っている英語がわからないことが多いようだ」と言った。そのインド人の講師たちは流暢に英語が話せるはずだが、彼女のアメリカ英語に慣れていないために、よく理解できないようだ。なぜそのことを察したかというと、セミナーを企画しているインド人が、彼女が言うことを参加者たちによく通訳するからである。その通訳は、ヒンディー語などの現地の言葉へではなく、アメリカ英語からインド英語へだそうだ。

私がゴアのC大学でワークショップをやっていたときも、大学生たちに “Please form small groups, with three or four students per group” や “Get out a piece of paper and write a short paragraph on this topic” などと指示しても、学生たちはときどき、ニコニコする以外は何もしなかった。それで、C大学の先生が同じことを言ったら、学生たちは理解してすぐ指示に従った。この場合も、その先生が喋ったのは英語だった。

英語から英語への通訳という場面に遭遇したのは、外国人とインド人の間だけではない。約一週間前に、ある著名なインド人がゴアに来てC大学で講演した。彼はインド北西部出身で国際的にも活躍する人物で、講演者として人気があるそうだ。彼が講演で使った英語は私だけではなくゴア人たちにもわかりやすかったと思う。しかし、質疑の時間になると、彼に質問者の英語がわからないことがしばしばあった。司会者に通訳を頼む必要があったのだ。この通訳も、英語から英語へだった。

インドの他の州に比べ、ゴアでは英語がよく使われるそうだ。英語で教育を行う学校が多く、ゴア人が日常的に英語を話す機会も少なくない。しかし、私が一ヶ月滞在して、ほぼ毎日英語で一緒に仕事した人たちの中でも、最後までコミュニケーションがスムーズにいかなかったスタッフが1、2人いた。お互いの訛りにすぐ慣れると思っていたが、結局は慣れなかった。

先日紹介した World Englishes の主張のように、世界の中での英語の多様性を積極的に認めるべきだと私は思う。しかし、母語を共有している人たちの間で英語が使われる場合は、その母語のアクセント、語彙、文法などが彼らの英語に特に強い影響を与える。講演後の質疑で明らかなように、ヒンディー語を母語とする英語話者がコンカニ語を母語とする英語話者の英語がわからないとしたら、今後、英語が実際にグローバルな共通語として役に立つかどうか、大いに疑問を持たざるを得ない。

横浜の家に着い日に、榎木薗鉄也氏の新刊『インド英語のリスニング』(研究社)がちょうど郵便で届いていた。著者はインド諸言語の専門家で、その本はリスニングだけではなく、インド英語全般について充実しており、また面白く紹介するつもりなので、このうぶな「インド英語探検記」は今回をもって終了する。ここまで読んでくれた方々に感謝を申し上げます。

追伸:インドに行く前に、ある新聞から「百年後の世界」という特集に予想記事を寄せるように依頼を受けた。私はいろいろ考えたが、インドでの体験がやはり刺激的だったので、記事のテーマを「グローバル英語の今後」にした。新聞に出た後、このブログに転載する予定だ。

8月の始め、インド・ゴアに来てまもなく訪れた田舎の高校で、生徒たちに講義したとき、日本の簡単な紹介の他、世界の中の英語についても話した。生徒たちに「どうして英語で勉強していますか」と聞いたら、「英語はグローバルな言語だから」という返事がすぐ返ってきた。しかし、「どの英語で勉強していますか」と聞いたら、私の質問の意味がわからなかったようだ。

実際、私がインドに招待された時には、最近日本などの英語教育者の間で議論になっている World Englishes を直に体験できるという期待が増した。World Englishes は文字通り、「世界の中に複数の英語が存在する」ということを積極的に認める運動だ。すなわち、英語は今まで考えられたように英国(または英国と米国)のネイティブたちだけの言語ではなく、様々な国や地域で様々な人々によって使われている、様々な語彙や文法や発音を持つ言語だ、という概念である。

World Englishes の概念を推進している英語教育者たちは、主に二つのことを主張をしているようだ。一つは、英語の多様性を認める教育が学習者に役立つという、プラクティカルな考えだ。例えば、日本人に英国人または米国人だけの英語を教えると、フィリピン人、シンガポール人、インド人などと英語で話そうとするときに、英米語と違う発音や表現がコミュニケーションの妨げとなる。特に、世界中で英語を日常的に使うノンネイティブがネイティブより多いと推測されているから、学習者たちを様々な英語に慣れさせることこそが英語教育者の義務だという主張である。

もう一つの主張は、政治的、イデオロギー的な面が強い。英語がグローバルな言語になったのは、イギリスやアメリカの帝国主義の結果にすぎない。各国で英語が第1言語でも第2言語でも喋られるようになったので、それを無理にやめさせるわけにはいかないが、旧帝国の言語的な支配、特に白人ネイティブの有利な立場を認めるわけにはいかない。英語の所有権は英語を使う人が持つ、という考えだ。

インド・ゴアに来てから、高校や大学で英語教育に携わっている先生に何人も会っているが、World Englishes という概念について強い意見を誰も持たなかったようだ。もちろん、イギリス英語、インド英語、アメリカ英語などの間に違いがあるとわかっているが、例えばインドでもイギリス英語を模範にすべきだ、またはインド人が使う英語を正しいとすべきだ、といったコメントは聞かなかった。私の滞在期間がもっと長かったら、違う意見も聞いているはずだが、この一か月では言語についてイデオロギー的な意見を聞いたのは1961年までの植民地時代にゴアの公用語だったポルトガル語と多くのゴア人の母語であるコンカニ語についてのみだった。

その高校では World Englishes を説明するために黒板に車の絵を書いた。その後尾にある荷物入れを指して「これを英語で何といいますか」と聞いた。答えは多分イギリス英語の boot になると予想していたが、もしかしてアメリカ英語の trunk もあるかも知れないとも思った。でも、生徒たちが一斉に答えたのは「dicky!」だった。私には初耳だったが、後で辞書で調べたら確かにインド英語では車のトランクを dicky と呼ぶそうだ。

車のトランクは深く考えずに取り上げたが、英語の多様性を示すために最適な例だったようだ。


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