石橋博士: 今回からしばらく、村上春樹の作品について取り上げたい。 ワリ子: 毎年、ノーベル文学賞を受賞するんじゃないかって、話題になってますね!
石橋博士: うむ。ノーベル文学賞自体が何か空中分解してしまった感があるので、今後どうなるかわからんがの。なぜ村上春樹を取り上げるか、わかるかね、ワリ子くん? ワリ子: そりゃ、有名で読者も多いから? 私もちょっとは読んでるし。『ノルウェイの森』(1987年)とか、映画にもなってますよね。最新の長編小説『騎士団長殺し』(2017年)は、長いので「騎士団長」が出る前に挫折しちゃった…… 石橋博士: そうじゃな、「ハルキスト」と呼ばれる熱烈なファン層が一定以上いるし、単行本や文庫版が刊行されるたびに、ちょっとしたニュースにもなる。出版不況の中、文芸書の刊行だけでニュースになる作家というのはかなり特殊だし、それだけ読者が大勢いるということじゃな。そして、さらに興味深いのは、海外における翻訳がずば抜けて多い作家でもあるということじゃ。 ワリ子: どれくらい翻訳されているんですか? 石橋博士: 50を超える国や地域のことばで読まれておるとのことじゃ。例えば『ノルウェイの森』じゃと、以下の表に示すように、35言語の翻訳が確認できる。の翻訳が確認できる。(Wikipedia「ノルウェイの森」参照)
ワリ子: すごーい! そんなに。 石橋博士: 日本にやってくる多くの留学生からすれば、ほとんど必ず、彼女・彼らの出身国の言語に村上春樹作品が翻訳されておるということになる。この点に着目し、金水教授は、言語学的な観点から見た村上春樹作品の翻訳の問題点について、留学生とともに考えていくプロジェクトを立ち上げた。名付けて「村上春樹翻訳調査プロジェクト」と言う。 ワリ子: そのまんま…… 石橋博士: プロジェクト報告書が、2巻(報告書(1)、報告書(2) )まで出ておるぞ。大阪大学リポジトリのサイトで無料配布されておる。 ワリ子: ふとっぱらー! 石橋博士: 役割語や、キャラクターの会話文のスピーチ・スタイルの面から見ても、村上春樹作品は興味深い。つまり、村上春樹作品に現れる多種多様なスピーチ・スタイルが、各国語にどのように翻訳されるか、あるいは翻訳されずに無視されるか、といった問題が浮かび上がってくる。 ワリ子: 村上春樹作品に現れるスピーチ・スタイルって、例えばどんなのですか。 石橋博士: 詳しくは、回を改めて述べていきたいが、一つは、〈老人語〉(金水 2003; 2014)の系譜に属する、年輩の男性の話し方じゃ。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985年)の「老博士」、『羊男のクリスマス』(1985年)の「羊博士」、『海辺のカフカ』(2002年)の「カーネル・サンダーズ」などがそれに当たる。クリストファー・ボグラー氏の提示したアーキタイプ(「〈役割語〉トークライブ! 第10回」参照)で言うと、〈トリックスター〉がかった〈メンター〉に位置づけられる人物と言える。打ち消しに「〜 ん」を用い、人の存在に「おる」、進行・結果表現に「〜 とる」を使う。断定形式は「〜 じゃ」の場合と、「〜 だ」の場合がある。「羊博士」がその典型じゃ。『世界の終わり 〜』の老博士は、「困るですよ」のように動詞終止形に「です」を接続する、変わった話し方をする。この系列には、『騎士団長殺し』の「騎士団長」も入れることが可能である。ただし騎士団長は、「〜 あらない」という極めて特異な話し方をするのじゃがな。後に述べる、『海辺のカフカ』の「ナカタ老人」も、この〈老人語〉グループに入ると見ることもできる。 ワリ子: 羊博士のしゃべり方は、石橋博士とそっくりですね。(笑) 石橋博士: むむ。第二に女性キャラクターの話し方に特徴がある。基本的に、重要な女性キャラクターの話し方は、「〜 かしら」「〜 なの」「〜 だわ(ね)」など、どちらかというと古風な〈女ことば〉を用いている。しかし『海辺のカフカ』では、女ことばのヴァリエーションが増えている。甲村記念図書館・館長の「佐伯さん」は、他の作品の女性キャラクターと同じような古風な〈女ことば〉を用いるが、カフカ少年がバスの中で出会った「さくら」という若い女性は、「〜 だよ」「〜 だね」など、やや女性性の薄い表現を用いることで佐伯さんとの差異化が図られている。また上品なシャム猫の「ミミ」の話し方は、いわゆる〈お嬢様ことば〉に近い、極めて女性性の高い話し方をしている(文 2018)。 ワリ子: 「古風な」って言うけど、村上春樹の小説を読んでて、そんなに古くさい感じはしないけどなあ。 石橋博士: それはおそらく、彼の小説全体が、いわゆる翻訳小説のような雰囲気で書かれているせいじゃろう。それは、男性の話し方にも関係している。これも、後で詳しく見ていきたい。あと、関西方言を中心とする、方言話者の問題もあるが、これは今後の課題としよう。 それではまず入口として『海辺のカフカ』の、各キャラクターの話し方について見ていきたい。
村上春樹(2002)『海辺のカフカ 上』(新潮社刊)
石橋博士: 『海辺のカフカ』は、単行本として刊行された村上春樹の中・長編小説としては、10番目に当たる作品じゃ。2002年に単行本が出版され、2005年には文庫化されておる。2008年にはアメリカで、そして2012年・2014年には日本でも蜷川幸雄演出で舞台化(『舞台 海辺のカフカ』TBS テレビ:TBS 赤坂 ACT シアター)もされた。2019年にも再演されて話題となったぞ。
『海辺のカフカ』CM(ホリプロステージ)
あらすじを確認しておく。 「田村カフカ」(旅の中で自ら名乗った偽名)という、東京都中野区に住む15歳の少年が家を出て高松市へと旅立ち、カフカ少年が実母ではないかと疑う、甲村記念図書館・館長の佐伯さんや司書の大島さんらと出会い、また高知の森の中で冥界巡りのような不思議な体験を経て成長を遂げ、東京へと帰って行く奇数章の物語と、同じく中野区に住む、ナカタさんという知的障害を持つ一風変わった老人が、ジョニー・ウォーカーと名乗る不気味な男と出会って彼を殺してしまい(少なくともナカタさんはそう信じ込んで)、東京を出て西へと放浪の旅に出る中、ホシノ青年というトラック運転手にも助けられながら高松市にたどり着くという偶数章の物語が、同時並行で進みながら結末に至る。ボグラー氏の「ヒーローズ・ジャーニー」モデル(「〈役割語〉トークライブ! 第10回」参照)にもよく当てはまる冒険の旅の物語と言える。 ワリ子: 二つの視点を異にする物語が別々に進んでいくって、『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』や『1Q84』(全3巻、2009〜2010年)にもありましたね。『1Q84』の BOOK3 は、視点が3つになったけど。 石橋博士: では、まず奇数章について、各章に分けてストーリーを追っていく。「ヒーローズ・ジャーニー」の項目も、参考までに付しておこう。
石橋博士: カフカ少年は、父親から恐ろしい予言を与えられ、日常的にはネグレクトとも言える扱いを受けておった。そして、物心つく前に実母と、彼女の連れ子である姉が家を出て行ったことに対し、自分を捨てた恨みと、二人への強い思慕の情を持っておった。学校では友達もおらず、時折、強い暴力的な行動に出ることも書かれておる。さらに、年齢相応の男子としての性衝動も抱えておった。このように、カフカ少年は根深い「非対称性」(「〈役割語〉トークライブ! 第13回」参照)を背負っており、その非対称性の解消を願って家を出たと見ることができる。すなわち、彼の旅は、彼が成人となるための通過儀礼の意味を持っていた。「カラスと呼ばれる少年」は、カフカ少年のみに認識される人格であり、おそらくはカフカ少年の自我が分裂して生まれたものだろう(加藤 2009 参照)。カラスと呼ばれる少年はつまりカフカ少年自身ではあるが、慎重で内省的であり、重要な局面ごとにカフカ少年に適確な助言を与えるという点で、〈メンター〉としての役割を果たしている。 ワリ子: 加藤典洋氏は、「解離性人格障害」(300頁)と言ってますねー。 石橋博士: さらに、大島さんもまた心強い〈メンター〉であり、終始、カフカ少年を擁護し、助力を与え続けた。佐伯さんやさくらさんは、カフカ少年に初めて性的な充足を与えることで、他者との交流の一端を教える異性の存在であり、また父の予言で告げられた、思慕と憎しみの対象としての母であり姉である。このような意味で〈同調者〉であり〈変貌者〉でもある。内田(2016)の用語で言えば、実の母と姉は〈深層的喪失者〉であるが、さくらさんと佐伯さんはその喪失感をカフカ少年が克服するための〈伴走者〉としての資格が与えられておると言える。 ワリ子: なんで、カフカ少年は四国に行くんですかねー。 石橋博士: 四国は本州から海で隔てられた土地柄であり、八十八箇所の巡礼地でもあり、むかしから冥界との距離の近い聖地と考えられていたことがその大きな理由であろう。四国全体が言わば冥界でもありまた胎内でもある。少年カフカは、死者の国である、高知の深い森に入り込んで死者と交流をし、そこを胎内として新たな再生を果たしたということじゃろう。内田(2016)でも強調されておるように、日本神話への参照もみられるな。さらには、大江健三郎の小説『同時代ゲーム』(1979年)へのオマージュという見方もある(加藤 2009 参照)。 ワリ子: 佐伯さんは、本当にカフカくんの母親だったんでしょうか? 母親だとすると、カフカくんは近親相姦をしたことになるわけで、ちょっと引くんですけど…… 石橋博士: その点について、作品の中ではさまざまなほのめかしがあるものの、明言は避けられておる。その点について、あまり深く考えてもしょうがないとも言える。あくまで、性的、あるいは霊的な関係を通じてカフカ少年のイニシエーションを助ける存在と捉えておけばよいのではないかな。佐伯さんの、作品における機能は、偶数章も参照することで一層明らかになるかもしれんな。今回はここまでじゃ。 ワリ子: 次回は、ナカタさんが活躍する偶数章ですね!
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〈参考文献〉
内田 康(2016)
『村上春樹論――神話と物語の構造』瑞蘭國際.
加藤典洋(2009)
『村上春樹イエローページ 3』幻冬舎.
金水 敏(2003)
『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店.
金水 敏(編)(2014)
『〈役割語〉小辞典』研究社.
金水 敏(編)(2018)
『村上春樹翻訳調査プロジェクト報告書(1)』大阪大学大学院文学研究科.
金水 敏(編)(2019)
『村上春樹翻訳調査プロジェクト報告書(2)』大阪大学大学院文学研究科.
文 雪(2018)
『役割語の翻訳手法』大阪大学大学院文学研究科・博士論文. https://ir.library.osaka-u.ac.jp/repo/ouka/all/69699/
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