Web英語青年

Web英語青年ブログ

  • 最新配信
  • RSS

訳の質

訳の質

カテゴリ : 
くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-8-3 21:40
先週、出張で札幌に行って来た。私は日本在住26年になるが、北海道は初めてだった。九州もまだ。旅行は苦手だ。

出張の目的は筑波大学と北海道大学が共催していた国際シンポジウムに参加することだった。テーマは「高等教育におけるプロフェッショナル・ディベロップメント」なので普通は「ことばのくも」で取り上げないものだが、言葉について思いついたことが一つあったのでそれを紹介する。

このシンポジウムには日本の他、中国、韓国、米国などの大学関係者もいたので、発表はぜんぶ英語で行っていた。ただ、出席者の大半は英語などを専門としない日本人だったので、3人の通訳者による同時通訳が提供されていた。日本語または英語が分からない人は、無線ヘッドセットで通訳が聞こえるという仕組みだった。私は通訳が必要なかったので、ヘッドセットを使わなかった。

翻訳の場合は、訳の質を評価するのに主に二つの方法がある。一つは、元の文章とその訳文を比較して、意味が充分に伝えられているか、間違った訳や抜けているところがあるかを検討することだ。その方法では、誠実な直訳が高い評価を受ける傾向がある。もう一つは、原文を見ないで、訳文だけを読むことだ。その方法では、両言語の対応よりも翻訳の読みやすさ、表現の自然さなどが高く評価されがちだ。(もちろん、両方の方法を同時に応用すべきだが、原文への誠実さと訳文の自然さを同時に実現するのは不可能な場合が多いので、どうしても片方へウェイトを置くことになる。)

しかし、同時通訳の場合は、最初の方法、すなわち発表者が口にする言葉が数秒後、通訳者が口にする言葉に漏れなく忠実に再現されているかを検討するのは無意味に近い。特に日本語と英語の場合は、センテンスの構造がだいぶ違うので、意味が実用的なレベルだけで伝えられているか、すなわちコミュニケーションが成立しているかにウェイトを置くべきだ。

北大でのシンポジウムについては、私は通訳をいっさい聞かなかったにも拘わらず、その質が高かったと断言できる。今まで出席した国際会議では、通訳を通して行った質疑は無意味に近いことが多かった。聴衆からの(例えば、日本語での)質問は発表者が(例えば、英語で)言っていたことと大幅にずれていて、そして発表者の答えがまたその質問にまったく答えにならなかったことが多い。しかし今回はそのようなずれはなかった。ディスカッションは片方が日本語で、また片方が英語で行っても、情報伝達はスムーズに成立していた。明らかに3人の通訳者が屈指のプロだった。

在道は短かったが、仕事が終わってから週末に、札幌市内の散策や小樽への遠足ができた。日曜日の夜に横浜の自宅に戻った。北海道にはまた行ってもいい。

▲ページトップに戻る