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ルーン文字の遍歴

第2回 ルーン文字の誕生

 初めに言葉ありき、と『ヨハネによる福音書』は言います。人と人がコミュニケーションを取るためには、相互に意思を伝え合うことのできるなんらかの「言葉」が必要です。その「言葉」は、身振り手振りかもしれませんし、一定の規則性を持った音声かもしれません。いずれにせよ、「言葉」は、「発話」されたその時から、忘却されます。ではその「言葉」の内容を、後々のために記憶し、記録し、想起するためにはどうすれば良いのでしょうか。一つの答えは、文字を用いることです。

 コミュニケーション手段としての人類最初の文字は、古代地中海世界において使用されたシュメールの楔形文字と言われています。これを起点として、オリエントから地中海世界にかけて、様々な文字が発明されました。東アジアと並んで、この地域の文明の展開と文字は不可分の関係にあります。様々な文明の中で発明された多様な文字を用い情報を記録することによって、人々は知と経験を蓄積し彫琢しました。とりわけギリシア文字とローマ文字という地中海文明を支える文字は西洋文明の土台となりました。この2つの文字を駆使して大帝国を築きあげた のがローマです。

 今回は、そのローマ帝国が最も栄えた時代に、ローマを取り囲む壁の向こう側で、どのようにして新しいコミュニケーション手段、つまりルーン文字が誕生したのかというお話をします。

 

 連載第1回で述べましたように、最初のルーン文字は24文字から構成されています。専門家は、そのうち最初の6文字をとって、このルーン文字列をフサルク(fuþark)と読んでいます。8世紀以降の16文字からなる新フサルク(younger fuþark)に対して、24文字のそれは古フサルク(elder fuþark)と呼びます。古フサルクのローマ文字に転写した対応表を以下に示しておきましょう。

図版1 古フサルク

 このフサルクがどのようにして誕生したのかという問いは、数百年にわたって論じられてきました。後日紹介することになりますが、16・17世紀の北欧の学者たちは、祖国のあちこちで確認できるこの不思議な文字の魅力の虜となりました。当初は、ギリシア文字やローマ文字とは異なるルーン文字という「おらが文字」に対して、彼らなりの「愛国心」に基づくアプローチをとっていました。「おらが文字」は世界最古の文字だ、という自尊心の発露です。そのような段階を経て、ルーン文字に対してより「科学的」なアプローチが適用されるようになったのは、18世紀後半に比較言語学と近代文献学という研究分野が確立したことによってです。

 その間の紆余曲折はいずれお話しするとして、今回は、今世紀を代表するルーン学者マイケル・バーンズの導きに従いながら、現在の学問水準に則して、ルーン文字の誕生について考えてみましょう。彼はルーン文字の誕生に関して以下の4点にまとめています。

① ルーン文字は2世紀に誕生した。

② ルーン文字は南スカンディナヴィア(現在のデンマーク、ノルウェー南部、スウェーデン南部)で最も早く利用された。

③ ルーン文字は、ゲルマン人の文字としての独自性は残しつつも、フェニキア文字、ギリシア文字、ローマ文字といった地中海における文字伝統の中で生まれた。

④ ルーン文字はローマ帝国と接触する領域で発展した。

 現在、上記バーンズの見解には多くの研究者が賛意を表明しています。もちろん、彼の仮説が絶対に揺るがないというわけではありません。そもそもバーンズの解釈に異論を唱えている学者もいますし、ルーン文字が刻まれた遺物は毎年のように発見されています。検討が進めば、今後、バーンズの見解が塗り替えられる日も来るかもしれません。それが学問だからです。とはいえ、バーンズの見解は、現在入手できる資料に基づく参照軸としては妥当なところであるようにも思います。

 

 それでは、以上のバーンズの結論の背景をもう少し詳しく見てゆきましょう。

① ルーン文字は2世紀に誕生した。

 なぜルーン文字の誕生を2世紀に遡らせているかといえば、ルーン文字が彫られた現存最古の遺物類が、この時代に集中しているからです。例えば、デンマークのユトランド半島にある遺跡イレロップ・オーダル(Illerup Ådal)、フュン島のヴィモーセ(Vimose)、ドイツ北部のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州(1864年以前はデンマーク領)のトールスベルク湿原(Thorsberg)などで発見されたローマ時代の産品には、初期ゲルマン語(Early German)が古フサルクで刻まれています。

図版2 ヴィモーセで発見された櫛(150〜200年頃)。
櫛の上部に「Harja」という名前が刻まれている。

この時代はまだゲルマン人全体で共通する古ゲルマン語が用いられていたため、古北欧語(Old Norse)としての特徴を備えてはいませんでした。これらの遺跡で発見されたルーン文字の刻まれた遺物はいずれも、戦勝などを祈念して沼沢地に奉納されたと思われる武器や装飾品などです。北欧は寒冷な気候であり地中は湿度が保たれているため、こうした遺物が幸運にも現在に至るまで残ったのでしょう。

 もちろん、これは現時点の話で、将来にはひょっとするとこれよりも時代を遡る証拠が出てくるかもしれません。例えば、紀元50年頃のものであると比定されている、ドイツ北部のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州のメルドルフ(Meldorf)で発見されたブローチは、現時点ではそこに刻まれている文字列がローマ文字なのか古フサルクなのか確定できません。

図版3 メルドルフのブローチに刻まれている文字列

しかしいずれこれが解読されルーン文字と確定されるかもしれませんし、もしくは類似の証拠が出てこないとも限りません。

② ルーン文字は南スカンディナヴィア(現在のデンマーク、ノルウェー南部、スウェーデン南部)で最も早く利用された。

①でも見ましたように、最古の遺物が出土した遺跡は、スカンディナヴィア南部に集中しています。

地図1 6世紀以前の古フサルクが刻まれた遺物の分布

それらはとりわけデンマークを中心に発見されています。沼沢地が多いせいでもあるのでしょう。そうしたことから、デンマークのルーン学者エリック・モルトケのように、ユトランド半島南部こそがルーン文字揺籃の地だと強く主張する論者もいました。モルトケの場合は、やや国粋主義的なところがあり、1864年以降ドイツ領となったシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州を、本来はデンマークのものであり、「北欧人の文字」であるルーン文字が生まれた場所なのだ、と言いたかったのかもしれません。またこれは、遺物の残り方の問題に依存しているのだ、という批判も可能です。先ほど述べましたように、初期ルーン文字に関しては、沼沢地への奉納物などに刻まれたものが主であり、それは、その地域がたまたま寒冷で保存状態が良いものが残っているにすぎないのかもしれません。

 とはいえ、ルーン文字が刻まれた遺物の用いられた年代が、同じゲルマン人の居住領域においても、地域ごとに異なることも事実です。言語学者のティーネケ・ローイジェンガが作成した地図が示すように、最初期のルーン文字がスカンディナヴィア南部に集中していることは厳然たる事実ですので、ルーン文字の発明と初期の利用がこの地域で行われたことは、さしあたり想定して良いだろうと思います。

地図2 古フサルクが刻まれた遺物の拡散
12−5世紀 23−5世紀 35−6世紀 46−7世紀)
(Looijenga (2020), p. 828)

 

③ ルーン文字は、ゲルマン人の文字としての独自性は残しつつも、フェニキア文字、ギリシア文字、ローマ文字といった地中海における文字伝統の中で生まれた。

 18世紀に比較言語学と近代文献学に基づくルーン研究が始まって以来、最も激しい議論の対象となったのがこの点です。

 初期ゲルマン語の音声表記を可能とするであろう24の文字列を古フサルクと呼びます。一目瞭然であるように、ルーン文字の はローマ文字の B と R に対応しています。従いまして、ルーン文字がローマ文字から影響を受けていることは誰もが合意できるでしょう。しかし、木材・石材・金属を書記媒体として刻銘されるルーン文字は、その形状から、そのほかの地中海文字の影響も受けていると長らく主張されてきました。具体的にはエトルリア文字やギリシア文字です。その詳細を辿ることはしませんが、形状が似ているという以上に、ルーン文字を地中海文化圏の発明である文字群と強く結び付けたい、という欲求が論者の間にあったのかもしれません。言語学者として古典学の素養もあったであろう論者らにとって、陰鬱な北ヨーロッパに住まうゲーテやアンデルセンが陽光きらめく地中海文化に眩しさを感じていたように、地中海文化は絶えず彼らを魅了していたのかもしれません。

 しかしローマ文字以外の可能性が全くなくなってしまったのかといえば、そうとも言い切れません。一つには、ルーン文字を用いていたゲルマン人の移動範囲も広かったからです。次の論点とも関わりますが、各地で発見されるローマ貨幣や金属製品から明らかなように、傭兵業や交易を通じて、ゲルマン人もまた、絶えずローマ帝国と接していました。彼らの一部が、例えば黒海にまで至り、ギリシア文字を使う集団と継続的に接触することもあったかもしれません。もう一つは、ギリシア文字自体が、ゲルマン人の居住空間に到達していた可能性です。行政の公用言語をラテン語とするローマ帝国は、2世紀の段階で、ルーン文字が使われていたゲルマン人の活動領域に近づいていました。ローマ帝国内で用いられていたのはもちろんラテン語でありローマ文字ですが、実のところ、ギリシア語とギリシア文字も使われていなかったわけではありません。現存する碑文から明らかなように、それはゲルマニア(現在のライン川の東・ドナウ川の北あたり)でも用いられていました[1]。トラヤヌス帝(在位:98-117年)の時代に属州となったダキア(現在のルーマニア)も、ゲルマン人と東方のギリシア文化圏をつなげる役割を果たしたように思われます。

地図3 トラヤヌス帝時代のローマ帝国の版図
(ピンクの囲みは元老院属州、緑は皇帝属州、灰色は従属国)

 

④ ルーン文字はローマ帝国と接触する領域で発展した。

 バーンズが指摘するように、ルーン文字は、ローマ帝国と関わる領域で発展してきました。それが意味するところは、ルーン文字の展開には、ローマ文明が不可欠であったということでもあります。言語学者のローイジェンガは、そうした文明の影響が色濃いローマ帝国とゲルマン人の境界地域でルーン文字が生まれたとすら述べています。

 私たちはここで一歩踏み込んで文字の機能とは何かを考えてみましょう。最初に述べましたように、文字とは口頭でのコミュニケーションを保存し伝達するための道具です。もし、ローマ文明をただ摂取するだけであれば、ゲルマン人は、ローマ文字をそのまま採用すれば良かったでしょう。しかし彼らはそういう選択はしませんでした。一部の文字はローマ文字をそのまま継承したにせよ、大部分は、書記手段に応じた特殊な形を取るような選択をしました。つまり、木材、金属、石材などに刻みやすい直線を組み合わせた形をとったのです。なぜゲルマン人独自の文字列としたのか。そうした選択には理由があると考えるべきでしょう。社会言語学者のミヒャエル・シュルテは、「古フサルクは、ゲルマン人がその書記を試みた最初期の段階での社会的必要性に対応した独自のデザインである可能性が高い」(Schulte 2015)としています。つまり、それまで伝達手段としての文字を持たなかったスカンディナヴィア南部のゲルマン人に、文字を持たざるを得ない理由ができた、ということです。

 実のところ、その「社会的必要性」が何であるのかは、必ずしも明確にされていません。現存する最初期のルーン文字が刻まれた物品は、すでに述べたように、宗教的な目的で用いられた武器や道具です。それらを用いたのは、ゲルマン人の中でも、高位に属していた人々であったでしょうし、また、文字を刻むという行為ができるのは、特殊な職能でもあったでしょう。それがなんらかのコミュニケーションであることは確かですが、この時点では、日常生活での意思疎通の手段というよりは、宗教的な儀礼の中で、特殊な意味や呪力を込めるための媒介として、であったと理解して良いのかもしれません。

 

 いずれにせよ、以上の検討で了解されるのは、現時点の証拠では、2世紀に、先進的な文字文化を持つローマ帝国と接触する中で、初期ゲルマン語を話す人々が、ローマ文字に影響を受けながら、ルーン文字を発明したということです。紀元98年に成立したラテン語で記されたタキトゥスの『ゲルマーニア』に描かれるゲルマン人は、まだ、文字を持っていませんでした。しかし、ローマ人からすると奇異であり野蛮に見える習俗を持ち、戦闘と儀礼を繰り返すゲルマン人らが、独自の文字を持ったということは、ゲルマン人の社会も大きく変化するということでもあります。私たちが世界史の教科書で知ることのできる、ローマ帝国に侵入したゲルマン人は、文字でコミュニケーションをすることを覚えた集団です。次回はこうしたゲルマン人の中で用いられたルーン文字について、考えてみたいと思います。

 

(2020年12月30日一部修正)

 

〈参照文献〉

ルーンのテクストはこちらのサイトのもの(「RuneS」https://www.runesdb.eu/)を採用しています。

Barnes, Michael P. Runes: A Handbook, Woodbridge: The Boydell Press, 2012.
Fischer, Svante. Roman Imperialism and Runic Literacy: The Westernization of Northern Europe (150-800 AD), Uppsala: Uppsala University, 2005.
Jørgensen, Lars, B. Storgaard, and L. G. Thomsen (eds.). The Spoils of Victory: the North in the Shadow of the Roman Empire. Copenhagen: Nationalmuseet, 2003.
Looijenga, Tineke. Texts and Contexts of the Oldest Runic Inscriptions, The Northern World 4, Leiden: Brill, 2003.
Looijenga, Tineke. “Germanic: the Runes”, Palaeohispanica, 20, 2020, pp. 819-853.
Schulte, Michael. “Runology and historical sociolinguistics: On runic writing and its social history in the first millennium”, Journal of Historical Sociolinguistics, 1.1, 2015, pp. 87-110.
風間喜代三『言語学の誕生――比較言語学小史』(岩波書店、1978)。
清水誠『ゲルマン語入門』(三省堂、2012)。
フィッシャー、スティーヴン・ロジャー(鈴木晶訳)『文字の歴史――ヒエログリフから未来の「世界文字」まで』(研究社、2005)。

 


〈注〉

[1] ゲルマニアで発見された碑文は、こちらのサイト(「Germania - PHI Greek Inscriptions」https://epigraphy.packhum.org/regions/1502)で検索可能。神戸大学の佐藤昇さんにご教示いただきました。

 

 

小澤 実(おざわ みのる)

 1973年愛媛県生まれ。立教大学文学部史学科世界史学専修教授。専門は西洋中世史。著書に、『辺境のダイナミズム』(共著、岩波書店)、『知のミクロコスモス――中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』(共編著、中央公論新社)、『北西ユーラシアの歴史空間』(共編著、北海道大学出版会)、『近代日本の偽史言説――歴史語りのインテレクチュアル・ヒストリー』(編著、勉誠出版)、『歴史学者と読む高校世界史――教科書記述の舞台裏』(共編著、勁草書房)などがある。NHK TV アニメ『ヴィンランド・サガ』の時代考証を担当している。

 

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