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英米史辞典  松村 赳 / 富田虎男 編

掲載誌:図書新聞 2000年4月29日
タイトル:すばらしい歴史辞典 いずれの語に関しても簡にして要を得た説明 
筆者:山岸勝榮(明海大学外国語学部教授)



 「よくぞこれだけのものを作ってくださった」というのが本書を手にし、興味のある項目、知りたかった項目などを通読しての私の率直な感想である。というのも、今から25、6年前に、Norman Moss. What's the Difference?―a British/American Dictionary (Harper & Row, 1973)の訳編者として一苦労も二苦労もしたからであった(こびあん書房より『えい・べい語考現学―どこがどう違う?』と題して刊行されたものの原本)。
 評者が訳編した右の書は英米語の語彙比較を行った特殊辞典であるが、英米両国の歴史的事件・法律・政治などに関わる名詞もふんだんに出てくる。たとえば、英国に関しては、alderman, Chancellor of the Exchequer, Chiltern Hundreds, Chindits等々、米国に関しては、carpetbagger, Know-Nothing Party, Manifest Destiny, Recontruction等々である。その道に暗い私にとって、こうした語の歴史的背景、意義、訳語などをつぶさに調査することは大変な苦労であった。参照した文献の数もおびただしい(同書の巻末にそれらを掲載した)。
 ところが本書をひもとくと、そのいずれの語に関しても簡にして要を得た説明がなされているではないか。当時このようなすばらしい歴史辞典があったなら、どれだけの時間と労力と金銭的出費が節約できたであろうか。
 編者はその「まえがき」において、「われわれ自身の学生時代の経験に照らしても、イギリスやアメリカの歴史書を読む際、その中に出てくる言葉や概念が十分理解できず、そのため、全体の文意をつかみかねたり思考錯誤を重ね、暗中模索の末に、やっと、そうだったのか、と納得しえた例が少なくない」と書いておられるが、学生時代ならまだしも、大学教員になった評者にさえ、右に挙げたような語の多くは相当な難物であった。
 ふたたび「まえがき」によれば、イギリス史を松村氏が、アメリカ史を富田氏がそれぞれ担当なさったそうである。樺山紘一氏が推薦の言葉を寄せて、「総ページは1000を超え、項目数は4500。そんな大辞典を作るのは、たいへんな労力がいる事業である。項目や執筆者の選定、原稿の作成や記述の調整など。だがそれを、たった2人の執筆者でなしとげてしまったとなると、ほとんど奇跡といってよい」と書いておられるが、その賛辞に評者も同感である。まさに国家的財産と形容すべき一書だと思う。
 お二方が整合性に配慮されたこともよく分かる。たとえば、評者は前記書を訳編する際に、Justice of the Peace(治安判事)の英米差を調査するのに一苦労した覚えがあるが、本書では分かりやすく解説されている。さらに、英米史に登場する著名作家・詩人も歴史辞典としてはよく収録されている。たとえば、個人的趣味に基づいて、S. T. Coleridge, C. Dickens, J. Swift, A. Tennysonなどを引いてみたが、これらもよくまとまっていて、英米文学辞典をひもといているのではないかという錯覚に陥る。英語索引、日本語索引共に充実しており、英和・和英用語辞典としても使用できる。系図・年表もよくまとまっている(歴史地図の早期収録を望むのは望蜀の嘆であろうか)。このような優れた英米史辞典を十数年の歳月をかけてまとめられたお二方に対し、深い敬意を表したい。
 一点だけ疑問を抱いたのは、solicitor(事務弁護士)に関する記述である。同項には、「州裁判所(County Court)や治安判事裁判所(Magistrates' Court)などの下位裁判所では弁論を行なうことができるが、上位裁判所では弁論権をもたない」とあるが、現代のsolicitorは破産事件の場合、破産法(Bankruptcy Acts)や法廷法(Courts Act)によって一審裁判所としての高等法院(High Court)に出廷して弁論でき、場合によっては刑事裁判所(Crown Court)における弁論権も有するのではなかろうか。両者は共に上位裁判所(superior courts)のはずである。前出『えい・べい語考現学』の出版時に調査したところでは、どうもそのような調査結果が出た。いずれの見解が正しいか分からないが、同書を読み進むうちに感じた疑問であったので言及しておきたい。
 なお、本書は折に触れて、あちこち拾い読みをするのにも適している。評者は、早速、scalping(頭皮はぎ)、Treachery of the Blue Books(青書の裏切り)、window tax(窓税)などを読んで、その内容を楽しんだ。 「まずもって相手をよく知ることがすべての基礎であり、アメリカ・イギリス両国の歴史を学ぶことは、自らをより豊かにすることにつながるであろう」(「まえがき」より)という編者の言葉にも説得力がある。




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