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読んで味わう ドイツ語文法

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現在完了形

Das hat dir der Teufel gesagt,
               イフェル ゲークト
das hat dir der Teufel gesagt.
それをおまえに悪魔が言ったのだな、
それをおまえに悪魔が言ったのだな!


「ルンペルシュティルツヒェン」挿絵
▲グリム兄弟がデザインされたドイツの切手

1.現在完了形

 前の課で、グリム・メルヒェンの「ルンペルシュティルツヒェン(Rumpelstilzchen)」のお話をしました。冒頭の文は、名前を言い当てられた妖精が、自分のからだを引き裂いたときのセリフです。前の課では日本語だけで紹介しました。実はこのセリフは、この課のテーマである現在完了形なのです。

 主語は der Teufel「悪魔」で、das が4格(Akkusativ)で「それ(私の名前)を」、dir が du の3格(Dativ)で「お前に」という意味です。そして、この課のテーマである現在完了形が、hat ... gesagt です。完了を表す助動詞 haben の現在人称変化形と、sagen「言う」の過去分詞で作られています。過去分詞が文末に位置しているのは、助動詞や分離動詞の文の作り方と同じですね。助動詞では不定形が、分離動詞では分離の前つづりが文末に位置するのでした。

 なお、定動詞(時制と主語に合わせて変化して,かたちが定まった動詞)が2番目の位置(Ⅱ)にあれば、主語の位置は比較的自由です。この文のように、das や dir といった情報量の少ない「軽い」言葉である代名詞が前のほうに来て、der Teufel のように名詞として新しい情報を含む「重い」言葉が後ろに来ることはよくあります。

2.現在完了形は日常会話で頻出

 現在完了形は、基本的に日常会話で過去の出来事を語るときに使います。英語だと、yesterday などの時間を表す言葉は完了形では使えず、過去形とともに使うしかありません。しかし、ドイツ語では、そうした時間を表す言葉も完了形で使うことができるので、以下のように、現在完了形で過去に起きた出来事を話せるのです。

Ich habe gestern „Rumpelstilzchen“ gelesen.
         スターン   ムペルシュティルツヒェン  ゲーゼン
きのう「ルンペルシュティルツヒェン」を読みました。

 過去分詞は、他動詞の場合には「〜された」という受動の意味を核として持っています。その意味から考えると、完了形は、「きのう…読まれた(gestern ... gelesen)」という状態を今も続けて持っている (haben) 様子を表現している、と考えられます。終わった出来事だけど、今の自分に関係がある、というニュアンスがあるのです。

 また、英語との違いで気をつけたいのは、「継続」の意味を表現するときに、英語では完了形を使うのに対して、ドイツ語では現在形を用いることです。

Seit April lerne ich Deutsch.
イト プリル ァネ     イチュ
4月からドイツ語を学んでいます。

3.有名な歌

 現在完了形を使っている有名な文としては、次の歌のタイトル(と歌詞)があります。

Ich hab' mein Herz in Heidelberg verloren.
    ープ      ァツ     イデルベァク  フェァーレン
私の心をハイデルベルクでなくしてきた。

 verloren は、verlieren[フェァーレン]「失う」の過去分詞です。この曲は1925年に発表され、上のフレーズは曲中で何度も繰り返されます。作詞はフリッツ・レーナー=ベーダ(Fritz Löhner-Beda: 1883-1942)とエルンスト・ノイバハ(Ernst Neubach: 1900-1968)、作曲はフレッド・ライモント(Fred Raymond: 1900-1954)。発表後すぐにヒット曲となり、今では一種の民謡のような扱いになっています。同名の映画とオペレッタも作られています。この歌詞をモチーフにした絵はがきも、当時大量に作られました。

▲Ich hab' mein Herz in Heidelberg verloren

 この絵はがきコレクションは、ミュンヘン大学のドイツ文学科のイェーガー教授が中心となって作っているHP、„Goethezeitportal“「ゲーテ時代ポータル」で公開されています。このHPには、専門的な論文データが置かれている一方で、ゲーテ時代の文学作品はもとより、民謡やメルヒェンなどがどのようにイラストや写真によってイメージ化されてきたのかがわかるページも多数あり、非常に充実しています。時間があれば、ぜひ覗いてみてください。

4.haben か sein か、それが問題だ

 実はドイツ語の完了形には、2つの種類があります。冒頭の文のように、haben で作る完了形だけでなく、sein で作る完了形もあるのです。どういう場合に sein を使うかは、はっきりと決まっています。

 大前提は、動詞が自動詞(4格の目的語を取らない動詞)であることです。なお、ドイツ語で他動詞というのは、4格の目的語を取る動詞のことです。

 そして、自動詞のなかでも、次のような動詞が sein で完了形を作ります。

(1) 場所の移動を表す動詞:gehen「行く」、fahren「(乗り物で)行く」、reisen「旅する」など

(2) 状態の変化を表す動詞:werden「なる」、wachsen「育つ」、sterben「死ぬ」など

(3) その他:sein「である」、bleiben「とどまる」、passieren「起こる」など

 例えば、古代ローマの政治家カエサル(英語読みだとシーザー)が、ルビコン川を渡ったときに言ったとされる言葉「賽は投げられた」は、

Der Würfel ist gefallen.
    ヴュァフェル    ゲファレン

となります。fallen「落ちる」という動詞は自動詞で、かつ場所の移動を表しているため、sein と完了形を作るのです。

 なお、この sein を使って作る現在完了形は、英語に慣れた学習者にとっては難関となります。私にとっても、完了形での haben と sein の使い分けは、いまだに鬼門です。もう30年以上学んでいるのに、今でもうっかりすると、「私は行った(gehen)」を、口頭で ×Ich habe ... gegangen. と言いそうになることがあります。もちろん、気づいて修正はするのですが、修業の道は遠いなあ…、というのが実感です。

5.現在完了形は今の自分とのつながりを意識した表現

 上のカエサルの言葉は、現在完了形が過去の出来事と今の自分とのつながりを強く意識している表現だということが分かる好例でもあります。

 カエサルは、軍隊とともに越えてはならないとされたルビコン川を越えて、ローマに入るという決断をしました。「決定的な一歩を踏み出してしまった、もう先に進むしかない」というカエサルの緊迫した思いが、この現在完了形(カエサルのラテン語原文も現在完了形)から響いてきます。

 この文を、

Der Würfel fiel.
          フィール
賽は投げられた。

と過去形でドイツ語にすると、まるで自分と関係のない過去の出来事を客観的に報告したように響き、この緊迫した場面にまったく相応しくない表現となってしまうのです。



練習

 次の文を日本語に訳してみましょう。

1. Wer hat von meinem Tellerchen gegessen? (aus „Sneewittchen“)
【ヒント】wer: だれが von: 〜から das Tellerchen: 小さな皿 gegessen ← essen: 食べる Sneewittchen: 白雪姫

 

2. Der Mond ist aufgegangen. (Matthias Claudius)
    ーント     オフ・ゲンゲン
【ヒント】der Mond: 月 aufgegangen ← aufgehen: 上る

 

3. Ich habe, glaube ich, die Zwischenstufe
          グオベ         ツヴィシェン・シュトゥーフェ
zwischen Tier und Homo sapiens gefunden.
         ティーァ                 ゲンデン
Wir sind es. (Konrad Lorenz)
【ヒント】glaube ich: 挿入句で「私が思うに」(glauben: 思う、信じる)  die Zwischenstufe: 間の段階 zwischen: 〜の間 das Tier: 動物 Homo sapiens: ホモ・サピエンス gefunden ← finden: 見出す

 



まとめ

 現在完了形は、「haben/sein + 過去分詞」で作ります。

 過去分詞は文末に位置します。

 sein を使う場合は決まっており、自動詞で、場所の移動や状態の変化などを表す動詞です。



ドイツ文化ひとこと Schlager ドイツの歌謡曲

 „Ich hab' mein Herz in Heidelberg verloren“ のような、ドイツ風の歌謡曲のことを、der Schlager[シューガー]と言います。おそらく日本の歌謡曲も、厳密な定義が難しいように、ドイツの Schlager も、言葉で定義するのは容易ではありません。しかし、日本の歌謡曲の旋律に一定の「らしい」特徴があるように、Schlager にも耳にすると、「あ、これは Schlager だ」と思わせるものがあります。分かりやすい歌詞に、親しみやすい旋律で、高尚な芸術性よりも大衆に訴える娯楽性を目指した歌と言えばいいでしょうか。

 Schlager と呼ばれる曲は、19世紀後半から存在していました。しかしジャンルとして本格的に定着していくのは、第一次世界大戦が終わり、映画やラジオといった大衆の娯楽が普及した1920年代からです。Schlager の代表曲としては、映画のなかの挿入歌、例えば以前紹介したマレーネ・ディートリヒの映画『嘆きの天使』(1930)の „Ich bin von Kopf bis Fuß auf Liebe eingestellt“「頭から足先まで恋愛モード」や、「ハイデルベルク」の歌と同じ NeubachとRaymond による „In einer kleinen Konditorei“「小さなケーキ屋で」(1929)、一世を風靡した男声アカペラグループ、コメディアン・ハーモニスツ(Comedian Harmonists: 1927-1935)の曲、例えば „Ein Freund, ein guter Freund“「友、よき友」(1930)などが思い浮かびます。

▲Ich Bin Von Kopf Bis Fuss Auf Liebe Eingestellt

▲Ein Freund ein guter Freund

 こうした歌は、今聴いても楽しめるだけでなく、「黄金の20年代」の雰囲気を濃厚に伝えてくれる貴重なものです。




第26課
第28課


矢羽々 崇(やはば・たかし) ■ 執筆者プロフィール

1962年岩手県盛岡市生まれ。ミュンヘン大学マギスター(修士)、上智大学博士(文学)取得。獨協大学外国語学部ドイツ語学科教授。専門は近現代ドイツ文学(主に叙情詩)。著書は、『「歓喜に寄せて」の物語――シラーの詩とベートーヴェンの「第九」』(2007年)ほか多数。2000~2002年度および2007年度に「ラジオドイツ語講座」講師、2008~2010年度「テレビでドイツ語」講師を担当。






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