研究社 会社案内 採用情報 サイトマップ 書店様向け 教育現場向け

研究社 WEB マガジン Lingua リンガ

 

 

第6回 he/she (彼/彼女)

前回も書いたことですが、アメリカではこの数年間でトランスジェンダーの人々の発言権が急激に増しています。ほんの少しでもトランスジェンダーの人々の気分を害するような言葉遣いをすると、「トランスジェンダー差別」とみなされ、公の機関や大学、小学校も含めた公立学校などでは厳しい処罰を受けることも少なくありません。

ニューヨーク市では、2015年に「トランスジェンダー差別撤廃法」が制定され、トランスジェンダーの人々が希望する呼び方や “代名詞” を使うことを繰り返し拒絶した人や、故意に使用を拒否した人に対し、最高25万ドルの罰金が課せられるようになりました。

インディアナ州の高校では、今年5月にトランスジェンダーの学生が希望する名前と “代名詞” を使わなかった教師が、周囲のプレッシャーにより退職を余儀なくされました。また、ミネソタ大学では、「トランスジェンダーの学生が希望する “代名詞” を使わなかった教授、職員、学生を解雇・退学処分にする」という方針を実行しようとしています。

ここまで読んで、きっと多くの読者のみなさんは、「トランスジェンダーの人たちが希望する名前と代名詞を使えってことね。別にいいじゃない?」と思われるかもしれません。

トランスジェンダーとしてアメリカで最も有名な人物は、ケイトリン・ジェンナー(Caitlyn Marie Jenner)です。1976年、モントリオール・オリンピックの十種競技で金メダルを取ったブルース・ジェンナー(William Bruce Jenner)は、2015年4月にトランスジェンダーとしてカムアウトし、その3か月後、名前を正式に「ケイトリン」に変更しました。以来、家族も友人も報道機関もケイトリン・ジェンナーのことを指すときは、she / her / her / herself という代名詞を使っていて、彼女もこの代名詞に満足しています。

このように、トランスジェンダーの人が既存の性の代名詞で呼ばれることを希望するのであれば、多くの人々が「全く問題ない!」と思うことでしょう。

代名詞が20種類?!

しかし、トランスジェンダーの人々の中には、ほんのちょっと前までの英語には存在しなかった gender neutral pronouns(中性代名詞。または gender friendly pronouns(性別フレンドリー代名詞), non-binary pronouns(非二元性代名詞), gender inclusive pronouns(あらゆる性別を含む代名詞)と呼ばれることもあります)を使って欲しいと言っている人もたくさんいるのです。

これは、英語が母語ではない人々にとっては大問題です! なぜなら、今アメリカで使われている中性代名詞は20種類以上も存在するので、覚えるだけでも相当な時間と労力が必要だからです!

その中から、私が実際に聞いたことがあるもの、および、多くの大学で使われている10種類をここにご紹介しましょう。

 

人称代名詞所有代名詞再帰代名詞
   
ae
エイ
aer
エア
aer
エア
aers
エアーズ
aerself
エアセルフ
e
イー
es
エス
em
エム
eirs
エアーズ
emself
エムセルフ
ey
エイ
eir
エアー
em
エム
eirs
エアーズ
eirself
エアーセルフ
fae
フェイ
faer
フェア
faer
フェア
faers
フェアーズ
faerself
フェアセルフ
per
パー
pers
パーズ
per
パー
pers
パーズ
perself
パーセルフ
ve
ヴィー
vis
ヴィズ
ver
ヴァー
vis
ヴィズ
verself
ヴァーセルフ
xe
ズィー
xyr
ザー
xem
ゼム
xyrs
ザーズ
xemself
ゼムセルフ
ze/zie
ズィー
hir
ヒアー
hir
ヒアー
hirs
ヒアーズ
hirself
ヒアセルフ
ze
ズィー
zir
ズィアー
zim
ズィム
zirs
ズィアーズ
zirself
ズィアセルフ
zie
ズィー
zir
ズィアー
zir
ズィアー
zirs
ズィアーズ
zirself
ズィアセルフ

 

person に由来する “per” や、he/she の子音を v に変え、足して2で割ったような “ve” は覚えられそうですが、そのほかは記憶するだけでも一苦労です!

たとえこの表を丸暗記できたとしても、それはエヴェレストに登るためにカトマンズの空港に到着した、という程度のもので、苦難の道の最初の一歩にすぎません。日常生活でこれらの中性代名詞を難なく使いこなせるようになるまでには、東大に入るための受験勉強に匹敵するほどの努力が必要でしょう。

例えば、A さん、B さん、C さん、D さんが、それぞれ e, fae, xe, ze という代名詞を使ってくれ、と希望しているとしましょう。「B が C のドレスを D にあげたと A が言っている」といった内容を、それぞれの代名詞を使って

“E says fae gave xyr dress to zim.”

と、とっさに言えるようになるまでには、相当な訓練を積まなければならないでしょう。

代名詞が使いこなせないと……

前述のニューヨーク市のトランスジェンダー差別撤廃法で、25万ドルの罰金の対象となっている罪は、“Intentional or repeated refusal to use an individual's preferred name, pronoun or title”(個人が希望する名前、代名詞、敬称の使用を故意に、または繰り返し拒否すること)と記されています。ですから、今のところは、単に勉強不足で中性代名詞が使いこなせない人に罰金を課せられることはありません。

しかし、前回のコラムでご紹介したように、この数年間でトランスジェンダーの人々の権利意識は急激に拡大しています。勉強不足で中性代名詞を使えなかった人が罰金の対象になる日も遠くはないかもしれません。少なくとも上記にあげた、頻度が高い10種類の中性代名詞は覚えておいたほうが身のためでしょう。

初対面の相手がどちらの性別かわからないときは、“Hi, I'm Jun and I use the pronouns he and him. What about you?”(こんにちは。僕は純です。(自分のことを指して)代名詞は he/him です。あなたは?)のような自己紹介をすると、会話がスムーズに進むでしょう。

ちなみに、私は中性代名詞を使わなくても生きていける保守派の本拠地、テキサスに住んでいるので、per と ve 以外の中性代名詞はうまく使いこなせません。時々ニューヨークやボストンの友達と話をしていて、不得意な中性代名詞の使用が必要になることがあるのですが、そういうときは、“I went to Sharon's mother's house with one of Sharon's friends.”(シャロンの友達と一緒にシャロンのお母さんの家に行った)のように、代名詞ではなく名前を繰り返し使ってお茶を濁しています。

アメリカに留学を希望する日本人のためにも、トランスジェンダーのコミュニティがなんとか中性代名詞を一本化してくれることを望むばかりです!

まだまだある、気をつけたい表現

さて、仮に中性代名詞が使いこなせるようになったとしても、これで安心!というわけにはいきません。今のアメリカでは、何気なく言ったひと言、つい口をついて出た純粋な疑問がトランスジェンダーへの hate speech とみなされ、停学処分になったり、辞職に追い込まれたりすることもあるのです。

ここからは、トランスジェンダー差別とみなされている表現をいくつかご紹介しましょう。

a transgender

transgender という単語を名詞として使うことはタブーとされています。個人の人格や性格などをすべて無視して、一個の人間を transgender というたった一つの枠組みのみで判断している、と受け止められるからです。

トランスジェンダーの人のことは a transgender person [woman, man] と言いましょう。

The lady/gentleman in the fifth row. (5列目の女性/男性)

前回のコラムとも関連する呼びかけ表現ですが、講習会などの質疑応答で、手をあげた観客の1人を指すときは、“The person in the red shirt in the fifth row.”「5列目の赤いシャツの方」のような性別を特定しない表現を使いましょう。

見かけだけで性別を勝手に判断した表現を使うと、「男性に見えても心は女性という人や、女性から男性に transitioning(移行中)の人もいるという配慮に欠けた、トランスジェンダー差別者」とみなされます。

You're so beautiful for a trans girl. (トランスジェンダーの女の子にしては君は美しいね)

「『生まれつきの女性に比べたら醜い』ってこと?」と思われるので、絶対に言ってはいけません!

“You're so beautiful.” までで止めておけばいいのかというと、そういうわけでもありません。以前のコラムでご紹介した通り、女性を見かけだけで判断するほめ言葉は禁句なので、よほど気心が知れた仲でもない限り外見をほめることは避けましょう。

I would have never known you used to be a man/woman. (あなたが前は男性/女性だったなんて思いもしなかった)

You look just like a real woman/man! (あなたは本物の女性/男性に見えるわ!)

トランスジェンダーの人々は、物心ついたときから生まれ持った性別とは違う性別だと自覚しています。

ですから、例えばずっと自分が女性/男性だと自認してきて、ホルモン治療などでやっと外見も女性/男性になれたトランスジェンダーの人々にこうした言葉を言うのは、彼らのこれまでの人生を否定する差別表現と受け止められるのです。

When did you decide to become a man/woman? (いつ男性/女性になろうと決めたの?)

「トランスジェンダーの人々は、別の性になろうと意図的に決心したわけではなく、生まれながらに生まれ持った性とは違う性別だと自認している」という事実を無視した差別表現です。

You're so brave! (あなたは勇敢だ!)

トランスジェンダーとしてカムアウトした人々や、性転換手術を受けた人々に対するほめ言葉として使われがちなこの表現も、トランスジェンダーの人々には差別用語と受け止められています。

シスジェンダーの人が「私は女性/男性です」と言っても、誰も “You're so brave!” とほめたりしませんよね? それと同じで、物心ついた頃からずっと自分の身体的性別に違和感を持ってきたトランスジェンダーの女性/男性たちは、ありのままの自分たちの存在をごく普通に受け容れて欲しいと思っています。ですので、“You're brave!” などの言葉は、上から目線で恩着せがましく聞こえるのです。

What's your real name? (本当の名前はなんていうの?)

例えば、男性/女性に見えても心の性は女性/男性、というトランスジェンダーの人、あるいは、性転換手術をして身体的にも女性/男性になったトランスジェンダーの人が Julie/John という名前で自己紹介したとしましょう。

あなたは彼女/彼がトランスジェンダーだと知っていても、彼女/彼が言った名前をそのまま受け容れるべきです。

なぜなら、“What's your real name?” という質問には、「生まれたときの “本当の性別” のあなたにつけられた “本当の名前” は?」という含意がつきまとい、「カムアウトした後の名前はフェイクで、つまり今のあなたもフェイクだ」というメタメッセージが伝わってしまうからです。

 

トランスジェンダーの人々は、同性愛者同様、子どもの頃からいじめに遭うなど、シスジェンダーの人間には想像できない苦労を経験しているので、彼らの気持ちを傷つけないよう、心がけましょうね!

 

次回は、近年のアメリカで禁句となった fat-shaming phrases(太めの人々を辱める言葉)をご紹介します。

 

 

〈著者紹介〉

西森 マリー(にしもり・まりー)

 ジャーナリスト。エジプト、カイロ大学で比較言語心理学を専攻。
 1989年〜1994年、テレビ朝日系「CNN モーニング」でアンカーを務めたほか、NHK 教育テレビ「英会話I」の講師、NHK の海外向け英語放送の DJ などを歴任。
 1994年、ヨーロッパに移住し、ドイツ・北欧のロックシーンの取材をしていたが、1998年以降はアメリカ、テキサスに本拠地を移し、選挙現場の取材等に従事。

◇主な著書

『レッド・ステイツの真実――アメリカの知られざる実像に迫る』(研究社)
『ドナルド・トランプはなぜ大統領になれたのか?――アメリカを蝕むリベラル・エリートの真実』(星海社)
『ギリシア・ローマ神話を知れば英語はもっと上達する』(講談社)
『世界のエリートがみんな使っているシェイクスピアの英語』(講談社)

 


 

 

関連書籍

レッド・ステイツの真実――アメリカの知られざる実像に迫る
西森マリーの カード、英語で書きましょう!〈完全版〉

▲ページトップに戻る

複写について プライバシーポリシー お問い合わせ

Copyright(C)Kenkyusha Co., Ltd. All Rights Reserved.