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第6回 なぜ英語語彙に3層構造があるのか? ―― ルネサンス期のラテン語かぶれとインク壺語論争

1 英語語彙の3層構造

連載の第6回では,英語の語彙に階層性がみられる理由について,とりわけルネサンス期にラテン単語が洪水のように英語に流れ込んだ時代背景を概観しながら考察していきます.

拙著の5.1節「なぜ Help me! とは叫ぶが Aid me! とは叫ばないのか?」と5.2節「なぜ Assist me! とはなおさら叫ばないのか?」で論じたように,現代英語には三つ組をなす類義語群がしばしば見られます.help−aid−assist のほか,folk−people−population, gift−present−donation, holy−sacred−consecrated, rise−mount−ascend などの例を挙げることができます.

英語語彙で三つ組をなす類義語群

このような三つ組に典型的に見られるのは,それぞれ語源が英語本来語,フランス語,ラテン語であることです.各組の1つ目の英語本来語は,短く平易でぶっきらぼうながらも温かみのある響きを伴い,2つ目のフランス単語は中立的で無色透明の語感をもち,3つ目のラテン単語は多音節で,高尚かつ人を寄せ付けないオーラを放っているのが普通です.これらの三つ組は,語源による「格付け」を内包しており,英語語彙のなかに3層構造と呼ぶべきものを作り上げているのです.

英語語彙の3層構造

folk−people−population の三つ組を例に取りましょう.現代英語では,日常的に「人々」を表わす場合には2つ目(中層)の people が選ばれます.非常に頻度の高い日常語で,語感については無色透明といってよいでしょう.people は1280年頃に英語へ借用されたフランス語の単語です.次に,1つ目(下層)の folk の語感について考えてみますと,日常的に「人々」を指すというよりは「民族」に近い,やや古風で感傷的な含みをもって用いられることが多いようです.この単語は,古英語でも使われていた英語本来語の生き残りです.最後に,3つ目(上層)の population は,通常「人口」を意味しますが,the white population (白人住民)のように集合的に用いられて「住民全体,人々」を表わすことがあります.この語は,先のフランス語 people とともに究極的にはラテン語 populus に遡る語から派生した語であり,1600年頃にラテン語から英語へ借用されました.長い4音節の単語で,よそ行きのかしこまった響きが感じられます.

それぞれが英語で使用され始めた年代を整理しますと,folk が古英語期,people が中英語期,population が初期近代英語期となります.すると,中英語期に people が借用される以前には,普通に「人々」を表わす語は,現代英語にあるこの3語のうち,folk のみだったことになります.そこへフランス語から people が借用され,この語が最も普通に「人々」を表わす語となっていくにつれ,既存の folk は,上に述べたような特殊な語感をもつ語へと転じていきました.さらに後に,ラテン語から population が加わり,folk とも people とも異なった,文章語的な響きを帯びた語として定着していったのです.こうして「人々」を表わす類義語の3層構造が完成しました.このように,3層構造は,英語の歴史の最初から存在したわけではなく,歴史の過程で,異なる時代の異なる言語からの借用を通じて,互いに語感の調整を伴いながら作り上げられてきたものなのです.

folk−people−population の例に見られるように,多くの場合,3層構造はラテン語からの借用語をもって完成しました.その時期はたいてい中英語から初期近代英語にかけての時代でしたが,とりわけ英国ルネサンス期もたけなわの16世紀後半から17世紀にかけての時期がラテン語借用のピーク期として知られています.今回は,英語語彙の階層性を確立させたラテン単語の借用が,なぜこの時期に著しく増大したのか,その原因とその後の余波について見ていきましょう.

2 ラテン単語借用の歴史

1600年前後にラテン単語の借用が爆発的に増加したのは事実ですが,実際にはラテン単語は英語史を通じて断続的に借用されてきました.ルネサンス期の「ラテン語かぶれ」の程度を正しく評価するためにも,ラテン単語借用の歴史を概観しておきたいと思います.

そもそも英語が英語になる前の時代,アングロサクソン人がヨーロッパ大陸の北西部に居住していた時代から,後に英語と呼ばれることになる言語は,ラテン語と接触し,ラテン単語を借用していました.すでに5世紀までに,ローマ人との交易を通じて,butter, candle, cat, cheese, mile, pepper, sack, street, tile, wine などの,主として商業に関連する語彙が流入していました.

アングロサクソン人が5世紀半ばにブリテン島へ移住すると,6世紀末までに新たな借用の波が起こります.cock, Latin, master, nun, pear, relic などがこの時期のラテン借用語の例ですが,アングロサクソン人によるガリアなど大陸諸地域との交流が背景にあったとされます.

597年にアングロサクソン人がキリスト教化の方向を示して以降,古英語期の終わりまでに英語に入ったラテン単語は,しばしば宗教,聖書,学問の色彩を帯びています.altar, creed, deacon, verse, grammar, offer, pope, psalm, sabbath, school などです.ある統計によると,古英語期の終わりまでに,すでに合計500語以上のラテン単語が英語語彙に加えられていたとされます.

1066年のノルマン征服に始まり1500年辺りまで続く中英語期に入ってからも,ラテン単語の借用は継続しました.とりわけ後期中英語期を中心に,千数百語のラテン単語が流入しました.その背景には,中世イングランドの知識人が,ラテン語を通じて絶え間なく古典文学,医術,天文学などを学んでいたという事実があります.また,14世紀の宗教改革者ジョン・ウィクリフと弟子たちが聖書を英訳した際に,ラテン語の原典から千語を越える単語を借用したという事情もありました.中英語期のラテン単語借用の特徴としては,現代英語にまで残っている語彙が多いことが挙げられます.数例を挙げれば,client, conflict, equal, explanation, formal, include, item, library, picture, tradition などで,日常語になっているものも少なくありません.

そして,ルネサンス期に至ります.16世紀中だけでも7千語のラテン単語が英語に入ったとされます.ルネサンスのもたらした新しい思想や学問,古典への関心の復活により,ラテン語やギリシア語といった古典語に由来する多数の専門用語が英語に流入しました.また,16世紀は宗教改革とそれに伴う聖書英訳の時代でもあり,翻訳者たちは,聖書を英訳するにあたって適確な語彙が英語に用意されていないことを見て取り,その最も効率のよい解決策として,直接ラテン語から語彙を借用する方法を選びました.既存の語彙は,英語本来語にせよフランス借用語にせよ,あるにはあったのですが,高尚な用語として用いるにはふさわしくないと感じられ,より格上の響きをもった語彙が必要とされたわけです.かくして16世紀後半からの数十年ほどの短期間に,大量のラテン単語が英語に取り込まれました.allusion, confidence, dedicate, describe, discretion, education, exaggerate, expect, industrial, maturity などが挙げらますが,日常語というよりも文章語というべきものが多いことに気づきます.

続く17世紀後半から18世紀前半にかけての王政復古と古典主義の時代は,前の時代に対する反動ともいうべき時代で,ラテン単語の借用のみならず新語の導入そのものが活力を失います.しかし,19世紀以降,学問の進展とともに再び多くの学術用語がラテン語(あるいはギリシア語)で造語されるようになり,英語語彙におけるラテン語の存在感は再び勢いを盛り返しました.この頃までには,英語は,ラテン語との長期の接触により,ラテン語の語形成規則そのものを半ばネイティブに獲得していました.現在,日々新しく作られている専門用語に主として用いられているラテン語のリソースはネオ・ラテン語(近代ラテン語)と呼ばれていますが,これはラテン語要素をラテン語の語形成規則にのっとって派生・合成させる仕組みといえるでしょう.ここまで来ると,英語はもはやラテン語を借用しているというよりは,ラテン語要素を利用しながら英単語を造語していると表現したほうがしっくり来るように思われます.ちょうど日本語が英語要素を利用して自由に「和製英語」を作り上げてきたのと同様に,英語もラテン語要素を利用して自由に「英製羅語」を作り出しているといえます.ネオ・ラテン語に基づく学術用語の例として,Homo sapiens, multinomial, oleiferous, papaverine, paraffin を挙げておきましょう.

OEDによるラテン単語借用の歴史的推移

このように,ラテン語は,多少断続的ではあれ英語史のほとんどの時期を通じて,英語に語彙を供給してきました.英語語彙にはフランス借用語の存在が大きいと言われますが,英語語彙への貢献度としては,その長期にわたる性格といい,規模といい,ラテン語が第1位の座を占めるといってよさそうです.

3 初期近代英語期の「インク壺語」批判

前節でみたように,英国ルネサンスの花咲いた初期近代英語期は,英語史上,ラテン語借用が大爆発した時代でした.特に1530-1660年は,英語史において語彙が最も速く成長した時期とされますが,ラテン語はその時期に最大の貢献をなした言語でした.

しかし,この「ラテン語かぶれ」には,負の側面もありました.ラテン語を格上の言語として仰ぐ学者たちは,半ば盲目的にラテン単語を借用しましたが,衒学的な用語が多く,借用の速度もあまりに急だったため,保守的な論者から “inkhorn terms” (インク壺語)と揶揄されるようになりました.学者のシンボルであるインク壺に引っかけた,巧みなネーミングです.1553年に,代表的な批判家の1人であるトマス・ウィルソンは,著書 The Arte of Rhetorique において,最近はやたらと外来の “ynkhorne termes” ばかり使うヘンテコな言葉づかいが流行しており,母語が忘れ去られてしまったかのようだと不快感を表明しています.別の論者サー・トマス・チェロナーも,そのような語彙を操る者は,“foolelosophers” (fool と philosopher を合わせた「バカ学者」ほどの意)であると非難しています.

当時,ラテン単語は湯水のように借りては捨てられていました.1度か2度ほど使われては消えてゆく「使い捨て」のインク壺語も多かったのです.例えば,adjuvate (aid), deruncinate (weed), devulgate (set forth), eximious (excellent), fatigate (make tired), flantado (flaunting), homogalact (foster-brother), illecebrous (delicate), pistated (baked), suppeditate (supply) など,現代まで残っていたらぞっとしてしまうような単語のリストはいくらでも続けることができます.この時期に入ったラテン借用語の半数は現代まで残っていないともいわれ,まさに死屍累々です.シェイクスピアに初出するラテン借用語に関していえば,その3分の1が現代まで受け継がれなかったという事実も指摘されています.

インク壺語を批判した保守派のなかには,ケンブリッジ大学教授のサー・ジョン・チークのように,反動で言語純粋主義に傾き,英語本来語への回帰を主張する者もいました.彼らは,新しい語彙が必要なのであれば,誰にでもわかる本来語要素を用いた派生語や合成語に訴えるのが得策であり,小難しいラテン借用語など百害あって一利なし,という考えをもっていました.チークは,例えば,マタイ伝の翻訳にあたって,欽定訳聖書では借用語が使われているところで,本来語に由来する語を用いました.lunatic に対して mooned,publican に対して toller,その他 byword (parable), crossed (crucified), foresayer (prophet), freshman (proselyte), gainrising (resurrection), hundreder (centurion) などです.まさに純粋主義者らしい,古色蒼然たるゲルマン語への回帰が目指されています.

しかし,このような純粋主義路線も,時代の大きな潮流にはかないませんでした.インク壺語の半数ほどが後に死語となったと先に述べましたが,逆にいえば,半数ほどは生き残ったということです.たとえ揶揄されたにせよ,インク壺語は確かに英語語彙に大きな影響を及ぼしたのです.一般にどの語が生き残り,どの語が死に絶えるのか,明らかな基準はありません.時の試練を経て,残るものは残り,消されるものは消されていきました.偶然にも生き残ったラテン借用語は,しばしば英語本来語やフランス語に由来する類義語とともに3層構造を構成し,英語語彙の上層を担う存在として定着していくことになりました.現代の英語語彙に見られる3層構造は,ルネサンス期のラテン語にかぶれた革新的な派閥と,言語純粋主義を抱く保守的な派閥との間の,インク壺語を巡る論争という人間ドラマを経て成立したものなのです.

初期近代英語期を特徴づけるラテン単語の洪水は,上で見てきたように,(1) 本来語への回帰を狙う保守派による反動と,(2) 語彙の階層化,を招来しました.ここに,もう1つ興味深い反応を付け加えることができます.(3) 難語辞書の出版ラッシュです.ラテン単語の借用に荷担した識者たちは,インク壺語の意味を解説する難語辞書を世に送り出すことによって,人々を啓蒙しようとしたのです.ロバート・コードリーが1604年に出版した A Table Alphabeticall は,この種の難語辞書の走りでしたが,実はこの辞書は英語史上初の英英辞書でもありました.これを皮切りに17世紀中に難語辞書が続々と出版され,いずれも高い人気を誇りました.このように,16-17世紀のラテン単語の借用は,英語のあり方を巡って展開した1つの社会現象ともいえるものだったのです.

4 近現代日本語の類似現象

ルネサンス期のラテン借用語の洪水がもたらした,言語上,社会上の3つの帰結を見ました.実は,これと酷似する状況が,近現代日本語にも生じています.現代日本語ではカタカナ語の氾濫という事態が起こっていますが,ここでも,(1) 和語(あるいは,少なくとも既存の語を用いた表現)への回帰を主張する保守的な論者が,必ずしも多くはなくとも存在していますし,(2) 既存の表現の上に積み重ねられるようにカタカナ語が定着していくことによって語彙の階層化が進行しており,(3) カタカナ語を解説する辞書が書店の一画を賑わせてもいます.例えば,この観点から「しごとなかま」−「作業部会」−「ワーキンググループ」といった日本語語彙の3層構造をなす各表現について考えてみるのもおもしろいでしょう.

日本語語彙で三つ組をなす類義語群

もう1つの類例として,近代日本語の新漢語問題を挙げることもできそうです.幕末以降,特に明治初期より,日本人は英語をはじめとする西洋語の単語を大量に受け入れるのに,それを漢訳して受容することを選びました.これにより,「階級」「簡単」「教育」「原作」「国会」「重点」「伝記」「内閣」「文学」「方針」などの多数の漢熟語が生まれました.漢訳に当たっては,古来の漢語を利用したり,ロブシャイドの『英華字典』を参照するなどして対処した場合もありましたが,多くは和製漢語を作り出すことによって対処しました.これは,当時の日本の知識人に漢学の素養があったからこそ可能だった選択肢です.この大量の新漢語は「漢語の氾濫」問題を惹起し,一般庶民の言語生活にまで影響を及ぼすことになりました.

例えば,『日本語百科大事典』によれば,『都鄙新聞』第1号(慶應4・明治1)に「此頃鴨東ノ芸妓,少女ニ至ルマデ,専ラ漢語ヲツカフコトヲ好ミ,霖雨ニ盆池ノ金魚ガ脱走シ,火鉢ガ因循シテヰルナド,何ノワキマヘモナクイヒ合フコトトナレリ」という皮肉が聞かれたとありますし,『漢語字類』(明治2)には「方今奎運盛ニ開ケ,文化日ニ新タナリ。上ミハ朝廷ノ制令,方伯ノ啓奏ヨリ,下モ市井閭閻ノ言談論議ニ至ルマデ,皆多ク雑ユルニ漢語ヲ以テス」とあります.『我楽多珍報』(明治14. 9. 30)では「生意気な猫ハ漢語で無心いひ」とまであります.新漢語がこのように流行していたようですが,庶民がどの程度意味を理解していたかは疑問であり,ときに軽蔑の意味を込めて「チンプン漢語」とまで呼ばれていたほどです.このネーミングは,“inkhorn terms” という呼称とも比較されます.そして,従来の和語表現の上に漢語表現が加わったこと,新漢語を一般庶民に解説する漢語字引が次々と出版されたことも,他の2例と驚くほどよく似ています.

英語語彙の階層性の話から説き起こし,英語におけるラテン単語借用の歴史記述を経て,なぜそれがとりわけ初期近代英語期に盛んだったかを解説してきました.最後に,インク壺語を巡る論争の余波を特徴づける3点が,私たちにとって身近な近現代日本語に生じた2種類の語彙借用にも共通して確認されることを指摘しました.場所も時代も異なれど,人間社会は語彙借用を巡って同じような問題意識をもつものなのかもしれません.現代英語の語彙の階層性について考えるとき,同時に現代日本語で漢語やカタカナ語が多用される状況についても思いをはせてみてはいかがでしょうか.

語彙の歴史は,言語社会の歴史そのものです.ラテン単語の借用にとどまらず英語の語彙史の概略をつかみたい方は,拙著の1.5節「語彙の変化」をご一読いただければと思います.


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