簡潔にして強烈なカエサルの名言
Veni, vidi, vici「来た、見た、勝った」は世間で一番よく知られているラテン語のフレーズと言っても過言ではありません。カエサルの名言として伝えられているこのフレーズは、その簡潔さが印象的であるからか、さまざまな場面で使われています。例えば、大阪の家電小売店「喜多商店」(2013年閉店)は、これをもじった「来た、見た、買うた(買った)」をキャッチフレーズにしていました。「きたしょうてん」の名前にもかけています(もしこのフレーズをラテン語に訳すなら Veni, vidi, emi になります)。他にも、アメリカ合衆国の TIME 誌に “Veni, Vidi, Gucci” という題名の記事が掲載されたこともあります(韓国人の一部の贅沢な生活を取りあげた記事;https://time.com/archive/6644608/veni-vidi-gucci/ 2002年3月11日掲載;2024年6月13日閲覧)。 通常は veni と vidi の後にそれぞれ英語の and に相当する接続詞を入れるのですが、Veni, vidi, vici の場合は入っていません。このように、接続詞を入れずにつなげることを専門用語で asyndeton と言います。また、これにより全ての単語が v で始まり i で終わる2音節の語になり、語呂がよくなっています。 まず、文脈を解説する前に各単語を見てみましょう。
venio は英語の adventure 「冒険」の -ven- の部分などの由来になっています(adventure の元はラテン語 adventura 「これから到来する物たち」)。video は「ビデオ」の語源、また television 「テレビ」の -vis- の部分もさかのぼれば video に行きつきます。vinco は victory 「勝利」の語源です。英語の invincible は「無敵の」という意味ですが、成り立ちは「打ち負かすことができない」です。また、専門的なことを言うと vinco の n は(venio の n と違って)現在形の動詞につくものなので、vinco の完了形 vici には n が無いのです。
古代の人はどう伝えた?
さて、この言葉が登場する作品を見てみましょう。その作品とは、修辞学者である大セネカによる Suasoriae です(セネカといっても日本において名前が知られている哲学者のセネカは特に「小セネカ」と言われ、大セネカの息子です)。ラテン語の原文は以下の通りで、引用の形になっています。 expectemus, si nihil aliud, hoc effecturi, ne insolens barbarus dicat: veni, vidi, vici, 他に出来ることがないなら、傲慢なバルバロイ(異邦人)が『来た、見た、勝った』と言わないように待とうではないか トゥスクスという歴史家が演説中にこう言ったと、大セネカは批判的に伝えています。というのも彼の演説には時代錯誤があるからです。この演説は suasoria という種類のもので、意味は「(歴史上または神話伝説中の人物の説得を目的とする)修辞練習の弁論」(『研究社 羅和辞典 改訂版』624頁)です。そしてこの演説における時代設定はペルシャと戦争をしている古代ギリシャです。veni, vidi, vici はカエサルがポントゥス王パルナケース2世に勝利した際(紀元前47年)に発した言葉だから、カエサルの時代よりも何百年も前である設定の時代において veni, vidi, vici を使うのはおかしいということです。大セネカは veni, vidi, vici について「死後に神格化されたカエサルがパルナケースに勝利した際に言った」と解説しており、大セネカによる Suasoriae という作品が veni, vidi, vici について書かれた、現存する最古の文献になります。 他にはスエトニウスという歴史家は「カエサルが、ポントゥスについての凱旋行進において、行列で運ばれるものとして VENI VIDI VICI という3単語の刻文を掲示した」と書いています。スエトニウスはこの文を「カエサルが言った」とはっきり言っていません。ちなみに、カエサルがポントゥス王に勝利した戦いは、その場所から「ゼラ(Zela)の戦い」と言われています。現在のトルコの黒海に近い場所で、現在はズィレ(Zile)と呼ばれています。 さらにはプルータルコスも、『対比列伝』においてカエサルはゼラの戦いに勝利した後、友人のアマンティウスへの手紙においてこのフレーズを書いたと伝えています。プルータルコスは古典ギリシャ語で書いたので、原文は Ἦλθον, εἶδον, ἐνίκησα. になっています。最初の単語は ἔρχομαι 「来る」の、次の単語は ὁράω 「見る」の、最後は νικάω 「勝つ」の直説法能動態アオリスト(かなり大雑把に言えば、単純過去のようなもの)一人称単数になっています。 いかがでしたでしょうか。veni, vidi, vici はたった3語のラテン語ですが、調べてみると歴史だけでなく当時の修辞学についても、さらにはギリシャ語についても知ることができます。ぜひ、ラテン語だけでなく有名なフレーズを見た際は、その起源も調べてみてください。新たな発見があるはずです。
〈参照文献〉
Feddern, Stefan. (2013). Die Suasorien des älteren Seneca: Einleitung, Text und Kommentar. De Gruyter.
Perrin, Bernadotte. (1919). Plutarch, Lives, Volume VII: Demosthenes and Cicero. Alexander and Caesar. Harvard University Press.
Rolfe, John. (1914). Suetonius, Lives of the Caesars, Volume I: Julius. Augustus. Tiberius. Gaius Caligula. Harvard University Press.
Winterbottom, Michael. (1974). Seneca the Elder, Declamations, Volume II: Controversiae, Books 7-10. Suasoriae. Fragments. Harvard University Press.
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