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英語報国

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カテゴリ : 
青年の蔵 (『英語青年』の過去記事)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2010-4-13 20:40

第二次世界大戦が末期に近づいたころの『英語青年』が手に入った。1943年12月1日号には、東京神田の「一つ橋講堂」で行った語学教育研究大会の報告があった。以下はその抜粋である:


午後は一時半から鈴木文史郎氏の講演があつた。


新聞人としての立場から氏もまた外国語、そして日本人にとつては今日は不倶戴天の敵国の言葉ではあるが、それにも拘らず英語の学習が如何に必要であるかを様々な事例を挙げて話された。殊に死力を尽して戦つてゐる今日、所謂宣伝戦なるものが一般普通人の想像し得ない程恐るべき偉力を発揮するものであることを先の大戦の事例を引いて説き、その宣伝戦に敵国の言葉が味方にとつて如何に強力なる武器であるか、殊にラヂオの発達した今日、この敵国の言葉が先の大戦の場合の何倍、何十倍の偉力を発揮するか測り知れないものがある、と云はれる。第一流の新聞人からかゝる言葉を直接聞いて聴衆の大半を成す英語教師は益々英語報国の念に徹することを心に誓つたことと思ふ。


これを読んで二つのことを考えた。

一つは、1970年代前半に私が米国の公立高校でロシア語を勉強できたのは、冷戦中のためにロシア語が「敵国の言葉」とみなされていたからということだ。授業や教科書そのものには政治的な色はほとんどなかったのだが、そもそもその授業が開講されていたのは、「敵国の言葉」の勉強が「報国」に貢献する、という考え方が地元の教育委員会などにあったからに違いない。

今のアメリカでは、ロシアが「敵国」でなくなったからか、ロシア語の学習状況は
低迷している。中国語や日本語を勉強している大学生が増えているが、それは中国の経済発展、日本のオタク文化の人気によると思う。目下、「報国」の精神が外国語学習に影響を与えているケースは、2001 年同時多発テロ以降のアラビア語の急激な人気上昇に見られるのみだろう。

もう一つは、「発信型英語教育」という概念が決して新しいものではないことだ。今の日本では、大学生にブログなどを英語で書かせる授業が流行っているのだが、1943年にも、ラジオという最新コミュニケーション技術を使って英語でプロパガンダを発信することが英語教育の目的の一つだったようだ。英語には The more things change, the more they stay the same. という諺があるが、まさにそのとおりだ。


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