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討議のうろ覚え

討議のうろ覚え

カテゴリ : 
くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2010-3-11 21:20
前回、討議に関する討議の予告編を書いたので、今回はその結果報告をすべきだろう。しかし、私自身も討議にのめりこんでいたためか、今となってはその詳細をよく思い出せない。特に、私がこのブログで提案した討議の「文法ルール」が適用されていたかどうかわからない。討議は録音されていたので、後日、報告書などで文字化されたときに、その「文法」の分析に取り組もうと思う。ここではとりあえず、まだはっきり覚えている討議の設定と終わり方だけを報告する。

大学のホールで、80人ぐらいの傍聴者に囲まれて8人の討議者が輪を作って座っていた。その一人が司会を務めたが、話の内容はそれぞれの討議者に任せられていた。普通のパネル・ディスカッションとの違いは、我々討議者は互いの顔も聴衆の顔も常に見えていたため、話している間も他の討議者や聴衆を同じように意識していたことだ。そのためか、普通のパネル・ディスカッションより討議らしい討議になったと思う。

終わり方で面白かったのは、時間が大幅にオーバーしたことだ。8人の討議者の話はだいたい時間内に終わったが、質疑の時間が始まると、討論に参加したい熱心な人が多く現れた。「ぜひ、私に話させてください!」と大声で叫んだ大学生もいた。その人たちの参入で討議がますます面白くなったので、結局、予定より1時間ぐらい延びて終わった。中座した人も数人いたが、ほとんどの人たちは最後まで残ってくれた。

公開の討論が終わったら、討議者たちは場所を変えて、食事を摂りながらまた3時間ぐらい議論を続けた。これも初めのうちはどんどん面白くなる一方だったが、後半のほうになると、疲れとアルコールの影響で討議の質がついに落ちるようになった。それでも、たいへん「良い討議」だったと私は感じていた。

私がこれから研究しようと考えている討議の文法学では、討議の終わり方が一つの重要な課題になりそうだ。というのは、だらだら続く無駄な討議はもちろん良くないが、有益な討議すら長く続いてしまうと、その内容がどんなに良くても「ずっと座っていてお尻が痛くなった」といったような記憶しか残らないこともある。「良い討議は予定より長くなる場合もあるが、最良の討議は参加者や傍聴者が肉体的な疲労を感じて注意力が散漫になる前に終了する」をもう一つの討議の文法ルールにしよう。

討議の重要性はくも本でも論じられている。Robert Watersの Culture by Conversation(1907年)のイントロに次のようなことが書かれている。
It is a strange thing that although there have been written, within the last twenty-five years, more books on education, mental, moral and physical, than perhaps in all the years before, scarcely anything has been written on Conversation as an educational factor. And yet, as the writer proposes to show, no agency is more powerful in the development of the mind, in the gaining of culture, in the formation of character, in the creation of ideas, in the inspiration of literary workers, and in the achieving of professional and social success, than this little-prized intellectual exercise.(妙なことに、この25年の間だけで、以前よりも多くの本が、知的、道徳的、肉体的な教育について執筆されているが、教育の要素としての会話についてはほとんど何も書かれていない。しかし、著者はこれから示そうとしているのだが、知力の発達、教養の習得、人格の形成、アイディアの創出、文筆家の着想、そして仕事や社会的な成功には、会話という軽視されがちな知的活動よりも有効な手段はない。)



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