英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史 コンパニオン・サイト

第3回 なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?

1 なぜ発音と綴字は乖離するのか?

連載の第3回では,多くの英語学習者が疑問を抱いていると思われる「発音と綴字の乖離」の話題を取り上げます.拙著では,第2章「発音と綴字に関する素朴な疑問」のもとで,「2.3 なぜ often の t を発音する人がいるのか?」「2.5 なぜ name は「ナメ」ではなく「ネイム」と発音されるのか?」「2.6 なぜ debt, doubt には発音しない <b> があるのか?」などで,発音と綴字の乖離を示す具体例を挙げて説明しました.

本稿では,とりわけ英語の「母音」とそれを表記する「母音字」の(不)対応について,歴史的な観点から論じます.私たちが普段なんとなく納得がいかないと思っている母音(字)の問題が,英語史という枠にとどまらず,アルファベット史というレベルで論じられるトピックであることを示し,現代の言語上の問題を長大なタイムスパンで考察することの魅力を伝えたいと思います.

手始めに,現代英語における発音と綴字の間の不規則な対応について考えてみましょう.実際のところ,不対応を示す例はどの程度あるのでしょうか.以下に,何らかの点で不規則とみなし得る単語を列挙してみます(ここでは母音だけではなく子音の例も含まれています).何が不規則か分かるでしょうか.

although, among, answer, are, aunt, autumn, blood, build, castle, clerk, climb, colour, comb, come, cough, could, course, debt, do, does, done, dough, eye, friend, gone, great, have, hour, island, journey, key, lamb, listen, move, none, of, once, one, only, own, people, pretty, quay, receive, rough, said, salt, says, shoe, shoulder, some, sugar, talk, two, was, water, were, where, who, you

この一覧のなかで例えば are /ɑː/, do /duː/, have /hæv/, none /nʌn/ などは,あまりに見慣れているので,私たちは不規則な例として認識すらしていないかもしれません.しかし,それぞれに似たような綴字をもつ care /keə/, so /səʊ/, save /seɪv/, bone /bəʊn/ などがその発音と規則的にマッチしているように感じられるのに対して,are, do, have, none の発音と綴字の対応は,確かにどこか不規則のように見えます.

私たちは必ずしも単語の1文字1文字を音に対応させながら学習していくわけではないので,このような不規則性には,綴字を学習したときですら気づかなかったかもしれませんし,知識が定着した後には,なおさら気づく機会はなかっただろうと思います.しかし,各々の発音と綴字を厳密に照らし合わせてみると,ここかしこに不規則な対応の例があることに気づきます.

ただし,このように発音と綴字の乖離の例が数多く観察される一方で,この点が不当に強調されすぎているという指摘もあります.調査方法にもよりますが,実は英単語の75%〜84%までが一定の綴字規則に沿っているという統計もあります.不規則な綴字は,私たちが普段目にしやすい高頻度のトップ400語ほどに偏在しているために過大評価されやすい,という事情もあるでしょう(実際,上に挙げた60語は卑近な語ばかりです).逆にいえば,比較的頻度の低い語彙については,発音と綴字の関係は意外と素直である,ということができます.例えば,misunderstanding, internationalization, antidisestablishmentarianism などの小難しい語は,長いだけで必ずしも不規則な綴字を示していません.

とはいえ,私たち英語学習者は,英語の発音と綴字の対応が無視できない程度に不規則であることを,確かに実感しています.いったい,なぜこのような不対応が存在するのでしょうか.なぜ「1音=1文字」という理想的な関係が成立していないのでしょうか.

この問いを考察するにあたって,拙著の2.5.4で示した綴字の保守性に関する議論をおさらいしておきましょう.そこでは,発音と綴字という各々の媒体を,時間という川を流れる独立した2艘のボートに喩えました.2艘はゴムのロープで緩くつながっており,つかず離れずという位置関係で川を流れていきます.ほとんどの場合,発音のボートのほうが先に流されていくので,綴字のボートはそれに引っ張られるようにして,後れてついていくことになります.時間が経てば経つほど,2艘のボートの距離は開いていきますが,ロープでつながっている以上,完全に離れてしまうことはありません.しかし,人為的に何らかの力を加えない限り,いったん開いた距離が自然に縮まっていくことはありません.したがって,概して言語の歴史が長ければ長いほど,発音と綴字の距離は,限界に達するまで,ますます開いていくものであると考えられます.発音と綴字が互いに離れていく原理は,一般的にいえば,以上のように,発音の相対的革新性と綴字の相対的保守性に求めることができます.

しかし,より具体的にいえば,英語において両媒体が乖離してきた歴史上の要因は,様々に挙げることができます.以下に,主要なものを一覧しておきましょう.

1. 古英語期に,ローマン・アルファベット(英語と音素体系が全く異なるラテン語を表記するための文字体系)を借用した.
2. 綴字標準のなかった中英語期の多種多様な綴字習慣が,現在まで化石的に生き残った.
3. 主に初期近代英語期に,多くの語源的綴字が生まれた(拙著2.6節を参照).
4. 初期近代英語期にかけて綴字の標準化が進行していたまさにその時期に,大きな発音上の変化が生じた(例えば拙著1.3.1で触れた「大母音推移」).
5. 主に近代英語期以降,発音と綴字の乖離を是正すべく数々の綴字改革の狼煙が上げられてきたが,いずれもほとんど成功しなかった.
6. 英語史の全時代を通じて,他言語から語彙とともに独自の綴字(習慣)まで借用してきた.

現在の発音と綴字の乖離は,上に述べた一般的な原理に基づいているとともに,ここに一覧したような英語史上の様々な要因の積み重ねにより生じてきたものです.ギャップは一日にして成らず,ですね.

2 母音(字)に関する悩み

英語の発音と綴字の乖離は母音(字)にも子音(字)にも観察されますが,とりわけ母音(字)に大きな悩みがあります.その根本的な原因の1つは,英語では日本語などと比較して非常に多くの母音が区別されるという事実にあります.言語学における音韻論という分野では,ある言語において区別すべき音を「音素」と呼びます.音韻理論によって音素の数え方は多少異なりますが,標準的なイギリス英語の発音においては,短母音,長母音,二重母音をすべて合わせて以下の20の母音音素が区別されます.一方,日本語の共通語では,ご存じの通り,以下の5つの母音音素が区別されるにすぎません(以下,音素は / / で囲んで示します).

英語の母音音素:/iː/, /ɪ/, /e/, /æ/, /ʌ/, /ɑː/, /ɒ/, /ɔː/, /ʊ/, /uː/,
/ɜː/, /ə/, /eɪ/, /aɪ/, /ɔɪ/, /əʊ/, /aʊ/, /ɪə/, /eə/, /ʊə/
日本語の母音音素: /a/, /i/, /u/, /e/, /o/

英語でも日本語でも,母音音素の種類や数は歴史的に変化してきました.古英語では,/i/, /y/, /e/, /æ/, /a/, /o/, /u/, /iː/, /yː/, /eː/, /æː/, /aː/, /oː/, /uː/, /ie/, /eo/, /æa/, /iːe/, /eːo/, /æːa/ の20母音音素が区別され,数こそ現代英語とたまたま同じですが,その種類は異なることが分かると思います.中英語期や近代英語期では様々な母音変化が生じており,母音音素の種類も数も多少の増減を繰り返してきました.日本語でも,一説によれば,古代は4母音,上代は8母音と歴史的に変化してきました.それでも,概していえば,英語は共時的にも通時的にも母音音素の種類と数が豊富な言語であることは間違いありません.

では,次に「母音」そのものではなく,母音を表す文字である「母音字」に話題を移しましょう(以下,文字は < > で囲んで示します).現代英語のアルファベット26字のうち,母音字として用いられる単文字は <a>, <e>, <i>, <o>, <u> の5つのみです(<y> を加えたとしても,たかだか6つです).20の母音音素のために5つか6つの母音字しか用意されていないのでは,対応がうまくいかないのは当然ですね.1つの母音字に対して複数の母音を対応させざるを得ないわけです.例えば,<a> という単文字を含む単語を例に取りましょう.cat /kæt/, gate /geɪt/, about /əˈbaʊt/, father /ˈfɑːðə/, also /ˈɔːlsəʊ/ では,いずれも第1音節の母音を表記するのに <a> が用いられていますが,この <a> が表している母音はそれぞれ異なっています.ここでは,1文字に対して5音素が対応してしまっているのです.

この問題を解決すべく,英語は母音字を複数組み合わせるという方法に訴えてきました.<ie>, <ea>, <ay>, <oa>, <ue>, <eau> などです.しかし,ここでも各組み合わせが特定の音素に1対1で対応しているかといえば,そうでもありません.<ie> を例に取れば,die /daɪ/, believe /biˈliːv/, friend /frend/, sieve /sɪv/, cookie /ˈkʊki/ においては,それぞれ異なる母音音素に対応しています.このような例を見ると,文字の組み合わせという処方箋は,一見うまく問題を解決してくれそうですが,むしろさらなる問題を生み出しているかのように思われます.

もっと単純な例で考えてみましょう.child と children では,同じ <i> の母音字を用いていながら,それが表している音素は,前者では二重母音 /aɪ/,後者では短母音 /ɪ/ です.また,child から類推される通り mild, wild では確かに <i> = /aɪ/ の対応が認められますが,gild では推測が外れて <i> = /ɪ/ の対応となります.確かに英語では,/aɪ/ と /ɪ/ は <i> によって表される典型的な2音素ではありますが,どのような場合にどちらの音素となるのかを完全に定式化することはできません.

混迷はさらに深まります.今度は,母音音素を特定のものに固定し,それがいかなる文字で表記されるか,という逆の観点から,発音と綴字の対応関係を調べてみましょう./eɪ/ という二重母音は,以下の単語では異なる単文字(の組み合わせ)によって綴られています.mate, eh, great, play, weight, Beowulf, halfpenny, pain, veil, obey, gauge, gaol, champagne, champaign, quoit, bouquet, café, Baedeker, Baal.1つの音素に対して,非常に多くの文字が対応してしまっていることが分かると思います.

/ei/に対応する単語群

表音文字を標榜するアルファベットの目指す発音と綴字の理想的な関係が「1対1」であるとするならば,現実の英語の状況は「1対多」でも「多対1」でもなく,絶望的な「多対多」となってしまっているのです.

3 母音の長短の区別に無関心だった古英語

前節で見たように,現代英語では母音と母音字の関係が極めて複雑です.しかし,この状況は今に始まったわけではなく,先に列挙した数々の歴史的な要因によって徐々に複雑化してきたものです.古英語の段階では,状況はここまで複雑ではありませんでした.古英語では原則として発音と綴字の関係は緊密であり,単純化していえば,文字をそのままローマ字として発音しておけばよかったのです.古英語の入門書などでも,発音と綴字の関係について,あまりコメントされることはありません.

しかし,古英語の入門書などではほとんど指摘されることはないのですが,見逃してはならない重要な事実があります.それは,母音の長短の区別を一貫して示す綴字上の習慣がなかったことです.古英語では発音と綴字の関係が理想的な「1対1」に近かったということは確かですが,母音の長短の区別については概ね無関心でした.例えば,<witan> という綴字の <i> の部分の読みには,短母音 /i/ の場合と,長母音 /iː/ の場合があり得ますが,前者であれば「知る」,後者であれば「見る」などを意味する別の動詞となります.古英語の入門書などには,現代の学習者のために編者が便宜を図って,短母音をもつ語は wĭtan,長母音をもつ語は wītan と補助記号を付してくれることがありますが,現実の古英語写本などには補助記号はありません.古英語では /i/ と /iː/ は異なる音素であり,その差異は単語を変えてしまうほどの重要性をもつにもかかわらず,綴字上で区別する方法はなかったのです.短母音をもつ gŏd 「神 = “God”」と長母音をもつ gōd 「良い = “good”」も,古英語では同様に小文字で <god> と綴られました.2つの音素に対して1つの文字が対応する,古英語の「多対1」の例です.

綴字において母音の長短の区別をつけないという古英語の習慣は,現代英語の母音(字)を巡る混迷ぶりに比べれば,かわいいものかもしれません.「イ」と「イー」,「オ」と「オー」程度の違いですから,確かにめくじらを立てるほどのこともないように思われます.しかし,後の英語の歴史において,母音の長短の区別のみならず母音の種類の違いすら綴字上に規則的に反映させない習慣が生まれ,育まれてきたことを考えると,古英語期のこの「かわいい」振る舞いこそが,すべての根源だったのではないかと疑われてきます.

では,なぜ古英語では,単語を区別するほどに重要だった母音の長短の区別が,綴字上に反映されなかったのでしょうか.その答えは,古英語がアルファベットを借用した元の言語,つまりラテン語において,そもそも母音の長短の区別を表記する綴字習慣がなかったからです.古英語は,6世紀末以降,キリスト教の伝来を通じてラテン語と接触し,ラテン語を書き表すためのローマン・アルファベットという文字体系をほぼそのまま取り込みました.ただし,ラテン語の発音を表記するために発展してきたローマン・アルファベットを,ラテン語とはまったく異なる音素体系をもつ古英語に適用しようとすれば,どうしても無理が生じます.例えば,ラテン語にはないけれども古英語にはある音素を表記するために,新しい文字を導入したり,既存文字を組み合わせるなどして対処する必要がありました.これは,古代日本人が中国から漢字という文字体系を借用したときに,日本語を表記するために創意工夫する必要があったのと同じことです.古英語話者も,ローマン・アルファベットを古英語に適用するのに,多少なりとも苦労しました.

しかし,いくらかの工夫の努力はあるにせよ,文字体系がある言語から異なる言語に移植される際には,劇的な改変が加えられることは滅多にありません.新しい言語への適用にあたって多少の不都合はあるにせよ,従前の綴字習慣がおよそそのまま受け継がれることが多いのです.ラテン語においては,母音の長短の区別を綴字上に示す習慣がありませんでした.そして,その特徴が,古英語を表記する際にもそのまま継承されたのです.古英語の母音(字)に関する「かわいい」悩み,ひいては現代英語の母音(字)に関する大いなる悩みは,ある意味では,古英語がラテン語からローマン・アルファベットを受容した瞬間に遡るといえます.

4 さらに歴史を遡って

英語史の枠からはみ出しますが,ここからもう一歩問いを進めてみましょう.なぜラテン語では母音の長短の区別が綴字上に示されなかったのでしょうか.実際,ラテン語でも,母音の長短の区別は確かに重要だったのです(例えば,<edere> という綴字は,最初の母音が短い /e/ で発音されれば「食べる」,長い /eː/ であれば「出す」を意味する異なる語となります).英語でもラテン語でもそうだったということは,母音の長短の区別というものは一般に綴字において示されないものなのでしょうか.しかし,そんなことはありません.日本語では「え(絵)」と「えー(間投詞)」は仮名表記上でもしっかり区別します.では,なぜラテン語では区別しなかったのでしょうか.

その答えを探るには,さらに歴史を遡る必要があります.実は,ラテン語はローマン・アルファベットを無から作り出したわけではありません.ローマン・アルファベットは,それに先立つエトルリア文字という文字体系から紀元前7世紀頃に派生した文字体系だったのです.さらに,そのエトルリア文字は先行するギリシア文字から派生したものであり,ギリシア文字は,紀元前1000年以前にフェニキア人によって用いられていたフェニキア文字に遡るのです(ついでに,このフェニキア文字は,究極には紀元前1700年頃の北部セム系の文字に起源をもちます).そして,種々のアルファベットの祖先ともいえるこのフェニキア文字という文字体系は,なんと母音を表す文字をもたない,22の子音字からなる純粋な子音文字体系だったのです.

もちろんフェニキア文字で書き表された言語には,母音音素はありました(母音音素がまったくない言語は古今東西存在しません).ただ母音音素を綴字上に書き表す習慣がなかっただけです.この事実は,母音を表記する日本語や英語の使い手にとっては驚くべきことかもしれませんが,母音を書き表さない,あるいは補助的にしか書き表さない言語は,ヘブライ語やアラビア語など,歴史上存在してきました.子音文字のみを用いる言語の読み手は,子音文字の連続のなかに,文法的あるいは文脈的に適切な母音を補いながら読んでいたはずです.現代英語でも <thx> と書いて “thanks” と読ませたり,<int'l> と書いて “international” と展開させたりする,主として子音字に頼る省略綴字が見られます.文法や文脈の助けにより,元の単語が復元できさえすれば,綴字のギリギリのヒントだけで用を足せるのです.日本語でも「ほのじ」「しゃもじ」などの文字詞や「マル秘」などの類例があります.この日本語からの例は子音文字が関係するものではありませんが,一部をもって全体を推測させるという点では,フェニキア文字が全面的に用いていた子音字依存の戦略とよく似ています.

さて,このフェニキア文字という純粋な子音文字体系を紀元前1000年頃にギリシア人が借用したときに,文字史に残る大革新がもたらされました.ギリシア人は,フェニキア文字をギリシア語に適用する際に,たまたま対応する音素がないために使われずに余ってしまった少数の文字(<Α>, <Ε>, <Ι>, <Ο>, <Υ>)を,ギリシア語の母音を表すために流用するというアイディアを思いついたのです.アルファベット史上,純然たる母音文字が登場した瞬間でした.

しかし,ギリシア人に,母音文字を発明しようという積極的な動機があったかどうかは疑問です.実際,ギリシア語の様々な母音を正確に表そうとするならば,フェニキア文字から余った文字だけでは明らかに数が不足していました.しかし,だからといって積極的に新たな母音文字を作り出すまでには至らず,あくまで伝統的なフェニキア文字のセットを用いて,子音と同時にいくつかの母音「も」表せるように工夫したということにすぎません.ギリシア人が母音文字を生み出したというのは事実ですが,母音を完璧に書き表すことに執念を燃やしていたわけではありませんでした.ギリシア文字は,消極的な意味で母音「も」書き表せる文字体系にはなりましたが,基本的にはフェニキア文字の子音文字体系としての特徴を受け継いだと考えられます.

ギリシア文字にも変種があり,後のローマン・アルファベットにつらなる母体となったのは西ギリシア文字と呼ばれる変種でした.その西ギリシア文字では,母音の長短の区別を表す習慣はついぞ発展せず,その特徴が結局ローマン・アルファベットにまで継承されたのです(なお,現代のギリシア文字につらなるのはもう1つの東ギリシャ文字という変種であり,そこでは /e/ と /eː/ の区別は <Ε> と <Η> という異なる文字で,/o/ と /oː/ の区別は <Ο> と <Ω> という異なる文字で示されるという新機軸がもたらされました).以下に,アルファベット文字体系の歴史をまとめておきます.

年代 アルファベット文字体系 備考
紀元前1700年頃〜前1000年頃 北部セム系文字,フェニキア文字 子音文字のみからなるアルファベット
紀元前1000年頃 ギリシア文字 フェニキア文字から余った少数の子音文字を母音文字として流用
紀元前7世紀頃 エトルリア文字 (西)ギリシア文字をローマン・アルファベットへ橋渡し
紀元前7世紀頃 ローマン・アルファベット (西)ギリシア文字から少数の母音文字を継承
6世紀末 古英語アルファベット 少数の母音文字を含めローマン・アルファベットをほぼそのまま継承
21世紀 現代英語アルファベット 多数の母音音素に対して,いまだに少数の母音文字のみで対処

話題が紀元前2千年紀にまで遡ってしまいました.この辺りで議論をまとめましょう.アルファベットのような文字体系がある言語から別の言語へとリレーのように借用されていくときに,新たな言語を表記するのに適した少々の改変が加えられるということもあるとはいえ,多くの場合,多少の不都合はあっても劇的な変化は伴わずに受け継がれていきました.文字体系は,冒頭の節で述べたように,本質的に保守的なのです.フェニキア文字の「子音しか表記しない」習慣からギリシア文字の「母音も部分的にではあるが表記する」習慣への発展は革命的ではありましたが,そこからさらに進んで,母音の長短の区別を含め「母音を完全に表記する」習慣を発展させるまでには至りませんでした.その習慣は,数千年後の現代英語においてすら達成されていないのです.英語の歴史においても,母音を正確に表記するための解決法として,母音字の組み合わせや「マジック e」(拙著2.5節を参照)などの方法が編み出されてきたことは事実ですが,現代英語の実態としては,すでに見てきた通り,母音は必ずしもうまく表記されていません.

その原因は,根源的には古英語がラテン語からローマン・アルファベットを借用した瞬間に帰せられるのです.そしてさらに究極的には,紀元前1000年頃のギリシア文字やそれ以前のフェニキア文字にまで遡る,母音文字よりも子音文字を遥かに重視する伝統に帰せられるのではないかと考えられます.

5 言語は母語話者のために発展してきた

ある言語で母音が音素として区別されているのであれば,綴字上も区別されるべきだ,と考えるのは素朴な発想かもしれません.かりに日本語で「あ」と「い」が区別されずに1つの文字で書かれるとすれば,文字の役割を果たしていないと感じるでしょう.しかし,実は日本語でも発音上区別すべき特徴のすべてが書き言葉に反映されているわけではありません.例えば,かつては濁音や半濁音に対して濁点や半濁点を付すことは義務的ではありませんでしたし,促音や拗音を「っ」や「ゃ」のように小書きすることもありませんでした.「は」と「ば」と「ぱ」は各々区別すべき音でしたし,「つ」と「っ」あるいは「や」と「ゃ」も音韻上重要な対立を示していたにもかかわらずです.現在でも「雨」と「飴」は同じ「あめ」でも共通語でアクセントの対立を示しますが,漢字にせよ仮名にせよ,文字上は,各語のアクセント型は標示されていません.

同じことが,英語についても言えます./ɪ/ と /aɪ/ は区別すべき母音ですが,child, children, gild などにおいてはすべて同じ <i> で表記されており,対応する発音が何であるかを予測させる万能な鍵はありません.同じことは,ローマン・アルファベットで読み書きしていた古代ローマ人にも言えますし,フェニキア文字で読み書きしていたフェニキア人にも言えるでしょう.古代ローマ人は母音の長短の区別を綴字に反映しませんでしたし,フェニキア人はそもそも母音を文字で表すことをしなかったのです.このような文字で書かれた文章は,たとえ私たちが各々の言語を書き記す20個前後の文字を個別に学習したとしても,適切に読み下すことは難しいでしょう.

ここで理解しておくべき重要なことは,ある言語を書き記す文字体系は,その言語を母語とする者,つまりその言語の話し言葉をすでに習得している者のために発展し,運用されてきた,ということです.その言語の発音,語彙,文法などをすでに習得している母語話者にとって,書き言葉とは,対応する話し言葉のすべての側面を反映している必要はなく,母語知識を活用すればおよそ復元できる程度に反映してさえいれば用を足すものです.日本語(共通語)母語話者にとって「雨」は上から下へ,「飴」は下から上へのアクセント型であることは習得済みの知識であり,わざわざアクセント記号などを付して表記する必要を感じません.しかし,日本語を外国語として学ぶ初学者は,文字にアクセント型まで表記されていれば便利なのに,と感じるかもしれません.

同様に,英語母語話者にとって child が /aɪ/ をもち,children が /ɪ/ をもつということは,そもそも文字を学ぶ以前に習得済みの知識であって,綴字により前後の子音部分さえ正しく認識できれば,各々 child, children という語として認識し,正しく発音できます.しかし,私たちのような,この単語ペアを先に知っているかどうか心許ない英語初学者にとっては,異なる母音字で書き分けてくれれば便利なのに,と感じられるでしょう.

本稿や拙著で扱ったような素朴な疑問を抱く英語学習者の多くにとって盲点となっているのは,英語は,綴字,発音,語彙,文法のいずれに関しても,英語母語話者の手により英語母語話者のために歴史的に発展してきたのであり,私たちのような非母語話者たる英語学習者のために発展してきたわけではないということです.このことは考えてみれば極めて自然なことなのですが,私たちは当然ながら普段より英語非母語話者としての観点からしか英語をみていないので,意外と気づいていないのです.綴字も,その言語を母語として難なく習得した人々にとって発音を復元するための十分なヒントとなってさえいれば,何とか用を足します.英語の綴字は,母語話者にとって何とか機能していればよい,というほどのスタンスで発展してきました.ゆえに,そのような綴字が,私たち非母語話者の目には,不親切で不合理なものに映るのも無理からぬ事かもしれません.

ただし現代英語のような世界的な言語ともなれば,非母語話者の数も多く,母語話者のためだけに存在する言語である,といって済まされるものではありません.今後は,母語話者か非母語話者かを問わない世界中の英語話者が,全体として英語を発展させてゆく主役となっていくものと思われます.しかしそれでも,今後発展していくはずの「世界英語」の母体となるものは,長い英語の歴史を通じて母語話者が作り上げてきた歴史的存在としての英語であることは間違いありません.

英語史を通じて(否,紀元前2千年紀にまで遡って),おおいに保守的であり続けた文字や綴字が,今後私たちを含めた再定義された「英語話者」の手によって,どのように変化して行くのか,あるいは行かないのか,じっくり見守っていきたいと思います.


▲ページトップに戻る