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研究社 WEB マガジン Lingua リンガ

 

第9回

 

ヘイ

 

 日本で「ヘイト」という語が広く一般的に使われるようになったのがいつ頃からなのかは、あまりはっきりしない。もちろん字面から明白なように、もとを辿れば英語の hate(憎悪)に行きつくもので、要するに外来語であることは間違いない。だがここで考えたいのは、このかなりあたらしい外来語が日本でなぜ、そしてどのように使われるようになってきたかという問い、とりわけ文化的な現象としてこれを考える問いだ。現在ではこの語は、とりわけネット上の言葉の応酬の中で「それは○○に対するヘイトだ!」といったかたちで用いられるのが一般的だと思われるのだが、もしそうだとするなら、これは「ヘイトスピーチ」あるいは「ヘイト表現」などの短縮形だと基本的には考えてよいだろう。この想定が正しいのなら、現在の「ヘイト」の来歴を考えるうえでは、ヘイトスピーチの強烈さを街頭デモとネットの双方で知らしめた桜井誠を中心とする「在日特権を許さない会」(以下、在特会)の活動を無視することはできない。たとえば『現代用語の基礎知識 2019』の「ヘイトスピーチ」の項では、一般的な意味・用法を述べた後に、2009年に在特会が起こした事件を重要なきっかけとして記述している。このようなかたちで在特会に触れるという点は、『日本大百科全書』の「ヘイトクライム」の項にも共通している。このことから、これが日本における「ヘイト○○」という用法の基本的な認識と言ってよいだろう。

 ところが、現在いろいろなところで見られる「ヘイト」の用法を鑑みると、事態はそう単純ではない。おもにインターネット上でのことになるが、たとえば「反日左翼」といった語句と合わせて「日本人へのヘイト」を非難する文言はそれほど珍しいものではないし、人種主義問題ではないが女性専用車両について「男性へのヘイトだ」といった物言いも少なからず目にする。こういった表現はおそらく普通の意味での「悪口」や「差別」(あるいは両者の組み合わせ)として「ヘイト」を用いている例であり、そもそも「ヘイトスピーチ」や「ヘイトクライム」といった言葉に含まれていた「マイノリティや社会的弱者への差別的意識をもとにした暴力行為やその扇動行為」といった意味を捨象していると言える。これを、「ヘイト」なる語が人口に膾炙したことの副産物と考えることも可能だろう。だが他方で、マジョリティや歴史的に抑圧を行ってきた立場の人間が、右派的な思想を下敷きにしたうえで、マイノリティや歴史的に抑圧されてきた人々が自分たちに「ヘイト」を向けていると主張しているという現在の状況には、困惑させられるとともに、興味深いものがある。なぜなら、在日コリアン差別への反対や同和問題への取り組みなどに関する戦後日本の文脈を振り返ってみれば、左派的な思想を持つ多くの人々が反差別運動にかかわってきたのであり、そういった状況を踏まえて、「左翼」と「差別」がセットで考えられてきたと推測できるからだ。慎重な言い方が求められるところを大胆に言ってしまえば、現在のある意味で転倒した「ヘイト」の用法が広がりつつあるのは、「差別」よりも「ヘイト」の方が使い勝手がよく、カジュアルに使えてしまうからなのではないだろうか。もちろんさきほどの物言いや考え方は基本的にネット上で観察されたものなので、これらの発言の論理的整合性を論じたりあるいは実証的に検討したりというのはあまり馴染まないかもしれない。それでも、こういった考え方が現在の日本の漠然とした「雰囲気」と完全に乖離しているとも思えないのだ。

 こういったカジュアルな「ヘイト」の用法が女性専用車両という積極的是正措置(アファーマティブ・アクション)への批判で用いられていたり、あるいは植民地期の犯罪行為を批判する言論や芸術作品への非難の際に使用されていたりするという点は重要だ。端的に言ってしまえば、現在のわたしたちの「雰囲気」には、差別的構造に乗じてそれを強化・扇動する行為を許さないという、比較的あたらしい「ヘイト」なる語の流通する状況があるのと同時に、それだけではなく、それをマジョリティや強者が流用してマイノリティや弱者への保護や優遇措置を非難するところで用いている、という状況が出来上がりつつあると考えられるわけだ。もちろんこういった状況で「日本人への差別だ」といった用いられ方がこれまでされてこなかったわけではないし、今もされている。だがこのような物言いが「ヘイト」なる「便利な」語の登場によってカジュアルに行われるようになってきていると思われるのだ。思い切って言ってしまおう。「ヘイト」はカジュアルなバックラッシュにおいて流用されつつあるのだ。したがって「ヘイト」なる語を追いかけるというのは、同時にバックラッシュについて、あるいは福祉政策や優遇措置を非難する反左派的な態度についても考える必要を生じさせることになる。

 ここからはまず、「ヘイト」なる語の日本語としての成立に大きくかかわる在特会について概観し、現在の「ヘイト」の使われ方のもとを探っていく。その過程で見えてくるのは、アメリカにおける新保守主義的な運動「ティー・パーティー」からの影響と、それとの共通項として桜井らが見出した、反左派としてのアイデンティティだ。後でもう少し詳しく考えたいのだが、一般的に新保守主義は70年代頃から台頭してきた新自由主義と政治的利害を(すくなくとも部分的には)共有する思想だとされている。平たく言えば、新保守主義は新自由主義の文化的な裏面だと言えるわけだ。であるとするならば、「ヘイト」なる語がその源流たるアメリカの歴史的文脈から離れて用いられ、日本語の一般的口語の一部となった状況は、ある意味で日本的な新自由主義の文化的現われだとも言えるのだろう。ここでは、「ヘイト」という語の一般化をある種の文化的現象ととらえたうえで、それが戦後日本の社会的政治的文脈にあることを踏まえつつ、これまでの、そしてこれからの変化を考えてみたい。

 

在特会とティー・パーティー

 現在では日本第一党を名乗る政治政党の党首となった桜井誠が、在日特権を許さない市民の会を正式に発足させたのは、2007年のことだった。発足当時からその言語を絶する過激なパフォーマンスで物議を醸していた在特会だが、強烈な衝撃とともにその名を知らしめたのは、さきほども述べた通り2009年の京都朝鮮学校襲撃事件だ。京都市南区に位置する京都朝鮮第一初級学校に在特会メンバーを中心とする「チーム関西」が押しかけて、学校正面の公園を学校側が「不法に占拠している」との抗議を口実に、授業中の生徒らにも聞こえるようにメガホンを用いた大音量で罵詈雑言を投げかけ、同校関係者らに激しく詰め寄った事件だ。そのヘイト行為はすさまじく、YouTube にアップされた映像は瞬く間に拡散された。YouTube は2005年頃にスタートし、数年の時をおいて日本でも話題になりつつあったが、在特会は最初期にこれを最も活用し成功した団体であったと言えるかもしれない。じっさい、安田浩一の『ネットと愛国』によれば、この映像を見て在特会に関心を持ち、入会した人々も少なくないという。在特会をある種の文化的な現象の一部として考える際に重要なのは、その荒唐無稽な主張内容だけではなく、むしろこういった罵詈雑言の熱量とその暴力性そのものの意味、そしてそれを事実上、許容してしまう社会そのもののあり方だろう。ヘイト行為の暴力性を考えるために、まずはこれを容認するという社会の態度を整理しておく必要がある。

 ここで注目したいのは、在特会の代表だった桜井が、米国の保守運動ティー・パーティーに繰り返し言及していたという事実だ。ティー・パーティー運動は、オバマ大統領が米国ですすめる「オバマケア」などの福祉政策やリーマン・ショックへの救済策による歳出増加に抗して、2009年に始められた右派ポピュリズム運動だ。前任であるジョージ・W・ブッシュの時代まですすめられてきた新自由主義政策が、オバマの登場で後退させられるとの認識に立ち、新自由主義的な色彩が強いこの運動は、メディアやネットを活用することで急速に知名度と賛同者を広げていった。桜井は2010年にニューヨーク・タイムズのインタビューに答えているが、その記事では次のように記されている。

桜井氏はこの団体(訳者注:在特会)が人種主義的なものではないとして、ネオナチとの比較を退けている。彼の言うところによれば、むしろ彼は海外の政治運動をモデルにしたのだという。合衆国のティー・パーティーだ。彼はティー・パーティーの映像から学び、自分たちの国が左派政治家やリベラルなメディア、そして外国人の手に落ちたことで間違った方向に向かっていることに対する怒りの感覚を、ティー・パーティーと共有しているのだとしている。(『ニューヨーク・タイムズ』2010年8月28日)

桜井は、日本第一党党首になるために在特会代表を辞した2014年にも同様の趣旨の発言をしていることから、ティー・パーティーのポピュリズム戦略に強く感化されているのは間違いないだろう。じっさい、同運動が2010年の中間選挙でオバマ陣営大敗北の震源地となり、熱心な支持者であったマイク・ポンペオがトランプ政権の国務長官に上り詰めたわけだから、結果的には桜井の見る目は正しかったと言えるだろう。反左派、反リベラル・メディア、反外国人を掲げて国政に出るどころか、最終的には支持する大統領まで誕生させてしまったティー・パーティーの活動は、桜井の目にはこれ以上ない前例と映ったはずだ。

 ここでの趣旨からすると、重要なのはこの右派ポピュリズム運動のあり方ではなく、むしろそれによって成立したトランプ政権がもたらしたものだ。多くの報道から見えてくる通り、トランプ大統領当選直後、アメリカではヘイトスピーチやヘイトクライムと見られる事件が多発した(たとえば BBC はある記事でトランプ当選にともなうヘイトクライムの急増を「トランプ効果」と呼び、強い懸念を表明している)。これは選挙期間中から排外主義的な言動を繰り返してきたトランプがじっさいに当選することで、そうした感情や行動にお墨付きを与えてしまったのだろうと推測できる。では日本の場合はどうだろう。同じ「お墨付き」はあるのだろうか。

 

「上から」と「下から」の利害の合流

 桜井が見初めたティー・パーティー運動が押し上げたとも言えるトランプ大統領の誕生の後に続いたのは、ヘイトクライムやヘイトスピーチの急増であった。もちろん、トランプの当選とヘイトクライムの急増の因果関係については丁寧な調査と研究が必要ではあるものの、すくなくとも大衆的な人種主義的、排外主義的感情をトランプ大統領誕生が後押しをしたという側面は否定しがたい。いわば、「下から」のヘイトに対して「上から」許諾が下りたという形だ。では日本の場合はどうだろうか。

 在特会を中心に見てみると興味深いのは、在特会発足の2007年は第一次安倍内閣が歴史的な大敗を喫した年であり、2012年の第二次安倍内閣発足までの5年間の民主党政権時代こそが、まさしく在特会が台頭する時期であったという事実だ。オバマ政権下でティー・パーティー運動が発足していたことから、桜井が自分たちをこれに重ね合わせたのも無理はない。だがティー・パーティーが反左派であると同時に、反・反新自由主義であった点を考えると必ずしも両運動は符合するものではない。デヴィッド・ハーヴェイは新自由主義の一側面を、福祉国家体制を資本蓄積の危機とみなした資本家階級が資本を取り戻すべく偏った富の再配分を行うことを企図したものと論じた(ハーヴェイ『新自由主義』)。ティー・パーティーはまさしくこれを体現していたわけだが、在特会にはこの反・反新自由主義的特質は極めて薄い。両者に共通するのはむしろ反左派と排外主義だけと言えるだろう。在特会の伸長を事実上後押ししたのも、反左派と排外主義への親和性であったと考えられる。要するに、在特会を積極的に受け入れはしなくとも、大きな積極的批判や対抗をすぐには生み出さないという態度が日本で可能となったのは、すでにこういった反左派と排外主義的な感覚が一定程度醸成されていたからと考えられる。ではこの社会的雰囲気はどのような背景で出来上がってきたのだろうか。

 2007年の参院選で圧勝し2009年の衆院選で誕生した民主党政権が果たして左派であったかどうかは別として、この政権が自民党から見れば相対的に左派寄りであり、それまで小泉政権から引き継いで安倍自民党がすすめてきた新自由主義路線にある程度のブレーキをかけるものであったことは間違いない。ここで見られる反左派感情の発露がいつから醸成されていたかを詳らかにするのは難しいが、重要な鍵となるのが、日本会議と呼ばれる団体だ。日本会議は政治家と財界関係者、宗教右派の要人らで構成された、おそらくは日本最大の宗教的かつ政治的なロビー団体で、2007年当時で衆参合わせて225人が所属していたとされ、第三次安倍改造内閣の閣僚だけで見てみると実に65%が日本会議国会議員懇談会メンバーとなっている(青木理『日本会議の研究』)。日本会議は、在特会が発足するちょうど10年前の1997年に、仏教系や神道系、その他新興宗教から成る宗教右派「日本を守る会」と学界や財界の保守から成る「日本を守る国民会議」が合体するかたちで成立した。もともと両者の事務局には重複して任に当たっていた人物が複数おり、この合体には事務手続き等の簡便化という側面もあったらしい。その中心にいたのが、椛島有三だ。若い頃から「生長の家」創設者である谷口雅春に大きな影響を受けていた椛島は、学生運動華やかなりし1967年に長崎大学で長崎大学学生協議会を発足させ、後に日本青年協議会を立ち上げている。その後椛島は、1978年の元号法制化実現国民会議で中心となり、それを改組した日本を守る会の事務局長となり、最終的に日本会議の事務総長にまで上り詰めている。椛島が全面的に依拠してきた「生長の家」は、戦前に創設された右派宗教団体で、戦時中は戦争協力で勢力を伸ばし、戦後も「生長の家政治連合」を結成して、国政に複数の国会議員を送り込んでいる。団体の方針転換から1983年に政治活動を停止したが、事実上、そのバトンは日本会議に託されたと考えてよいだろう。2000年代後半になると与野党内での日本会議関係者の数は前述のごとき状態となり、2014年の「官邸スタッフに至っては、全員が同懇談会メンバーで占められるという徹底ぶりとなっている」のだ(青木、位置 No. 613)。

 小選挙区比例代表並立制が成立し、自民・民主による二大政党制が確立し始めた1990年代末頃は、冷戦終結後の加速するグローバル化の中で日本社会も少なからぬ変革を求められていた時期であった。「構造改革」を声高に唱えた橋本内閣は規制緩和を断行し、たとえば WTO からの圧力もあり、大規模小売店舗法の改正と運用の大幅変更を通じて、外資系小売業の本格的参入を認めるに至った。こういった政策に加えて大幅な緊縮政策も行われ、新自由主義改革は当然のごとく社会格差の拡大をもたらし、それに対する人々の鬱憤は確実に蓄積していった(この点については前掲のハーヴェイ『新自由主義』に付された渡辺治「日本における新自由主義の展開」が詳しい)。そのあおりを正面からくらってしまったのが、さきほど言及した2007年、2009年第一次安倍政権の歴史的大敗だと言えよう。つまり、かなりおおざっぱな見取り図となってしまうが、学生運動の頃に反左派として上げられた狼煙が、元号法制化という保守運動の中で頭角をあらわし、グローバル化が加速しこれまでの政治体制が変わっていく中で、反左派と保守という点で日本会議へと結実し、それが第二次以降の現在へと続く安倍政権を誕生させ、わたしたちの現在へとつながっているというわけだ。

 いったんまとめておこう。2007年以降の在特会の伸長を可能にしたのは、あの強烈なヘイト行為を許容する日本の社会そのものであり、在特会が依拠しているのは人種主義に隠れてしまいあまり見えにくいが反左派と排外的保守主義だ。在特会の主張する「特権」なるものの一部が生活保護の「不正受給」や「利権」であり、同時に反共産主義的であることを思い起こせば、ここに新自由主義との高い親和性を読みとることもできる。これらを下からのヘイトだとするのであれば、それを規制しないという意味で事実上、容認しているのは、「生長の家」にまで辿れる長い歴史を持った、原理的ともいえるほどに保守的で反左派の日本会議と安倍首相を含む多くの政治家の実践する政治そのものである。当然のことだが、こういった為政者がヘイトスピーチやヘイトクライムを積極的に是認することはない。だが、それを明確かつ積極的に批判しないという態度は、実質的な容認とみなさざるを得ないのだ。下からの在特会に対してこれら政治家は、上から消極的にではあっても許諾を与えている。安田は在特会メンバーらが活動にある種の高揚感や快感、充実感を得ていることに注目していたが、快感と充実感への渇望に突き動かされる彼らの反左派と排外主義的保守主義の主張は、結果的にではあっても、日本会議の標榜するイデオロギーと、そして政権を確固たるものにしたいという政治家としての欲望と合流したのだ。ネット世界とともに現在の日本を覆う雰囲気の一端は、こうしたある種の利害の合流によって出来上がっていると考えられる。

 利害の合流によって許容されて醸成されてしまったヘイト感情が最悪の結果を産むことがあるという点は、冒頭で指摘したが、これを最悪のかたちで立証してしまった実例が数年前にあった。人種的なものではないが、2016年に相模原の施設津久井やまゆり園で起きた相模原障害者殺傷事件だ。入所者を中心に19人が殺害され、23人が負傷したこの事件は戦後最悪のテロ事件であり、ヘイトクライムであった。社会にさらに衝撃を与えたのは、実行犯が施設の元スタッフで障害者に対するはっきりとしたヘイト意識を持っており、自分の行為が社会のためになるのだと信じ、さらにはその旨を安倍首相に書き送っていたという事実だ。「生産性」の名の下に障害者の存在を全否定し殺傷せしめんとした犯人の思想は、緊縮経済と新自由主義の作り出したものだった。加えて記憶すべきは、安倍首相がこの事件に関して何ら批判的コメントを出さなかったという点だろう。障害者に対するヘイトを公の場で批判・否定しなかったのだ。立岩真也と杉田俊介はこの点が人種的ヘイトを是認する社会と地続きである点を見て取り、さらにはそれが政治家による女性蔑視や貧困問題とつながっているのだと指摘している(立岩真也・杉田俊介『相模原障害者殺傷事件』)。ここまで一貫して人種に関するヘイト行為・活動を見てきたが、人種に限らずヘイト行為全般を批判せずに許容してしまう社会は、取り返しのつかない惨事を招いてしまうのだ。

 

対抗文化を強化することの重要性

 相模原障害者殺傷事件の直後から、ツイッターなどではこれをヘイトクライムだと指摘するものが散見された。ただのテロ事件あるいは殺傷事件としてではなく、その根本に障害者へのヘイト感情があったことを指摘したものだ。こうした見解には2016年に成立した「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」の効果を見ることも可能だろう。具体的な罰則規定がないことから批判もされたが、通称「ヘイトスピーチ規制法」とも呼ばれた本法が社会的文化的に果たした役割は少なくないだろう。もちろん、本法は「本邦外出身者」への差別的言動を対象としたもので、障害者差別はこれに含まれない。だが、本法にかかわる議論が広く周知され「ヘイト」という語を知らしめたという意味では少なからぬ効果を持ったと考えられる。もちろんここには、冒頭で指摘したような「流用」される可能性をつねにはらんではいるのだが、それでもひとつのヘイト行為への対抗措置は別のヘイト行動に対する批判を形成することもあるという意味で、意義深いものだと言えよう。

 また別の例を挙げよう。女性へのジェンダー暴力とそれへの対抗運動の例だ。1988年、大阪地下鉄御堂筋で痴漢被害の女性が犯人に抗議した結果、追い回され、マンションの建設現場に連れ込まれてレイプされるという衝撃的な事件が起きた。地下鉄御堂筋事件だ。この事件をきっかけに作られた「性暴力を許さない女の会」HP によれば、女性は警察に「周りの人は怖がってジロジロ見るだけで、声を出してもし誰も来てくれなかったら、今度は何をされるかわからないと思った」と語ったのだとされている(性犯罪を許さない女性の会 HP から)。痴漢という女性にたいする暴力、それも相手をその人格ではなく身体のみとして扱う差別的暴力を、結果として見逃してきた末の事件であった。裁判では、若い犯人二人には将来性も含めて情状酌量の余地があるとされ、求刑よりも短い刑期が言い渡された。これがきっかけとなって電車内での痴漢行為に対する強い批判が起こり、先述の会などが中心となって私鉄各社に改善を要求し、取り締まりが強化され、時間はかかったが2000年の女性専用車両設置につながっていくこととなる。

 上記二つの事例が示しているのは、たとえ消極的にではあっても社会がヘイトに基づく行動を是認したままにしてしまうと、それが目を覆うばかりの結果を引き起こすという事例であり、また同時に、こうした事態を是認しない態度を社会や文化が培っていけば、事態はたとえ遅々としていても変化するという事実だ。ヘイト行為に対しては毅然と対抗する文化を形成し、社会全体でこれを強化していく必要がある。差別的暴力行為において中立は存在しない。差別是認か、あるいはそれに対して徹底的な批判で応える反差別的不寛容か、どちらかしかありえない。梁英聖が指摘する通り、重要なのは「反レイシズム規範の構築」(梁 288頁)なのだ。では差別に抗する不寛容の文化をどうやって育てていけばいいのだろうか。

 最後に、わたしなりの方向性を提示してとりあえずの結論としたい。ここまでの整理で明らかになったと思うが、「ヘイト」の極端に異なった用法をめぐる現在のわたしたちの文化は、あるいはその「雰囲気」は、新自由主義的な社会のもたらした帰結の少なからぬ一部だ。ハーヴェイの言う通り新自由主義が資本家階級による富の偏った再配分を企図したものであり、同時に新保守主義がそれによりもたらされる社会的混乱や不満の受け皿になっているのだとするなら、日本会議は優れて新自由主義的存在であるし、ヘイト活動で日頃の鬱憤を晴らし充実感を得ようとする在特会の「特権」批判は富の偏在から生じる問題をマイノリティに押し付けて攻撃し罵倒するという意味で、新自由主義に都合のよいものとなっている。「ヘイト」をバックラッシュに用いる物言いもこれに加えてよいだろう。重要なのは、マジョリティ側が抱えている差別されているという感覚、あるいはヘイトを向けられているという感覚は、たとえそれがどれほど荒唐無稽に見えようとも、それがそういった人々の感覚の真摯な吐露なのであれば、一笑に付して事足れりとはできないということだ。こういった物言いも「わたしたち」の雰囲気の一部なのだ。ヘイト活動を個人や集団のヘイト感情や意識のみに帰結させて一件落着、とはならない。おおざっぱに言ってしまえば、そういった活動や行動を行う個々人のヘイト感情にも、それを容認する社会にも固有の歴史があり、社会的に醸成されてきた文化的な側面が大きくあるのだ。とはいえ、それで個々人の行為における責任を軽くすることには、当然だが、全くならない。むしろ徹底したヘイト批判の重要性が認識されなければならない。また、個々の行為への批判と同時にその背景も批判的に分析されねばならない。この知見は、批判的人種理論(Critical Race Theory)と呼ばれる、1990年代から米国の一部の法学研究者やアクティビストが集団で作り上げてきた学問的かつ文化的な蓄積に多くを負っている。実は本稿での、ハーヴェイや渡辺の整理に青木の日本会議分析を加えて在特会をとらえなおしてそこに利害の合流を見出すというやり方は、白人資本家と白人労働者の間に非白人への差別という利害の合流(interest convergence)があり、これにより階級的対立が事実上軽減あるいは回避されているという批判的人種理論の議論を援用したものだった(Delgado and Stefancic および Bonita-Silva)。この批判的人種理論は、個人的な感情に帰されやすいヘイトに基づく行為の社会的構築物としての側面を強調し、同時に、表現の自由を絶対視する米国司法界でヘイトスピーチ規制を大学内のキャンパス・スピーチコードとして実現させてきた。冒頭で指摘したとおり、「ヘイト」なる語が広く認識されてきたことは、ヘイト批判が高まりつつある証拠とも言えるわけが、同時に、バックラッシュに流用されてしまう危険性をも表してもいる。だからこそ、差別的な言動を許さないというアクティヴィズムとその社会的構築性の研究というアカデミズムの共同が決定的に重要となるだろう。そのとき、批判的人種理論の蓄積は重要な知見を提供してくれるはずだ。

 

〈引用文献〉

Bonita-Silva, Eduardo, Racism Without Racists: Color-Blind Racism and the Persistence of Racial Inequality in the United States. Rowman and Littlefield Publishing, 2006
Delgado, Richard, Jean Stefancic, Critical Race Theory: An Introduction. New York UP, 2001.
Fackler, Martin “New Dissent in Japan Is Loudly Anti-Foreign,” New York Times 28 Aug. 2010. (https://www.nytimes.com/2010/08/29/world/asia/29japan.html?pagewanted=2 (2019年11月16日閲覧。))
“‘Trump Effect’ led to hate crime surge, report finds,” BBC News 28 Nov. 2016. (https://www.bbc.com/news/world-us-canada-38149406 2019年11月16日閲覧。)
青木理『日本会議の正体』平凡社、2016年。
立岩真也、杉田俊介『相模原障害者殺傷事件――優勢思想とヘイトクライム』青土社、2017年。
ハーヴェイ、デヴィッド『新自由主義――その歴史的展開と現在』渡辺治監訳、作品社、2007年。
安田浩一『ネットと愛国――在特会の「闇」を追いかけて』講談社、2012年。
梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か――社会を破壊するレイシズムの登場』影書房、2016年。
渡辺治「日本における新自由主義の展開」、デヴィッド・ハーヴェイ『新自由主義――その歴史的展開と現在』渡辺治監訳、作品社、2007年、289-330頁。
性犯罪を許さない女性の会、「「地下鉄御堂筋事件」について」、 https://no-seiboryoku.jimdo.com/私たちについて/地下鉄御堂筋事件-について/(2019年11月16日閲覧)

 

西 亮太(にし りょうた)

 中央大学法学部准教授。専門はポストコロニアル批評。論文に「森崎和江のことば――運動論とエロスのゆくえ 1」、『詩と思想』第3巻374号(土曜美術社、2018年)118-124頁など。翻訳にヘザー・ブラウン「マルクスのジェンダーと家族論」『ニュクス』第3号(堀之内出版、2016年)54-65頁など。

 

 


 

 

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