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先週の土曜日に、ゴア州南端の公立寄宿高校に行ってきた。C大学でコンカニ語を教えているD教授はそこのPTA会長で、私を招待してくれた。緑豊かな山を越えて学校に到着したのは午前10時ごろだった。(途中で二回も道路を歩く象とすれ違った。私は動物園とサーカス以外のところで象を見たのは初めてだったが、車を運転していたD教授は気にしていなかったようだ。)

学校に着いたら、右の写真に写っている 16、17歳ぐらいの生徒たちに講義した。私が選んだテーマは、日本、日本語、そして世界の中の英語だった。生徒たちに「日本について何を知っていますか」と聞いたら、It’s a developed country、Japanese people work hard、It has the highest population density in the world. などと答えてくれた。(実際には世界最高の人口密度ではないはずだと思ったが、訂正しなかった。)生徒たちは日本の文化については何も言わなかったので、インドに由来する仏教と日本固有の神道を簡単に説明した。日本の人口密度は確かに高いと認めたが、最近の少子化で人口が減り始めて、その故にさまざまな問題が出てきているとも説明した。

次に、日本語の文字を簡単に紹介した。黒板に「インド」と「 i n do 」を書いて、仮名はデーバナーガリー文字と同様に音とほぼ一対一の関係があるが、「日本」の「日」は ni、「毎日」の「日」は nichi、そして「日比谷」の「日」は hi と読むと説明したら、皆びっくりしたようだ。漢字には意味やイメージがあるから、表音文字で表現できない良さもあると説明するために、「人力車」を例として提示した。「人」という字は人間の足に似ていて、「車」という字に車軸などが描写されていると示した。(「力」の字源を思い出せなかったのでそれを省略した。)「人力車」は「人の力で動く車」だと説明したら皆面白がって納得してくれた。

それで「英語の rickshaw は日本語の『人力車』から来ていると知っていましたか」と聞いたら、先生たちを含めて皆「ノー」と答えた。私がもともと「人力車」を例として選んだ理由は、rickshaw というタクシーがマルガオの道を走っているからだ。ただ、左の写真のように、ゴアの rickshaw は人の力で動いているわけではない。

数種類の英英辞書を調べたが、モーターで動く rickshaw が出ていないので、この言葉をインド英語の例としてここで紹介することにした。

高校生たちに世界の英語について話したことを後日また報告する。

インドのゴア州にあるマルガオ(丸顔ではなく Margao)という町に着いてから四日目となった。一日目はホテルでの休養と近辺への散歩で終わったが、次の日からはC大学に行って、そのライティング・センターをベースに学生や教員と交流している。C大学は教員約55人と学生約1,300人を擁し、教養教育を重視する、小さな私立大学だ。在学生のほとんどは地元出身だが、最近は他州でも積極的にリクルートし始めたそうだ。学生たちも大学そのものも活発で元気だという印象を受ける。

インドに来る前に学ぼうとして結局学べなかったデーバナーガリー文字は、幸い街の看板や商品のラベルなどにはそれほど使われていないので、読むことで不自由を感じていないが、話し言葉ではコミュニケーションがスムーズにいっているとは言えない。もちろん、現地の人たちがコンカニ語やヒンディー語をしゃべったら私は何もわからないが、英語での会話でも聞き取れないことが少なくない。私が Excuse me? と聞き返し、2、3回繰り返してもらっても理解できないことがある。ホテルの従業員の英語は特に聞き取りにくいが、流暢に英語が話せる大学の教員や学生たちの英語でも時々部分的にしかわからないことがある。

それでも意思疎通が大体できていると思う。お互いの顔が見えて、シチュエーションからお互いの立場やニーズを推測できる場合は、一部の単語やフレーズが通じなくてもお互いに伝えたいメッセージが伝わる。

私はもっと注意深くインド人たちの英語を記録したいのだが、会話の内容ばかり考えているので、個別の単語や表現を聞き流してしまう。インド英語と英米英語との間に、イントネーションだけではなく語彙や文法の違いもあるはずだが、自分が会話に参加しているときにその違いをなかなかピックアップできない。その反面、文脈から言葉を切り離せるときにその違いがはっきり意識できる。例えば、インドの英字新聞を読むとインド特有の単語がすぐ目に付く。その例を今後紹介したいと思うが、とりあえず、会話でのコミュニケーションを妨げた言葉を一つ紹介する。それは p だった。p という文字。

私が泊まっているホテルにはWiFiでインターネットに接続できるが、ホテルが負担する接続料金が高いからか、客に配布されているパスワードを2時間しか使えない。期限が過ぎると、フロントに電話して新しいパスワードを聞かなければならない。パスワードの形式は m4rwx8sv や t7hi3stv など、文字と数字のみで構成されているので問題なく伝えられるはずだ。

しかし、一昨日、電話で聞いていたパスワードをログインのウェブページに入力したら Access denied というメッセージが返ってきた。またフロントに電話してもう一度パスワードを読み上げてもらった。再入力してみたが、やはりだめだった。またフロントに電話したら、今回は b だと思い込んでいた文字が 「p as in Pakistan」だと説明してくれた。私がずっと聞き間違っていたのだ。

この聞き間違いは、電話を通して話していたから起こったのではないと思う。アメリカ人がインド人の p を b として聞くにはそれなりのわけがあるはずだ。インドには多数の言語があるが、その多くには英語や日本語のように閉鎖音が2種類(例えば有声の b, d, g と無声の p, t, k)だけではなく、3種類から4種類あるそうだ。多くのゴア人が母語として話すコンカニ語には4種類の閉鎖音がある。そのため、無気音の p と b の他に有気音の ph と bh もある。2種類しか区別できない私は、おそらくフロントの人の p (または ph) を b と聞き間違ったのだろう。なお、その p はランダムなパスワードの一文字でしかなかったので、文脈から推測できるはずはなかった。

それ以来、WiFiパスワードをフロントで紙に書いてもらっている。

インドに着くまでに、複雑な道のりを辿った。航空券は成田→上海→成都→ムンバイ→ゴアだったが、上海→成都→ムンバイのフライトが中止になったので、結局、成田→北京→香港→ムンバイ→ゴアを飛ぶことになった。28年ぶりの香港、それに生まれて初めての中国本土だったので、ワクワクすべきだったかも知れないが、目にしたのは空港だけだった。

1、2時間しか北京にいなかったが、中国語の会話やアナウンスがよく耳に入った。日本の街で耳に入る中国語は方言が多いようだが、北京空港では、私が昔、大学で勉強した「普通話」が主流だった。もうまったくできないが、アナウンスなどには数字や代名詞など、若い時に覚えた単語を聞いて懐かしく思った。私のチケットに問題があったので、乗り継ぎ相談カウンターの人と話す必要があった(もちろん英語で)。彼女が誰かに電話をかけて Mĕiguórén (「美国人」、すなわち「アメリカ人」)と言ったときには、私のことを話していると分かった。その他の会話はまったく分からなかったが、自分が中国語を完全に忘れていないことが少し嬉しかった。

この長い一日の旅にセキュリティを通るために何回も行列に並んだ。香港では後ろに西洋人の夫婦と小学校ぐらいの年齢の男の子二人がいた。お兄さんのほうはおしゃべりの子らしく、とめどなくお父さんに何かを言っていた。最初は気にしていなかったが、やはり、大学の勉強から覚えた単語がおしゃべりの中にところどころあった。севодня とか самолёт とか。今度はロシア語だった。(sevodnya は「今日」、samelyot は「飛行機」の意味。)中国語よりロシア語のほうが今でも理解できると思うのだが、子供の話の筋は分からなかった。なお、大学で勉強したロシア語は、かつて日本の大学で主流だった英語教育と同じく、文法の訓練や文学作品の精読だったので、生のロシア語会話、特に子供のロシア語を聞く機会がほとんどなかった。(私はロシアにはまだ行っていない。)

深夜のムンバイ空港で、ゴアへの乗り継ぎ便を待ちながらこのブログを書いた。空港は普通の場所ではないので、インド英語探検はゴアに着いてから始める。
 

本日、インドへ出発する。一か月、ゴア州にある大学に滞在して、そこの学生や教員たちと交流することになったのだ。初めてのインドなので、どういう経験になるかまだ見当がつかないが、楽しみにしている。(「8月にインドに行く」と知人たちに伝えたら、皆が「インドは暑いでしょう」と言うのだが、ゴアの最高気温は現在、猛暑の東京より約5度も低いようだ。雨季だが。)

 

私はゴアでいろいろ見物するつもりだが、特に体験したいのはその言語生活だ。「日本語が唯一の共通語で、その他はすべて外国語だ」という、わかりやすい区別がなされている日本に長年住んでいるので、インドの多様多層な言語状況が興味深い。滞在する予定のC大学の学生たちは、コンカニ語やマラーティー語など、現地の言葉を母語にし、ヒンディー語やポルトガル語もできて、さらに教育は英語で受けているようだ。一か月だけではその複雑な状況をほとんど把握できないだろうが、とりあえず、世界的にも重要性を増しているインドの英語を観察するつもりだ。特に知りたいのは、私にとっての新鮮な表現だけではなく、私のアメリカ英語がインド人にとってどのように聞こえるかということである。時々、観察の成果をこのブログでご報告したいと思う。

 

8月27日に、研究社から『インド英語のリスニング』(榎木薗鉄也著)が出版される予定。私の旅には間に合わないが、帰国してからすぐに手に入れたい本だ。
 

こども の ことば

カテゴリ : 
くも本 (面白い絶版書の紹介)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2012-5-8 20:10

高校時代、近所の友達が古本屋で珍しい本を見つけた。もう40年も経っているのでそのタイトルを覚えていないが、確か ...in Words of One Syllable で終わっていた。すなわち、「単音節の言葉のみで書かれている」本だった。英語では単語は長くなるにつれて難しくなるとされているので、短い単語だけなら、子供にもわかりやすいだろうという発想で書かれていたようだ。でも、少しでも考えてみたら無理があるとすぐにわかる。例えば、one, two, three のそれぞれが one syllable なので使えるが、seven には2つの音節があるので使えない。hand, leg, head は大丈夫だが、finger と elbow はダメ。子供向けの本にはどうしても使いたくなる mother,  father, sister, brother も全部アウト。

 

その本を思い出したのは、Internet Archive に新しく登録された「くも本」のリストに、1906年に出版された The Life of Abraham Lincoln for Young People: Told in Words of One Syllable があったからだ。書き出しはつぎのとおりだ。

 

 Near five scores of years have gone by since a poor, plain babe was born in a log hut on the banks of a small stream known as the “Big South Fork” of No-lin’s Creek. This was in Ken-tuc-ky and in what is now La-rue Coun-ty.
It was Sun-day, Feb. 12, 1809, when this child came to bless the world.
The hut, not much more than a cow-shed, held the fa-ther and moth-er, whose names where Thom-as and Nan-cy, and their girl child, Sa-rah. ...

 

これを見ると、可能なところでは、例えば one hundred を five scores に、daughter を girl child のように、二節以上の言葉を言い換えている。February も Feb. に略している。しかし、言い換えができない単語や固有名詞など、どうしても単音節にできない語は、無理にハイフンで区切っている。読みやすいはずの father はかえって読みにくい fath-er となってしまっているのだ。

 

一見、無用の試みだと思われるが、 ... Words of One Syllable と題した本は19世紀から20世紀にかけて米国では多数出版された。History of Japan in Words of One Syllable (1887) もあったが、多くは欧米の歴史書やキリスト教の教養書であった。アメリカ議会図書館のカタログには、以下の本が載せられている。

 

Aesop's Fables in Words of One Syllable (1897)
Alice's Adventures in Wonderland Retold in Words of One Syllable (1905)
Bible Pictures and Stories in One Syllable (1895)
Black Beauty, in Words of One Syllable (1905)
Child's Life of Christ in Words of One Syllable (1899)
Child's Story of the Bible, in Words of One Syllable (1899)
Child's Story of the New Testament in Words of One Syllable (1900)
Child's Story of the Old Testament in Words of One Syllable (1900)
Evenings at Home, in Words of One Syllable (1869)
Fables of Aesop in Words of One Syllable (1899)
Gulliver's Travels into Several Remote Regions of the World, in Words of One Syllable (1899)
Heroes of History in Words of One Syllable (1903)
History of England, in Words of One Syllable (1883)
History of France in Words of One Syllable (1884)
History of Germany in Words of One Syllable (1884)
History of Illinois in Words of One Syllable (1888)
History of Ireland, in Words of One Syllable (1885)
History of Missouri in Words of One Syllable (1889)
History of New England, in Words of One Syllable (1888)
History of Pennsylvania, in Words of One Syllable (1889)
History of Russia in Words of One Syllable (1887)
History of the Battles of America in Words of One Syllable (1889)
History of the New Testament in Words of One Syllable (1899)
History of the Old Testament in Words of One Syllable (1888)
History of the United States in Words of One Syllable (1883)
History of Virginia in Words of One Syllable (1889)
Life and Battles of Napoleon Bonaparte in Words of One Syllable (1887)
Life and Surprising Adventures of Robinson Crusoe of York, Mariner; from the Original in Words of One Syllable (1888)
Life of Christ Retold in Words of One Syllable (1901)
Life of George Washington in Words of One Syllable (1893)
Lives of the Presidents of the United States in Words of One Syllable (1894)
Our Hero, General U. S. Grant. When, Where, and How He Fought. In Words of One Syllable (1885)
Pilgrim's Progress, in Words of One Syllable (1870)
Robinson Crusoe in Words of One Syllable (1882)
Simple Stories in Words of One Syllable for Little Boys and Girls (1825)
Stories of the Angels, in Words of One Syllable (1928)
Treasury of Fairy Tales, in Words of One Syllable (1881)
Wee Folks Stories from the Old Testament in Words of One Syllable (1920)

 

このような本が出版されなくなったのは「one syllable = easy to read」という等式が成立しなかったからだ。上の短い抜粋でも、girl child という表現は方言で使われないわけではないが daughter のほうが一般的だし、 five scores はその同義の one hundred よりかなり理解しにくいはずだ。音節数を無視して、実際に子供にとって読みやすい言葉で児童書が書かれるようになったら、... in Words of One Syllable というジャンルは絶滅した。

 

外国語を勉強しなおそうとする大人の中には、母語では児童書から読み始めたのだから、外国語も同じような方法で学ぼうと考える人がいる。無駄な試みではないが、学校や教科書で習った外国の言葉と、その言語の環境で育った子供たちが知っている言葉は、必ずしも一致しない。日本の学校英語教育でも、大学や社会で使う英語が重視されるので、子供特有の英語はほとんど無視されている。学習者用英和辞書の見出し語ラベルにもその傾向が見える。例えば、『新英和中辞典』(研究社)の見出し語には、「最重要基本語約 2000 語」「それに続く基本語約 5000 語」「次の約 8000 語」のそれぞれに印が付けられている。『プログレッシブ英和中辞典』(小学館)でも、「最重要語約1,800語」「大学入試程度の約4,600語」「社会人に必要な程度の約8,100語」に見出し語を分類する。両辞書の間に若干な違いがあるが、多くの単語は同等なカテゴリーに入る。例えば、happy, Tuesday, something はもっとも重要なレベルと記され、 hazy, transpire, sapphireはレベル3となっている。無印の言葉には、happenstance, transponder, sacrilege のように、使用頻度が低く、英語圏の子供も知らない言葉が多い。

 

しかし、無印の言葉、すなわち「日本人の英語学習者には重要ではない」とされる言葉には、5、6歳のネイティブの子供のほとんどが知っている単語もたくさん含まれている。私自身、小学校に入る前にすでに使っていた言葉には次の無印語がある(定義は『新英和中辞典』から)。

 

barf 《米俗》    ━[動] 吐く, もどす. ━[名] 嘔吐.
belly button ━[名] 《口》 へそ (navel).
glob ━[名] (クリーム・泥などの)かたまり.
gunk ━[名] 《俗》 べとべとして気持ちの悪いもの.
potty ━[名] 《口》 (子供用の)便器, おまる.
pus ━[名] 膿(うみ).
stinky ━[形] 《口》 臭い; いやな; くだらん.
yucky ━[形] 《口》 すごくまずい; 不快な.

 

英検や大学の入試には出ないであろうが、いずれも基本中の基本の言葉だ。なお、この中には belly button や potty のように、二音節以上の言葉もある。

 


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