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読んで味わう ドイツ語文法

34

受動文

Wer wird gerettet?
          ゲテト
誰が救われた?


ヒトラー ゲッベルス、ゲーリング、ヒムラー
▲ナチス幹部の写真(ヒトラー[中央]、ゲッベルス[ヒトラーの左後]、
ゲーリング[右端]、ヒムラー[左端])

1.ナチス時代の民衆ジョーク

 上の文は、ナチス時代に語られたナゾナゾの一部です。werden動詞と過去分詞が結びつくと、「~される」という受動の意味になります。ここでは、werden は主語の wer「誰が」に合わせて3人称単数の wird となっていて、文末には規則変化動詞 retten「救う」の過去分詞 gerettet が置かれています。

 紹介した文では、他の文要素がないのでわかりませんが、他の文要素があれば、werden と過去分詞の間に挟まれて枠構造となります。例えば、jetzt「今や」を入れると、

Wer wird jetzt gerettet?

となるわけです。

 ナゾナゾの全文は、次の通りです。

Hitler, Goebbels, Göring und Himmler sitzen in einem
Flugzeug. Das Flugzeug stürzt ab. Wer wird gerettet? —
ークツォイク            シュトュァツト
Deutschland.
ヒトラー、ゲッベルス、ゲーリング、ヒムラーが飛行機に座っていた。飛行機は墜落した。誰が救われた? — ドイツ(が救われた)。

 ナチスドイツの幹部が死ねば救われるのはドイツだ、というジョークです。暗い時代だからこそ、ジョークに救いを求めたドイツ人の思いが読みとれます。

2.自由をめぐって

 第8課でドイツ人にとっての「自由」について触れましたが、自由は前の課で紹介したルクセンブルクの言葉のテーマでもありましたし、この課の最初に出したナチスジョークの裏にも隠されているテーマです。「自由」をめぐって、ドイツ人は多くの思索を重ねてきています。

 「自由」に関する至言のひとつは、戦後西ドイツ文学を代表するひとりで、ノーベル賞作家でもあるハインリヒ・ベル(Heinrich Böll: 1917-1985)が残した次の言葉です。

ハインリヒ・ベル
▲ハインリヒ・ベル *1

Freiheit wird nie geschenkt, immer nur gewonnen.
       ヴィァト   ゲシェンクト            ゲヴォネン
自由は決して贈られることはなく、常にただ獲得される。

 この文の主語は、Freiheit「自由」です。werden の3人称単数 wird が、schenken「贈る」と gewinnen「獲得する」の過去分詞、それぞれ geschenkt、gewonnen と結びついて受動の文となっています。

 この文は、まさに受動での表現がぴったりはまっている例です。受動の表現では、動作の主体ではなく、動作そのものに焦点が当てられます。ベルの文を能動で言おうとすると、とても据わりが悪くなります。だれが自由を獲得するのかはまだしも、だれが自由を贈るのかとなると、神のような超越的な存在なのか、それとも他の何なのか、明確に答えられる問題ではありません。ゆえに、主体を明示せずに受動で表現するほうがいいわけです。

 主体ではなく動作が中心というは、次の文でも当てはまります。

In der Schweiz werden Deutsch, Französisch,
      シュヴァイツ                フランツェーズィシュ
Italienisch und Rätoromanisch gesprochen.
イタリーニシュ     レト・ローニシュ
スイスではドイツ語、フランス語、イタリア語そしてロマンシュ語が話されています。

 この文では、主語がスイスの人々というのは自明です。そして、自明な主体を意識させるよりも、言語(活動)そのものに焦点を当てるほうがすっきりするわけです。主語が複数あるので、定動詞は werden となっています。文末の gesprochen は、sprechen「話す」の過去分詞です。

3.スイスの言語

 2015年のスイス統計局のデータによると、先ほど挙げたスイスの4つの言語のおおよその割合は、ドイツ語63.0%、フランス語22.7%、イタリア語8.1%、ロマンシュ語0.5%です。

 実は、この4言語以外の「外国語」の割合は、20%を超えています。上位にある3言語を紹介すると、英語4.9%、ポルトガル語3.7%、アルバニア語3.0%などで、ロマンシュ語よりも格段に数値が高いことがわかります。ただし、複数の言語を使うとする話者もいるため、総計すると115%強になり、2言語以上を仕事や家庭で使う人も、単純計算で15%はいることになります。

 馴染みのないロマンシュ語については、東京外語大学の富盛伸夫先生のとても分かりやすく、かつ参考になる記事がありますので、これを手元に置いて、かいつまんで説明します。

 ドイツ語で Rätoromanisch と呼ばれるロマンシュ語は、古代ローマのラテン語がもととなり、そこに土着の言語が混じってできた言語(Romanisch)のひとつです。例えば、広い意味では、イタリア語やスペイン語、フランス語もそうです。このスイス南部からイタリア北部の限られた地域で話される言語に、Räto- という前つづりがついているのは、この地域がかつてレチア(Raetia)人が暮らした地域だったためです。

 現在の話者数は、35,000人程度ですから、実際に話す人はそれほど多くありません。歴史的には、ヒトラーのドイツとムッソリーニのイタリアに南北を挟まれた時代に、スイスの独自性や独立を際立たせる言語としてロマンシュ語が「国語」としての地位を得ます(1938年)。この言語が話されているグラウビュンデン州の当該地域では、ロマンシュ語が学校で教えられていますし、テレビの番組や新聞、雑誌もあるそうです。

 日本の場合、北海道のアイヌ語や八丈島の八丈語、沖縄の与那国語や八重山語などは、ユネスコによって消滅の危機にあるとされています。こうした日本の少数言語が、積極的な保護の対象となっていないのとは対照的です。

4.自動詞でも受動の文

 ドイツ語で面白いのは、自動詞でも受動の表現が可能なことです。次の文は、前にちょっと触れたことのある、ビスマルクの言葉とされるものです。

ビスマルク
▲ビスマルク

Es wird niemals soviel gelogen vor der Wahl,
       ーマルス       ゲーゲン
während des Krieges und nach der Jagd.
ヴェーレント     クーゲス             ークト
選挙前、戦争中、狩りの後ほどやたらと嘘がつかれるときはない。

 gelogen は lügen「嘘をつく」という自動詞の過去分詞です。過去分詞が文末に置かれていないのは、文法的に破格にしても、ジョークのオチを最後に持ってきたかったためでしょう。今ならば狩りのかわりにゴルフでしょうか。

 ちなみに、vor「~の前に」は3格と、während「~の間に」は2格と、nach「~の後に」は3格と結びつく前置詞ですね。

 もしこの文が能動文であれば、漠然と「人々」を表す man(3人称単数)を主語にして、

Man lügt niemals soviel vor der Wahl,
während des Krieges und nach der Jagd.

と言えるでしょう。4格目的語がないので、英語であれば受動の文は作れません。ところがドイツ語では、上の文のように、esを主語として表現できるのです。さらに面白いのは、文中の他の要素を文頭(Ⅰの位置)に置くと、esが消えてしまうことです。

Niemals wird soviel gelogen vor der Wahl,
während des Krieges und nach der Jagd.

 このように、主語がない文ができます。教科書的な文として目にするのは、例えば、

In Japan wird links gefahren.
日本は左側通行だ。

でしょうか(能動文はIn Japan fährt man links.)。実際にネットでも次のような文が出ていました。

Heute herrscht in den einzelnen Staaten jeweils eine
      ァシュト        インツェルネン       イェーヴァイルス
einheitliche Regelung, ob links oder rechts gefahren
インハイトリヒェ ーゲルング   
wird.
今日では、個々の国で、左側通行か右側通行かでそれぞれ統一的な決まりがあります。

5.助動詞と一緒の場合

 ヴィクトール・フランクル(Viktor Frankl: 1905-1997)は、ナチスの強制収容所を生き延びたオーストリアの心理学者です。その体験は、『夜と霧』(1946年)に記されています。私が学生時代に読んだ本のなかで、今も強く心に残っている本のひとつです。強制収容所の体験を描いた作品には、第24課で紹介したパウル・ツェランの詩や、他にもイタリア人作家プリモ・レヴィの『休戦』(1963:岩波文庫に訳あり)など、多くのものがあります。どれも印象に残り、考えさせられました。しかし、そのなかでも、収容所での生と死を人間の内面の問題として捉え、「にもかかわらず」生に肯定的に向き合おうとする『夜と霧』は、私にとって一番記憶に残る作品です。私は霜山徳爾氏の旧版の訳(1956)で親しんだのですが、2002年には改訂版をもとにした池田香代子氏による新訳も出ています(どちらもみすず書房)。ぜひとも、特に若い皆さんに読んでもらいたい本のひとつです。

ヴィクトール・フランクル
▲ヴィクトール・フランクル *2

 さて、そのフランクルの言葉に、次のものがあります。

Sinn kann nicht gegeben,
              ゲーベン
sondern muss gefunden werden.
ンダーン       ゲンデン
意味は与えられ得るものではなく、見出されなければならない。

 kann は、助動詞 können の人称変化したかたちです。助動詞のある文では文末に不定形を置くのでしたね。受動を表す不定形は、<過去分詞+ werden>ですので、この場合には gegeben werden と gefunden werden の2つです。

 フランクルの考えは、ベルの自由の思想にも通じるものです。自らの意志によって、自由や生の意味を見出していくこと。その大切さが語られています。



まとめ

 受動の文は、<werdenと過去分詞>が基本で、過去分詞は文末に位置します。

 自動詞でも受動の文が可能です。この場合、主語として es を置きます。他の文要素を文頭に置くと、es は消えます。



ドイツ文化ひとこと フランクル『夜と霧』

 『夜と霧』の原題は、„... trotzdem Ja zum Leben sagen: Ein Psychologe erlebt das Konzentrationslager“「…にもかかわらず人生にイエスと言う:ひとりの心理学者が強制収容所を体験する」です。このタイトルが、この作品の本質を言い尽くしているように思います。フランクルは、ただ被収容者として強制収容所を体験しただけではありません。同時にその体験を、心理学者として分析の対象ともしているのです。さらに彼は、心理学者として、生き延びるための処方、例えばユーモアを、他の被収容者に示唆することもできたのです。

 私が読んで印象深かったのは、収容所を生き延びたのは、肉体的に頑強な人よりも、希望を抱ける人、ユーモアを持つことができる人、内面の世界を持つ人だったという点でした。精神的な生活を営んで、感受性の強い人には、「おぞましい世界から遠ざかり、精神の自由の国、豊かな内面へと立ちもどる道が開けていた」と述べられています。強制収容所での作業の際に、ある仲間が言った言葉を、フランクルは記しています。「ねえ、君、女房たちがおれたちのこのありさまを見たらどう思うだろうね……![略]」。極限状態にあっても、それを相対化する能力が人間に備わっていること、それが自由の感覚を取り戻させてくれることを語っています。(ヴィクトール・E・フランクル『夜と霧 新版』池田香代子訳、みすず書房、2002年、58頁)

 なお、2015年3月、ウィーンにヴィクトール・フランクル博物館が開館しています。

 興味がある方は、ウィーン訪問の際にぜひ立ち寄ってみてください。私も次の機会には、ぜひ行ってみようと思います。




*1 Bundesarchiv, B 145 Bild-F062164-0004 / Hoffmann, Harald / CC-BY-SA 3.0 [CC BY-SA 3.0 de], via Wikimedia Commons
*2 Prof. Dr. Franz Vesely [CC BY-SA 3.0 de], via Wikimedia Commons

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矢羽々 崇(やはば・たかし) ■ 執筆者プロフィール

1962年岩手県盛岡市生まれ。ミュンヘン大学マギスター(修士)、上智大学博士(文学)取得。獨協大学外国語学部ドイツ語学科教授。専門は近現代ドイツ文学(主に叙情詩)。著書は、『「歓喜に寄せて」の物語――シラーの詩とベートーヴェンの「第九」』(2007年)ほか多数。2000~2002年度および2007年度に「ラジオドイツ語講座」講師、2008~2010年度「テレビでドイツ語」講師を担当。






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