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第4回

 

 

 「これは私の吃音だ!(It's my stammer!)」
――『英国王のスピーチ』より

 障害[1] という日本語を英語に訳すのには独特の困難がともなう。「障害」と訳せる可能性のある英語を挙げていくなら、まず障害物という意味では obstacle, barrier, difficulty, hindrance などが挙げられるだろうし、人間の身体機能・精神障害という意味では disability, impairment, defect, disorder, handicap といったものが挙げられるだろう。

 本稿では、このように広がる障害の意味の領野について、できるだけ広く考えるための手がかりとして、まずは後者の意味の障害、つまり人間の身体機能や精神の障害という意味から考えていきたい。

 

障害の社会モデル

 後者の意味での障害のあり得る訳語のうち、もっとも重要なのは disability と impairment である。障害学(disability studies)においては、この区別が重要であるために、日本語ではディスアビリティ(ディサビリティではなくディスアビリティとするのが慣例)とインペアメントのようにカタカナで表記することも多い。

 この二つの区別を重視したのは、「障害の社会モデル」と言われる障害のとらえかたである。障害の社会モデルを確立したとされるマイケル・オリバーの『障害の政治』(原著 1990年)から、インペアメントとディスアビリティの定義を(そこに引用された1976年の文献からの孫引きとなるが)引用しよう。


インペアメント: 手足の一部、または全部の欠損、あるいは手足の欠陥や身体の組織または機能の欠陥をもっていること。
ディスアビリティ: 身体的なインペアメントをもつ人々をまったく、またはほとんど考慮せず、そのことによって彼らを社会活動の主流から排除する現在の社会組織によって生じる不利益、または活動の制約。(34頁)


 インペアメントという言葉の場合は、身体的障害に力点が置かれるので、精神障害が等閑視されがちにはなるものの、それが意味するのは、「客観的」に存在する身体的・器質的な障害のことである。それに対して、オリバーらの「障害の社会モデル」派が強調するのはディスアビリティだ。その考え方によれば、障害は人間ではなく社会の方に存在する。例えば、車椅子ではのぼれないような段差が道路にあるとすると、その場合に「障害=ディスアビリティ」は段差をのぼれない人間の側にあるのではなく、段差そのもの、そしてその段差を除去しない社会の側にあるということだ。

 裏返せば、障害は社会が作り出す、と言うこともできる。道路に段差がなければ車椅子に乗る必要があることは障害ではなくなる。段差が障害を生み出すのだ。

 障害の社会モデルは、それまで障害の治癒やリハビリテーションを強調してきた障害学(というよりリハビリテーション学)に対し、社会の側から障害を取りのぞいていくという実践を対置した。障害のみならず、あらゆる差異を考慮に入れた設計をするというユニバーサルデザインといった考え方と実践がそこから生じてくる。

 

ジェンダー論と社会モデルの極北

 このインペアメントとディスアビリティの区別は、ジェンダー論におけるセックスとジェンダーの差異を彷彿とさせる(これについては例えば菊地を参照)。生物学的な性差としてのセックス、社会的に構築された性差としてのジェンダーの差異である。そうすると、セックスとジェンダーをめぐる議論が、障害についての議論にもあてはまることになるかもしれない。

 つまり、なすべき批判は、生物学的な障害としてのインペアメントと社会構築物としてのディスアビリティ、という区別が、インペアメントの本質化をもたらしてしまうのではないか、というものになるだろう。これは、ジュディス・バトラー(『ジェンダー・トラブル』)がフーコーの抑圧説批判を援用してセックス/ジェンダー区分を批判したのと同じ理路である。バトラーは、セックスとは本質主義的な性差ではなく、それ自体がセックス/ジェンダー区分によって創造される構築物であることを喝破した。

 では、バトラーにならって、私たちは、インペアメントを、インペアメント/ディスアビリティ区分そのものによって構築されたものとして考えるべきだろうか。言い方を変えれば、「インペアメントは存在しない」(すべてはディスアビリティである)もしくはそれをぐるりと回転させて「あらゆる人は多かれ少なかれインペアメント=ディスアビリティを抱えている」と言うべきなのだろか。そして、インペアメントが社会的に構築されるそのメカニズムを解きほぐして批判すべきなのだろうか。

 部分的にはその通りであるし、先に触れた障害の社会モデルのオリバーもすでにそのような視点でインペアメントの構築性を論じている。インペアメント/ディスアビリティの区分がいかにして生産されるのか、そしてその線引きがいかに変化するのか、という生政治のメカニズムの解明は重要だ。

 しかし、こと障害について、あらゆるインペアメントが構築物であるとしてしまうことは、とりわけ現在においては実践的に問題がある。

 

脱アイデンティティ化・脱施設化と新自由主義

 障害の脱本質主義化、脱アイデンティティ化、脱カテゴリー化――表現はなんであれ、これらの「解放」に向けた動きが、むしろ新自由主義的な資本主義と労働の体制に資するものになっている。これは、洋の東西を問わず、障害をめぐる議論のひとつの焦点になりつつあると見てよい(英語圏では McRuer, Mitchell and Snyder などを参照)。

 ここでは、「脱施設化」の観点から日本のハンセン病療養所の歴史をたどった、有薗真代『ハンセン病療養所を生きる――隔離壁を砦に』を参照してみたい。日本は、ハンセン病罹患者に対して、(遺伝病であるという誤解からの)男性への断種手術や女性の堕胎の強制も含む、非人道的な隔離政策を行った。そのための施設が「療養所」という名の隔離施設である。

 これに対する解放運動は、当然に「動くことや脱出すること」を命題とした(33頁)。しかし、「動くこと、脱出すること」(=脱施設化)を良きものとする運動には二重の問題が生じた。ひとつは、「動けない者たち」「動かない者たち」はどうなるのか、ということである。一口にハンセン病といってもその病状や進行によって、罹患者の移動性には大きな違いがある。中には、たとえ非人道的な隔離政策だったとしても療養所に依存せねば生きていけない人たちもいた。そのような人たちにとって「動くこと、脱出すること」は解放になり得ない。

 もうひとつの問題は歴史的なものである。簡単に言えば、新自由主義時代にいたって、「脱施設化」は国に抵抗する運動の側の論理ではなく、国の政策の原理になってしまったということである。具体的には2002年の「障害者基本計画」は、知的障害者入所施設整備を「必要なものに限定」し、「施設等から地域生活への移行の推進」を謳った。だが、財政的な裏付けをもった具体策はとられず、この計画が推進したのは入所施設の縮小・解体のみであった。ハンセン病の脱施設化は、入所者の解放というよりは、「公費(施設運営費や社会保障費)を削減し、あわせて障害者を福祉商品の新たな消費者として迎えるという論理のもとに推進」されたのである(42頁)。

 ハンセン病の脱施設化は、広く障害者政策の新自由主義化を背景としていると見るべきだろう。そこで生じたのは、「障害者のワークフェア」とでもいうべき体制である。ここでは詳述する余裕がないので概略に留めるが、現在の日本では障害者就労支援制度が「自由化」され、障害者の「社会進出=脱施設化」が盛んに後押しされている。これは、一方では障害者の解放である。しかしそこで起きているのは、「就労可能性」を基準とした障害者の内部での新たな線引きなのであり、ワークフェア的な論理を口実とした福祉カットの緊縮政策なのだ。他には例えばイギリスに目を向けると、障害者が就労可能であるかどうかを判断する事務処理が、エイトス(Atos)というフランス企業に外注化されている事例などは、なかなかに生々しい(McRuer, Crip Times 67頁)。ケン・ローチが映画『わたしは、ダニエル・ブレイク』(2016年)で描いたように、イギリスでは福祉の受給資格の審査を民間企業に外注化し、いわゆる「水際作戦」(福祉の窓口で手続きを意図的に煩雑にするなどで、福祉受給を阻止する方法)によって不当に福祉をカットするということが横行している。このような緊縮政策(austerity measures)の影響をまず受けるのが、社会的・経済的マイノリティであり、障害者なのだ。その際に、働ける障害者とそうではない障害者の間に新たな分断線が引かれる。

 インペアメント/ディスアビリティの脱構築がこのような歴史的背景において持ちうる意味は何だろうか。すべてのインペアメントはディスアビリティである、つまり、あらゆる人は潜在的には多かれ少なかれ(インペアメント=ディスアビリティを抱えた)障害者である、というのは、障害の脱アイデンティティ化、脱施設化の思想である。この解放的であったはずの思想が、新自由主義的な「障害者のワークフェア」体制においては、インペアメントとディスアビリティを就労可能性によって切り分ける新たな「健常者主義(ableism)」に帰結している。私たちは非常に困難な袋小路に入りこんでいると言えるだろう。インペアメントをアイデンティティ化し施設化する生政治体制からの開放が、新自由主義的な市場原理に回収されてしまう、そのような袋小路だ。

 その袋小路を見事に表現し、そこからの脱出を試み、そして有意義な形で失敗している映画がある。『英国王のスピーチ』(トム・フーパー監督、2010年)だ。

 

『英国王のスピーチ』――コミュ力時代のディスアビリティとインペアメントの物語

 ヨーク公アルバート(愛称バーティ)は子供のころから吃音に苦しみ、1925年の博覧会のスピーチも大失敗をしていた。彼は妻のエリザベス妃に説得され、ロンドンのハーリー・ストリートに開業しているオーストラリア出身の言語療法士ライオネル・ローグの治療を受けることになる。お互いを愛称で呼び合うことを強制するライオネルにアルバートは最初は抵抗を覚えるが、その治療の実効性に気づく。アルバートは吃音になった原因(父に左利きを矯正されたことなど)を打ち明け、二人の間に友情が芽生える。

 一方、イギリス王ジョージ五世が崩御。王位はアルバートの兄デイヴィッドに継承され、エドワード八世が即位する。ところが、彼はアメリカ人の既婚女性ウォリス・シンプソンと結婚をしたがり、王室スキャンダルとなる。

 そのような状況の中、ライオネルはアルバートに彼が王となるべきだと説得しようとするが、アルバートはそれは反逆罪だと立腹し、ライオネルと絶交してしまう。

 エドワード八世は結局退位してウォリスと結婚することを選び、アルバートはジョージ六世として即位することになってしまう。アルバートはライオネルのもとを訪れて謝罪し、戴冠式に備える(そこで、ライオネル・ローグは医師の資格のない、売れない俳優であることが明らかになる)。

 物語のクライマックスは第二次世界大戦前の1939年、ドイツに対するラジオでの開戦演説。ライオネルはアルバートともにスタジオに入り、「私に話しかけるんだ」という忠告をし、二人は開戦演説を見事に成功させる。

 以上が『英国王のスピーチ』のあらすじである。この映画は、ここまで述べたような意味でのインペアメントとディスアビリティをめぐる物語に見事な形でなっている。

 物語は、その序盤から、アルバート=ジョージ六世の吃音がインペアメントであるのか、それともディスアビリティであるのか、という問題設定を提示する。ライオネルはアルバートの吃音の原因を探るべく、彼の子供時代の記憶を語らせようとする。ずっと吃音だったと言うアルバートに対して、ライオネルはそれは違う、吃音は後天的なものだと言う。それに対して激高したアルバートが口走るのが、エピグラフに引いた台詞、「これは私の吃音だ!」である。

 このやりとりは、吃音の先天性/後天性ということよりもむしろ、インペアメントとしての、本質的アイデンティティとしての障害と、社会的なディスアビリティとしての障害という問題系を導入している。実際、物語の後半で、父王が崩御した後にアルバートがライオネルに告白するところでは、吃音の原因は彼が左利きやX脚を矯正されたこと(また、乳母に虐待されたこと)であった。つまり、彼の吃音は、左利きやX脚といったディスアビリティ(いずれも明確に社会的・文化的に「創造」された障害である)の矯正を原因として生じている。少々遠回りの手続きを踏んでいるが、吃音はディスアビリティによって引き起こされたディスアビリティなのである。

 この、吃音に別のディスアビリティの矯正という原因を用意する仕掛けは非常に巧妙である。なぜなら、物語を通じてライオネルがアルバートの吃音を「矯正」することが、それによって正当化されるからだ。ライオネルによる矯正は非人道的な矯正ではない。なぜなら、そのディスアビリティの原因こそが非人道的だったから。

 しかしこの正当化は、彼のディスアビリティ治癒が、「障害者のワークフェア」的な圏域で行われることをも正当化している。ここで「就労可能性」を保証するために重要になる能力は、コミュニケーション能力だ。新自由主義、ポストフォーディズム社会においてコミュニケーション能力が重要な労働の能力となっていることについては、大貫・河野「コミュニケーション」で論じた通りである。『英国王のスピーチ』でも、アルバートが立派なスピーチをできるようになることは、単に彼が立派な王になること、彼が健全たる国体を象徴するようになることだけを象徴しているのではない。そのことは、前半での父王とアルバートとの会話に表現されている。

 ラジオ放送での国民へのスピーチを見事に済ませた父王ジョージ五世は、アルバートに次のように語る。曰く、かつては英国王は馬にまたがって黙っていればよかった。しかしラジオという媒体が生まれたために、王は「役者」になることを強いられているのだ、と。この台詞は、ライオネル・ローグが実は医師の資格も持たないヘボ役者であることとアイロニカルな関係にある。それはともかく、スピーチができること=コミュニケーション能力を持つことは職業的な能力として捉えられる。あにはからんや、アルバートは「王室は会社だ」と受け答え、父王はそれに「失業寸前の者もいる」と返すのである。『英国王のスピーチ』は、1930年代のイギリス王室の物語というよりは、コミュ力が重要な職業的能力となった現代の話だと考えた方がよい。

 エピグラフに引いた「これは私の障害だ!」は、物語の結末を予告している。第二次世界大戦の開戦スピーチを見事に成功させたアルバートに、ライオネルは「だが、また W でつっかえたな」と言う。アルバートはそれに対して、「わざとさ/私だと分かるように」と返す。台詞の直訳は「みんなが私だって分かるように少しだけ〔どもりを〕入れなきゃいけなかったんだ(Well I had to throw in a few so they knew it was me)」である。私であれば、これを意訳せよと言われたら、「少しどもりを入れないと、私だって分からないだろう?」とでもするかもしれない。

 この最後の台詞は、インペアメント/ディスアビリティを脱構築する新たな健常者主義/障害者のワークフェアに対する抵抗の宣言である。彼の吃音は後天的なディスアビリティであり克服可能である。そして彼はそれを克服することによって就労可能な主体にならなければならない。こういった命令に、アルバートは「これは私の吃音=インペアメントだ」と返すのである。労働スキルとしての完全なるコミュ力を持っていないことが、アルバートにとってのアイデンティティとなる。障害の脱アイデンティティ化、脱施設化へのささやかな抵抗だ。

 

コミュ力の高いヒトラー

 しかし、残念ながら、そのささやかな抵抗はささやかに過ぎるようである。なぜなら、アルバートによる吃音というアイデンティティの肯定は、それ自体が冷戦リベラリズムと、それを系譜とする新自由主義的なリベラリズムの圏域で行われているからである。

 注目すべきは、アルバートが家族とともに、自らの戴冠式を記録したニューズリールを見ている場面だ。戴冠式につづいて、ヒトラーの集会と彼のスピーチのニュースが流れる。アルバートは「スピーチがうまいな」という感想を述べる。

 スピーチのうまいヒトラーと吃音に苦しむアルバート=ジョージ六世の対立。この対立は、これまた実に巧妙にアルバートの吃音矯正を正当化している。つまり、アルバートの吃音の矯正は、左利きの矯正や X 脚の矯正という、明確に全体主義的な身体矯正を原因とする限りにおいて正当なものとされる。返す刀で、その全体主義を象徴するヒトラーはよどみないスピーチのできる、コミュ力の権化として表象される(ちなみに、ラジオを普及させたのはナチスであった。プロパガンダのために家庭に補助金を出し、普及させたのである。この映画が最初から強調し続けるラジオというメディアには、常にナチスの影が差していると考えるべきだろう)。

 そうすると、アルバートが吃音を完全には克服しないことは、単なるインペアメントの肯定というだけではなく、ヒトラーの全体主義を陰画として構想されるリベラルな体制の象徴だということになりそうだ。アルバートは国王となり、国体を象徴するようになるのだが、その国体はヒトラーの全体主義との対照関係におかれるリベラルな国体である。結局 W でつっかえてしまうことは、彼の国体が、完全なるスピーチをできるヒトラーの国体とは違い、インペアメントを包摂できるリベラルなそれであることを示すのだ。

 示唆したように、この全体主義との対照関係におけるリベラル体制(冷戦リベラリズム)は、時代が下って新自由主義体制のイデオロギーを構成することになる。論じたように、『英国王のスピーチ』は1930年代を舞台とするものであるが、そのリベラルな国体というイデオロギーは、全体主義を陰画とする戦後の冷戦のイデオロギーであり、それがさらには、福祉国家を陰画とする新自由主義のイデオロギーへとなだれ込んでいると見なすべきなのである。そして、現在のダイバーシティのイデオロギーもまた、その延長線上にあると考えられるべきだ。現在のダイバーシティは、人権の問題というよりむしろ、新自由主義的な資本主義の要請(ここまで障害者のワークフェアと呼んだもの)によって押し進められている。アルバートによる自らのインペアメントの肯定は、障害者のワークフェアへの抵抗に見えながら、容易にそのワークフェアに取りこまれてしまう。

 では、やはりこの袋小路からの脱出口はないのだろうか。

 私が最後に示唆したいのは、このリベラル体制がいかなるものの抑圧の上に成り立っているか、ということである。そして、『英国王のスピーチ』についてなんといっても注目すべきなのは、ライオネル・ローグであろう。彼は、アルバートが英国王の主体を獲得する手助けをしながらも、自らは彼が象徴する国体の中では周辺的な存在である。オーストラリア人であり、常にオーストラリア訛りを指摘され、そのために自分の夢である役者になることができない(もちろん、皮肉にもアルバートは見事に「役者」になる)。彼は、アルバートのコミュニケーション能力を高めるにも関わらず、実は自らはコミュニケーション能力の低い人間なのである。

 ここまでは、この作品の構図を崩すものではないどころか、それを強化するものである。つまり、アルバートが象徴するようになるリベラルな国体には、障害者だけではなく、植民地出身の周辺的な主体も包含される。

 このような国体から排除されるもの、それはアルバートとライオネルとの関係が代表するような、非規範的な欲望の関係である。開戦スピーチを終えたアルバートは、「お手柄だ、我が友よ」と、ライオネルと握手をし、まなざしを交わしながら肩に手をやる。それに対してライオネルは「ありがとうございます、陛下」と、ずっと使うことを拒んでいた敬称を使って答える。そこに、王妃が現れ、アルバートと口づけを交わす。王妃はアルバートの肩越しに「ありがとう、ライオネル」と言う。その後、民衆に手を振るためにベランダに出るジョージ六世を、ライオネルは一歩離れて見つめる。

 アルバートとライオネルとの間にはホモセクシュアルな関係を読みたくなるし、その読みはある水準では正当である。例えば、この作品の下敷きにジョージ・バーナード・ショーの『ピグマリオン』(もしくはその映画翻案の『マイ・フェア・レディ』)があることを考えればよいかもしれない。発音矯正をされるロンドン下町の労働者階級の娘イライザと、彼女の発音矯正をする言語学者ヒギンズの間に生じる(そして半分挫折する)性的関係。アルバートとライオネルの関係はこれを反復する、もしくはこれに上書きされている。二人の間の「友情」は性的関係を覆いかくすスクリーンなのだ。

 映画は、上記の場面(王妃の登場と口づけ、ライオネルの孤独)によって、ヘテロセクシュアリティに基づく婚姻関係の規範性を確認することでひとつの図を完成させる。ここに出来上がった図が、アルバートの表象する(ネオ)リベラルな国体の図であるなら、そこからは、ライオネルとアルバートのホモセクシュアリティが排除されていると、確かに読める。

 この排除と、ライオネル・ローグが吃音矯正の闇医者となった経緯は呼応している。彼は第一次世界大戦でシェル・ショック(砲弾ショック。今で言う戦場での PTSD)の結果吃音になってしまった男たちの主体性を回復したいと考えて、この生業に手を染めたのだと語る。シェル・ショックは、それまでの精神医学のカテゴリーにおいては「ヒステリー」と区別のつかない症状を示していた。戦場で雄々しく戦った男たちが、「女の病気」であるヒステリーに罹っているということは認められない。当時イギリスではこれは国会で議論されるほどの問題であった。その結果発明されたのがシェル・ショックという病名だったのである。

 ここには、医学的なインペアメントの社会的な構築と、ジェンダー・男性性の問題がある。ライオネルの吃音矯正はそのような領野での男性性回復のための営為であった。

 だが、私たちは、アルバートとライオネルとの間にある欲望の関係を、ホモセクシュアリティと名指してしまうことにこそ抵抗すべきかもしれない。おそらく、ネオリベラルな国体は、障害者のワークフェア体制は、ホモセクシュアルな関係でさえも容易に包摂してしまうだろう。私たちがここに見いだすべきなのは、規範化され標準化された欲望のあり方から常に逃れ去るような何かである。ロバート・マクルーアが「クリップ(crip)」(これは、「クイア」と同じく、cripple(不具)を意味する蔑称であったものを、戦略的に自らのものとした名前である)と言うとき、そこに賭けられているのはそのような、常に非規範的な何かなのだろう。映画を通して、そのような非規範的な欲望の関係は、示唆されつつすべて排除されていく。アルバートと兄デイヴィッドの、若かりしころの召使いとの性的関係、シンプソン夫人の男性関係など、「二」ではない関係は排除される。上記の場面では、アルバートとライオネル、そしてエリザベス妃の視線が複雑に交錯する。ここにあり得た「三」の関係が抑圧され婚姻関係(「二」の関係)が確認されることで、『英国王のスピーチ』の図は完成するのだ。

 

動けないものたちの共同体

 このように、『英国王のスピーチ』は、インペアメントとディスアビリティをめぐる新自由主義時代の袋小路を突破しようとして、それに失敗している。

 では、私たちはその失敗を超えてどこに向かえばいいのだろうか? 私たちはいかにして、障害者のワークフェアを乗り越えられるのか?

 最後に、もう一度有薗真代『ハンセン病療養所を生きる』に頼ってみたい。有薗のそれは、脱施設化の新自由主義的限界を指摘しているだけの著作ではない。そこで描かれるのは、障害者のワークフェア体制の到来によって、療養所内に「動ける者と動けない者」との間の新たな断絶が生まれつつも、療養所のハンセン病患者たちがしたたかに粘り強くコミュニティを作っていく姿であった。

 例えば1950年代のらい病予防法をめぐる政治的闘争の中で、「適応かさもなくば抵抗か」という二者択一からは取り残されてしまった人々の活動としての「あおいとり楽団」。移動することができず、療養所の外には出られなかった人たちが療養所内で行った酒屋や空き瓶売り、賭博といった互助的な活動。有薗は、そのような活動を通じて、「移動可能な者(非病者)」と「移動不可能な者(病者)」の力の交換(83頁)が起きたのだと論じる。これは、本論の文脈で言えば、新たな健常者主義によって引き直された、動ける者と動けない者との間の分断線の対抗的な引き直しである。

 有薗は最後に、収容所的空間としての「アサイラム」と、その内部での自由を可能にする空間としての「アジール」が同語源であることを指摘する。この両義性においては、収容所は閉じられていながら、開かれてもいる。アサイラム=アジールは、単に開くことによって自由を与えるのではなく、閉じられてもいることによって自由を確保する。そこでは、「私のインペアメント」が守られつつ、ディスアビリティは真に「私たち」のものとして共有されていくだろう。

 ネオリベラルな「障害者のワークフェア」から排除されているのは、そのような共同性のあり方だ。そして最後に、そのような共同性を奪われているのは「障害者」だけではない。新自由主義社会に暮らす私たち全員である。インペアメントとディスアビリティの袋小路からの脱出口は、私たちみなのための脱出口たり得るのだ。

 

 

 

〈注〉

[1] 「障害」にはこの表記以外に「障碍」「障がい」といった表記がある。「障害」に含まれる「害」にネガティヴなイメージがあることから、旧字の「障碍」やひらがなに開いた「障がい」を使うべきという議論がなされてきているが、この後論じるように、「障害」が英語に訳した際にさまざまな単語に置き換わること、そしてそのうちのひとつが意味するのが、障害者の側の問題ではなく社会の問題であるということから、本論では従来通りの「障害」を使用する。

 

〈参考文献〉

有薗真代『ハンセン病療養所を生きる――隔離壁を砦に』世界思想社、2017年。
大貫隆史・河野真太郎「コミュニケーション」大貫隆史・河野真太郎・川端康雄編『文化と社会を読む 批評キーワード辞典』研究社、2013年、312-20頁。
オリバー、マイケル『障害の政治――イギリス障害学の原点』三島亜紀子・山岸倫子・山森亮・横須賀俊司訳、明石書店、2006年。
菊地夏野「コメント 障害学とジェンダー論と」川越敏司・川島聡・星加良司編著『障害学のリハビリテーション――障害の社会モデルその射程と限界』生活書院、2013年、41-51頁。
バトラー、ジュディス『ジェンダー・トラブル――フェミニズムとアイデンティティの攪乱』竹村和子訳、青土社、新装版2018年。
McRuer, Robert. Crip Theory: Cultural Signs of Queerness and Disability. The New York UP, 2006.
――. Crip Times: Disability, Globalization, and Resistance. The New York UP, 2018.
Mitchell, David T. and Sharon L. Snyder. The Biopolitics of Disability: Neoliberalism, Ablenationalism, and Peripheral Embodiment. U of Michigan P, 2015.

 

 

河野 真太郎(こうの しんたろう)

 専修大学法学部教授。専門はイギリスの文化と社会、新自由主義と文化。著書に『戦う姫、働く少女』(堀之内出版、2017年)など。共編著に『愛と戦いのイギリス文化史――1951-2010年』(慶応義塾大学出版会、2011年)など。訳書にレイモンド・ウィリアムズ『共通文化にむけて――文化研究I』(共訳、みすず書房、2013年)『想像力の時制――文化研究II』(共訳、みすず書房、2016年)など。

 

 


 

 

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