英語の「なぜ?」に答える はじめての英語史 コンパニオン・サイト

第9回 なぜ try が tried となり,die が dying となるのか?

1 y と i の不可解な交替

英語の学習において,発音と綴字のギャップに苦しめられている方も多いと思います.この問題については,本連載の第3回「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」や拙著の第2章「発音と綴字に関する素朴な疑問」で取りあげてきましたが,英語の発音と綴字の関係は確かにかなり無秩序のように見えます.規則らしきものがあることは確かですが,そのなかに予想できない不規則な例があちらこちらに散りばめられているため,規則の信頼性が損なわれていると感じられるからでしょう.

連載の第9回では,そのような信頼性に関わる綴字習慣の事例として,try−tried と die−dying にみられる綴字の交替を取りあげます.この2種類の綴字交替は,英語学習の比較的早い段階で学ぶことになる綴字規則ですが,一見すると互いに反対の方向を向いています.try を過去(分詞)形にするときには,y を i にかえて -ed を付すという規則になっていますが,die の場合にはむしろ原形に ie が含まれており,現在分詞形・動名詞形を作るときには,ie を y にかえた上で -ing を加えるのが規則です.多くの学習者はこれらの規則を別々に学んでいますが,両者を結びつけて理解しようとすると,混乱に陥るでしょう.y と i(e) の関係を整理する,もっと汎用性の高い規則や説明はないのでしょうか.

2種類の綴字交替

今回の連載記事では,y と i の関係を巡る歴史,とりわけ y の役割の通時的な変化に焦点を当てながら,現代英語の try−tried と die−dying の謎に迫っていきたいと思います.なお,本文では綴字表記は〈 〉で囲み,発音表記は [ ] で囲むことにします.

2 古英語期,音変化により〈y〉が不要に

この謎に歴史的に迫るには,古英語期にまで,究極的にいえば紀元前1700年頃のアルファベットの起源にまで遡らなければなりません.アルファベットの起源については本連載の第3回「なぜ英語は母音を表記するのが苦手なのか?」で解説しましたが,いま私たちが問題としている〈y〉の文字は,原初アルファベットにおける wāu と称される文字から派生した文字の1つです.wāu に由来する文字として他に〈f〉,〈u〉,〈v〉,〈w〉があり,これらはすべて姉妹関係にある文字といえます.

現在の感覚では,〈y〉はそれが表わす発音(典型的には [ɪ] や [aɪ] など)から〈i〉と結びつけるのが普通ですが,歴史的にはむしろ〈u〉と縁が深い文字です.〈y〉と〈u〉が近縁であることは,ギリシア・アルファベットの第20字「ユプシロン」の大文字〈Υ〉と小文字〈υ〉を比較してみるとわかるでしょう.ギリシア語では,この文字は [i] や [u] ではなく,現代のフランス語やドイツ語にある「円唇前舌高母音」 [y] の発音を表わすのに用いられました.唇を丸めて突き出した極端な「ウ」の口構えをしながら,気持ちとしては「イ」と発音すると,この母音が得られます.U と I の中間音ということができそうですが,実のところ Y の文字の「ワイ」[waɪ] という英語の呼称は,U +I に由来するのではないかという説があります.

さて,このギリシア語の文字は,ラテン語を経由して6世紀末に〈y〉として英語に入ってきました.初期古英語(紀元700-900年頃)では [i(ː)] の音を〈i〉の文字で,[u(ː)] の音を〈u〉で表わしていましたので〈y〉の文字は特に出番がないように思われるかもしれません.しかし,初期古英語には,現代標準英語には存在しない件の母音 [y(ː)] が音素として存在していたのです.つまり,〈y〉の文字には〈i〉とも〈u〉とも異なる独自の役割があったことになります.この母音を示す古英語単語の1例として mȳs [myːs](ネズミたち)を挙げましょう.この語は,単数形 mūs [muːs](ネズミ)の母音を変化させて作った複数形です.現在でも mouse [maʊs]−mice [maɪs] として単・複数形における母音対立が引き継がれていますが,当時は mūs [muːs]− mȳs [myːs] という対立をなしていました.

ところが,後期古英語(900-1100年頃)になると「平唇化」という音変化が生じ,[y(ː)] は軒並み [i(ː)] へ融合してしまいます.いまや「ネズミたち」は,mȳs [myːs] ではなく mīs [miːs] となりました(その約500年後に,この長母音 [iː] が「大母音推移」という過程を経て [aɪ] へ変化し,私たちの知っている [maɪs] にたどり着きます).平唇化により〈y〉は文字としての存在意義を失ったわけであり,英語の綴字から消えていくのも時間の問題と思われました.もしこのときに消えていれば,現在の try−tried や die−dying の問題はあり得なかったことでしょう.

3 中英語期,〈y〉が再び役割を見出す

しかし,〈y〉はしぶとく生き残り,中英語期(1100-1500年頃)まで生き長らえました.[i(ː)] の音を表わすのに〈i〉だけで十分に用を足せるところに,〈y〉も居残った結果として,いずれも好き勝手に使ってよいという綴字習慣が発達しました.合理的に考えれば,同じ音を表わす文字が複数あるというのは不経済ですが,言語は必ずしも経済的に振る舞うとはかぎりません.例えば,中英語では現在の th 音を表わすのに,〈þ〉(thorn) と〈ð〉(eth) の2種類の文字(じきに〈th〉も加わって実に3種類)が同機能で併存していましたし,現代日本語でも〈じ〉と〈ぢ〉,〈ず〉と〈づ〉はそれぞれ同じ発音を表わしますが,共存しています.〈y〉が捨てられずに保たれたのは,古英語の綴字習慣の惰性という側面が大きいですが,もう1つの理由として,ラテン語でも同様に発音上の区別がないにもかかわらず,〈y〉が〈i〉とは別に,主としてギリシア語からの借用語の綴字に用いられていたという事情も関与していたのではないかと思われます.

このようにして,古英語から中英語への過渡期の時代に,〈i〉と〈y〉のいずれも好き勝手に使ってよいという,野放図な習慣が発達しました.しかし,その一方で〈y〉の新たな役割が芽生えつつありました.それは「縦棒回避」 (minim avoidance) というきわめて実用的な役割でした.縦棒 (minim) とは,〈i〉の上の点がない1画の〈ı〉という縦線のことです(〈i〉の上に点を付すという新機軸は,ラテン語で12世紀に芽生えた習慣で,定着するのはもっと後の時代のことです).縦棒はそれ1本で〈i〉を表わしたほか,2本並べて〈n, u〉,3本並べて〈m〉をも表わしました.これは,縦棒どうしをつなぐ横方向の明確なストロークがなかったためです.すると,例えば3本の縦棒で〈ııı〉と書かれていたときに,読み手は〈iii, in, iu, m, ni, ui〉など,様々な可能性を考慮しなければなりません.たいていは文脈の助けにより解決できるので,縦棒3本ぐらいでは大騒ぎすることもないのですが,縦棒が5本も6本もあると,読み手のみならず書き手も目がチカチカしたことでしょう.

この現実的な問題に対して,縦棒回避の様々な対策が試されることになりました.〈n〉や〈m〉を構成する縦棒の1つとしてではなく,独立した1文字の〈i〉であることを明示したい場合に,前述のように上に点を付すというのも1つの解決法でした.下に左向きのフックを添えて〈j〉としたり(〈j〉の文字の起こり),目立つ大文字の〈I〉を代用したりする方法(1人称代名詞が常に大文字で書かれる所以)も試されました.

そして,なかでも手っ取り早い方法の1つが,独立した機能をもたずに余っていた〈y〉を活用することでした.〈y〉の文字は下に長くはみ出した尾部をもっており,装飾的にも映えます.これにより,例えば minster (教会堂)を表わす ııııııster は,しばしば ıııyııster などと綴られるようになり,3人称代名詞男性与格形の him を表わす hıııı はしばしば hyııı と綴られるようになりました.読み手にとっても書き手にとっても,少し負担が軽減されたわけです.こうして,13世紀半ばまでに〈y〉は久しぶりに独自の存在意義を見出しました.そして,この場合の存在意義が,表音的,理論的な役割というよりも,字形的,実際的な役割であるというのがおもしろいところです.

縦棒回避の〈y〉

もっとも,〈i〉の代用としての〈y〉を含めた,これらの縦棒回避の方策が,一貫して実践されたわけでもありません.中英語期の間には本格的な綴字の標準化はなされず,綴字はあくまで書き手個人の癖に委ねられていました.したがって,縦棒が複数並ぶ問題の処方箋の1つとして〈y〉が用いられるようになったことは,緩やかな傾向として指摘できるものの,〈y〉と〈i〉は本質的には今なお交換可能な関係にとどまっていました.むしろ,縦棒回避策が一貫していなかったことにより,〈y〉と〈i〉の揺れがますます予想不可能になったということすらできるかもしれません.

この綴字習慣はやがて消えていき,現代にまで生き残りませんでした(ただし,第5節で触れる「〈ii〉回避」規則にその痕跡が残っています).しかし,初期中英語期に開発されたこの〈y〉の実用的な機能は,一時的とはいえ〈y〉の文字を延命させるのに貢献しました.そして,〈y〉は生きながらえているその間に,近代英語期にかけて,別の生き残りのチャンスをつかむことができたのです.

4 初期近代英語期,〈y〉と〈i〉の揺れの拡大と収束

〈y〉と〈i〉の揺れは,初期近代英語期(1500-1700年)にまで引き継がれました.実際,16世紀でも king〜kyng, wille〜wylle, roial〜royal, saieth〜sayeth のような揺れは普通に見られました.それでも,近代英語期は英語の綴字の標準化が目指された時代でもあり,綴字体系を整理する努力の一環として,〈y〉と〈i〉の使い分けの基準が模索されていたことも事実です.

例えば,前代から現われていた傾向ではありますが,語頭・語中で〈i〉を,語末で〈y〉を用いるのが一般的となってきました.次の語との間に十分な空白が置かれないケースでは,〈i〉だと周囲の文字に埋没してしまい,語末であることが明確に示されなくなる恐れがあります.そこで,語末ではダミーの〈e〉を添えて〈ie〉とするか,あるいは〈y〉を用いるなどの方法が選ばれるようになりました.

また,15世紀後半より英語が印刷に付されるようになると,印刷家は行末を揃える必要から,都合によっては1文字で済ませられる〈y〉を,都合によっては2文字の〈ie〉や〈ye〉を用いるなどしました.例えば,この時期の印刷家は pity という語を,都合に応じて pity, pyty, pitie, pytie, pittie, pyttye などと自在に綴りかえました.これは,従来からの一般的な〈y〉と〈i〉の揺れに加えて,特に語末における〈y〉と〈ie〉の揺れに拍車をかける結果となりました.印刷の普及によって綴字の標準化が一気に進むかと思いきや,むしろ既存の混乱がさらに深まったというのも皮肉な話です.

しかし,皆がこのような混乱に甘んじていたわけではありません.例えば,16世紀後半の教育界の重鎮リチャード・マルカスターは語末の〈y〉と〈ie〉の使い分けを提案しました.弱い [i] を表わす場合には〈ie〉を,強い2重母音 [aɪ] を表わす場合には〈y〉を使用することを勧めたのです.dictionarie, gentlie, verie に対して cry, defy, deny のようにです.しかし,その直後の1604年にロバート・コードリーという人物が出版した英語史上最初の英英辞書 A Table Alphabeticall では,先のマルカスターの提案は反映されておらず,同じ -ly 語尾でも,abruptly とあるかと思えば craftilie とあるなど,一貫していませんでした.

このような揺れの問題も,17世紀が進むにつれ「語末〈y〉」の規則が定着することにより,ようやく解消していきました.なぜ try に対して tried であるかが,この規則により説明されます.try は語末だから〈y〉なのであり,tried は語末でないから〈i(e)〉なのです.ただし,語末の〈y〉と〈ie〉の頑固な揺れの歴史は,現代にも少なからぬ禍根を残しています.movie, auntie, birdie, rookie, Susie などでは〈-ie〉が見られますし,一般に比較的最近英語に入った借用語は英語の標準的な綴字習慣に従わないことも多く,calorie, genie, lingerie, prairie, zombie などでは〈-ie〉を示します.また,〈-y〉でも〈-ie〉でもない例外的な語末の〈-i〉も,taxi, bikini, chilli, nazi, spaghetti などに確認されます.

「語末〈y〉」の傾向と平行して「語頭・語中〈i〉」の傾向も確立していきました.この傾向は現代英語にまで受け継がれますが,例外を許す緩い規則にとどまっており,〈y〉と〈i〉の揺れと混乱は少なからぬ単語において残存しています.現代英語で,形容詞・副詞語尾 -ly を付す場合に,day, happy に対しては予想通り〈y〉が〈i〉に替わって daily, happily となりますが,dry, shy などの短い語では〈y〉が据え置かれ dryly, shyly ともなりえます.また,dryer/drier, flyer/flier, gypsy/gipsy, syren/siren, tyre/tire などの語ではいずれの異綴りも許容されます.さらに Smith さんがいるかと思えば,Smyth さんもいますし,14世紀後半の宗教改革者 Wycliffe は Wiclif とも綴られます.中英語から初期近代英語にかけて常態化していた〈y〉と〈i〉の自由な交替は,現代の綴字における種々の混乱の遠因となっているのです.

5 後期近代英語期,様々な規則の発達

17世紀以降,綴字の標準化が進むにつれ,様々な綴字習慣が緩やかに発達し,定着していきました.その1つに「3文字」規則 (three letter rule) があります.機能語(文法機能を表わす単語)を除き,1音節からなる内容語(語彙的意味をもつ単語)は3文字以上で綴らなければならない,という規則のことです.例えば,a, am, an, at, be, by, do, he, I, if, is, it, me, my, of, on, or, to, us, we はいずれも冠詞,代名詞,前置詞,接続詞,助動詞といった機能語であり,1文字あるいは2文字で綴ることが許されますが,内容語は add, Ann, bye, cue, die, due, ebb, egg, err, eye, foe, inn, lie, roe, rye, see, sue, tie, toe, vie のように,ダミーの文字を加えるなどして何とか3文字にしなければならないということです (cf. an/Ann, be/bee, by/bye, an/Ann, to/too) .機能語はしばしば発音上も強勢がおかれず意味も薄いので短い綴字でも許され,内容語は通常強勢がおかれ意味も濃いので長い綴字が好ましい,という発想が綴字習慣として定着したものと考えられます.内容語でも go, ax, ox など規則に従わない例外もありますが,きわめて稀です.この規則は,17世紀にはおよそ確立していました.

「3文字」規則は,なぜ die, try がこのような綴字であるかを説明してくれます.本来は「語末〈y〉」の規則に従って dy がふさわしいところですが,「3文字」規則の効力のほうが上回り,3文字に仕立て上げるために die となります.try については,たまたま語頭に2つの子音(字)をもつため,「語末〈y〉」を加えればめでたく3文字となり,これで完成です.

もう1つ,「〈ii〉回避」規則があります.英語の綴字では,〈ee〉と〈oo〉はよく目にしますが,〈ii〉,〈uu〉はほとんど見られません.これは中世の縦棒回避の習慣に起因します.この「〈ii〉回避」規則は,dying の綴字を説明してくれます.この動詞の原形は上でみたように die と綴られますが,これに -ing 語尾を規則通りに加えると diing となるはずです.しかし,〈ii〉が現われてしまうため,最初の〈i〉を〈y〉に置き換えて dying としているわけです.ちなみに,英語の綴字では〈yy〉の回避も見られます.例えば,clay, sky に形容詞語尾 -y を付す場合には clayey, skyey のようにダミーの〈e〉が挿入され〈-yey〉となる例があります.

最後にもう1つ,「3母音字回避」規則に触れておきましょう.英語では古くから〈aie〉,〈aue〉,〈oue〉などの3つ以上の母音字を連続して綴ることは避けられてきました.これは,〈i〉や〈u〉の文字が,母音字としてだけではなく,それぞれ [j], [v, w] といった子音字として用いられることもあったために,解読に際して混乱を招き得たからと考えられます.「3母音字回避」規則は,try−tried と異なり play−played においてはなぜ plaied とならないのかを説明してくれます.play の〈y〉は「語末〈y〉」規則に則っていますが,語尾を付加すれば語末の環境ではなくなるため plaied などとなりそうです.しかし,plaied では3母音字が続いてしまうので,原形の〈y〉を活かして played とするわけです (cf. lay−laid, pay−paid, say−said) .

関連して,動詞の3単現形についても考えておきましょう.try−tries については上記の try−tried と同様の説明が当てはまりますが,play−plays ではなぜ playes とならないかが問題となります.play の過去形が plaied → played となったのだから,3単現形も plaies → playes となってよさそうですが,実際には e のない plays という形です.この理由として,初期近代英語以降,3単現語尾は〈-es〉に代わって〈-s〉が優勢となったこと,また「母音字+〈y〉」の組み合わせが比較的よく好まれ,保持されたことが挙げられます.3単現語尾を〈-es〉ではなく〈-s〉で綴ることが原則となったことで,playesの〈-es〉の形は避けられるようになり,playsが定着したのです.このルールでいくと,try の3単現形は tries ではなく tris となりそうですが,母音字が先行しない場合の〈-ies〉は前代からの習慣として保持されたため,tries, studies, dies, lies などはそのまま残りました.名詞の複数形の -s についても,事情はまったく同じです (cf. boys, days; cities, ladies) .

中英語期から現代英語期にかけて歴史的に育まれてきた様々な規則(正確には傾向以上,規則未満というべきでしょうか)をまとめておきましょう.

綴字の様々な規則

6 〈y〉と〈i〉の関係の理解のために

このように,歴史的に各々の綴字規則が独立して発展し,互いに絡み合いながら個々の単語の綴字を決定づけていきました.結果として,単一の大規則のもとにはまとめられない複雑な現代英語の綴字体系が生まれてしまいました.しかし,そこには決してランダムではない,歴史的に根拠のある小規則の集合が隠されているのです.古英語以前からの歴史を概観してきた上で,改めて標題の問題「なぜ try が tried となり,die が dying となるのか?」に,どのように答えることができるか考えてみましょう.

英語の綴字史において,現代英語の [ɪ] や [aɪ] に対応するかつての母音は,原則として〈i〉で表わされてきました.確かに後期古英語以降,〈y〉が平唇化して〈i〉と同じ母音を表わし始め,両文字共存の歴史が開始されましたが,〈y〉はあくまで新参者であり主役ではありませんでした.〈y〉の脇役としての位置づけは,現在に到るまで大きく変わっていません.しかし,〈y〉は中英語期以降,実用的な縦棒回避のために利用されるようになり,少しずつ〈i〉の占有していた領域に食い込んでいきました.近代英語期にかけては,おそらくその目立った字形ゆえに「語末〈y〉」の傾向が生じてきました.そして,綴字の標準化が完成に近づく17世紀以降,「3文字」規則,「〈ii〉回避」規則,「3母音字回避」規則などの様々な小規則が加わり,それに応じて〈y〉が本来〈i〉の担っていた領域をさらに侵食していきました.つまり,通時的にみれば「デフォルトは〈i〉だが,ある条件下ではそれが〈y〉に置換されてきた」と考えるのが妥当です.これを現代英語の共時態としてとらえなおせば,「デフォルトは〈i〉だが,ある条件下ではそれが〈y〉に置換される」となります.

try は 本来はデフォルトの〈i〉を用いた tri となるはずですが,「語末〈y〉」の規則により try となります.過去(分詞)形の tried では,語末ではなくなるので素直にデフォルトの〈i〉を用いて〈tried〉とします.

一方,die は本来はデフォルトの〈i〉を用いた di となるはずですが,「3文字」規則に則るべくダミーの〈e〉を加えて die とします.dying については,デフォルトの原形 di に -ing を加えて diing とすると「〈ii〉回避」規則に抵触するので,最初の〈i〉を異綴りの〈y〉で置き換えて dying とします.選択肢としては dieing もあるかもしれませんが,これは「3母音字回避」規則ゆえに実現しません.なお,「染める」を意味する dye−dyeing は,「死ぬ」の die−dying と綴字の上で区別するための,特殊なケースです.

なぜ try が tried となり,die が dying となるのか?

デフォルトの綴字を tri, di と仮定することは,普段 try, die という綴字に慣れ親しんでいる私たちには抵抗があるかもしれませんが,上記のように通時的にも共時的にも理に適っています.これらの単語の綴字において,〈y〉は本来ないものと考え,〈i〉がデフォルトと考える.その上で,デフォルトの〈i〉が,ある条件下で〈y〉になると考えるのが妥当です.この見方は,一般の文法書や教科書にあるような「try の y を i にかえて -ed を付ける」という説明とは正反対であることに注意してください.try の〈y〉こそが説明を要するのです.

拙著でも繰り返し主張しましたが,現代英語における「なぜ○○にだけ□□が適用されるのか」という問いは,裏から考えて「なぜ○○以外では□□が適用されないのか」と発問し直すほうが適切な場合がしばしばあります.今回の問題も,歴史の事実に立脚し,問題を裏から考えることで,完璧とはいわずとも,それなりに納得のいく理解が得られるケースではないでしょうか.

もっとも,教育の現場でこの見解を採用し,try−tried, die−dying となる理由を説明することが妥当かどうかは別問題です.歴史的にはこの見解に裏付けがあるとしても,様々な小規則が複雑に働いた結果として現在の標準的な綴字が成立しているのであって,それを詳しく説明しても,多くの学習者にとっては負担でしかないでしょう.それに,これらの小規則をフルに活用しても,まだ説明できない例も存在します.したがって,複雑な規則を適切に組み合わせることによって,正しい綴字が導かれる手順を解説するよりは,従来の説明を続けるか,暗記せよと指導するほうが現実的であることは否めません.

筆者が今回主張してきた歴史的な見方は,英語綴字の教育や学習に直接供するというよりは,一見無秩序で不規則な現在の綴字が,決してランダムではなく,歴史の過程で根拠をもって採用されてきたものであると学習者に納得させられる点で有意義なのだと思います.英語の歴史的な視点は,英語学習の便法よりもずっと大事で応用の利く,新しいモノの見方を提供してくれるのです.


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