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ルーン文字の遍歴

第11回 博物学から近代ルーン学へ: ルズヴィ・ヴィマーと文献学

1ルーン碑文のカタログ化

 連載第10回で取り上げた、ルーン学の祖ヨハンネス・ブレウス(Johannes Bureus, 1568-1652)は王立古遺物管理官(riksantikvarie)の初代長官でもありました。1630年にスウェーデン国王グスタヴ2世アドルフによって設置されたこの官職は、現在もストックホルムの国立歴史博物館に隣接する王立古遺物管理局(Riksantikvarieämbetet)を統括する役割を任っています。

図版1 スウェーデン王立古遺物管理局

スウェーデン王国全体で発見された古遺物を管理するこの組織は、考古遺物や貨幣に加えて、ルーン碑文もその対象としています。

 ブレウスの死後も、スウェーデンでは国家事業としてルーン碑文の収集を進めました。デンマークやノルウェーと比べてもスウェーデンには大量のルーン碑文があるため、各地に役人を派遣したり現地で情報を収集したりするこの事業は簡単なものではありませんでした。そのような中、スウェーデンとゲルマン人の一派のゴート人との関係を究明するために、王国全土のルーン碑文収集という大きな目標を掲げたのはウプサラ大学医学部教授のウーロヴ・ルドベーク(Olof Rudbeck, 1630-1702)です(連載第10回)。そのルドベーク以来の願望を実現したのは、ヨーハン・ヨランソン(Johan Göransson, 1712-69)でした。ヨランソンは、それまでスウェーデン国内で集められたデータを一つにまとめる作業を行い、スウェーデン初の包括的なルーン碑文のカタログ『バウティル』(Bautil, 1750)をまとめることに成功しました。

図版2 『バウティル』(1750)

1173点のルーン碑文の図版が掲載されている本書は、その後のスウェーデンにおけるルーン研究の基礎を築きました。

2ドイツとイギリスの「参戦」

 17世紀以降、ルーン碑文やルーン石碑の現物を大量に保持するデンマークとスウェーデンが、カタログ化においても研究においても激しい競争を繰り広げてきました。しかし、連載第1回で述べたように、ユトランド半島の南方で生まれたとされるルーン文字が利用されたのは北欧だけではありません。24文字からなる古フサルクは、デンマークの南部から広がり、ゲルマン人の定住地全体で用いられました。ルーン文字はもともと北欧に限られた文字ではなくゲルマン人の文字であったことを思い起こす必要があります。

 最も鮮明な形でドイツにおけるルーン文字を世に知らしめたのは、言語学者であるグリム兄弟の弟ヴィルヘルム・グリム(Wilhelm Grimm, 1786-1859)です。

図版3 ヴィルヘルム・グリム

フリードリヒ・フォン・サヴィニー(Friedrich von Savigny, 1779-1861)の歴史法学に学び、当時のロマン主義思想の流れに乗ってゲルマンの古事を探求していたグリム兄弟が、ドイツに伝わる伝説や古法からゲルマン人の文字であるルーン文字に関心を持つようになるのは当然でした。カッセルの図書館で司書を務めていたヴィルヘルムは、1821年に『ドイツのルーンについて』(Über deutsche Runen)を刊行しました。

図版4 ヴィルヘルム・グリム『ドイツのルーンについて』(1821)

これは古フサルクを用いたルーン遺物がドイツ語圏でも発見されたことを契機に書かれたものですが、ヴィルヘルムが「ドイツ」と「ドイツ民族」の歴史の古さを探究するために執筆した論考でした。

 その後ドイツでは、ロマン主義の高まりの中で、ルーンを含めた古ノルド語研究が、北欧に勝るとも劣らない水準で大きく進展しました。こうした研究に大いに貢献した2人の人物を挙げておきましょう。1人はミュンヘン大学のコンラート・マウラー(Konrad Maurer, 1823-1902)です。

図版5 コンラート・マウラー:
クヌード・バリスリエン(Knud Bergslien)による肖像画(1870)

法の歴史的研究を重視する歴史法学派の流れを汲むマウラーは、アイスランドやノルウェーに残る膨大な数の中世法の校訂と研究を進めました。彼の死後刊行された『古ノルド語法史講義』(Vorlesungen über altnordische Rechtsgeschichte, 1907-10)は今なお大きな影響を与えています。もう1人はキール大学のフーゴー・ゲリング(Hugo Gering, 1847-1925)です。

図版6 フーゴー・ゲリング

彼は『エッダ』の校訂や語彙研究も行いました。この2人は、バイロイトでリヒャルト・ヴァグナーの楽劇『ニーベルンゲンの指輪』が上演され、ゲルマン神話(北欧神話)と「ゲルマン性」への関心が高まる中、古ノルド語文献学にとって不朽の業績を残したという点でルーン研究にとっても大きな役割を果たしたと言えます。

 次にイギリスに目を向けてみましょう。英語圏におけるルーン研究に大きな足跡を残したのは、リヴァプール生まれのジョージ・スティーヴンズ(George Stephens, 1813-95)です。

図版7 ジョージ・スティーヴンズ:
J・A・ヴァッテルバリ(J. A. Wetterbergh)による油彩画(1839)

英国人ながらコペンハーゲンで英語学の教授となった彼の最も大きな仕事は、4巻にわたる『北欧とイングランドの古北方ルーン碑石』(The Old-Northern runic monuments of Scandinavia and England, 1866-1901)の刊行でした。ルーン碑文のカタログとしてはこれまでで最大のものです。もう1人挙げるべき人物は、オックスフォードの教授職を得たアイスランド人のグズブランドゥル・ヴィグフッソン(Guðbrandur Vigfússon, 1827-89)です。

図版8 グズブランドゥル・ヴィグフッソン:
シグルズル・グズムンドソン(Sigurður Guðmundsson)による肖像画(c.1850)

現在なお私たちが用いている『アイスランド語英語辞典』(An Icelandic-English Dictionary, 1874)の編者の1人であるグズブランドゥルは、数多くの写本などを収集し刊本や古ノルド語からの翻訳を刊行することで、英語圏に古ノルド語研究の基礎を築きました。

3ルズヴィ・ヴィマーと文献学の時代

 19世紀はナショナリズムと文献学の時代でもあります。ヨーロッパ各国では自らの民族的起源と特性が認められるとする中世以前のテクストへの関心が高まり、各国ごとに歴史史料叢書が次々と刊行されました。北欧諸国においても同様の動きが認められます。デンマークに注目するならば、デンマーク国立博物館の設立、北欧古遺物協会の結成、古代や中世を扱う雑誌の刊行が相次ぎます。このようなデンマークの古事の探究は、1864年のデンマークのプロイセンへの敗北によるユトラント南部の喪失の時期と重なることで、より大きなうねりを生み出します。その一方で、デンマークの植民地であったアイスランドでは、コペンハーゲンで中世アイスランド文献を学んだヨウン・シグルズソン(Jón Sigurðsson, 1811-79)が、アイスランド人のアイデンティティの確立と自立を促すことで、1874年に自治法が制定され、独立の機運を高めました。2024年3月に日本で公開されたフリーヌル・パルマソン監督によるアイスランド映画『ゴッドランド』(Vanskabte Land, 2022)は、まさにこのような、デンマークとアイスランドにとって大きな変化を経験した時代を背景に描かれていました。

 このような大きな変化の時代に生まれてきたのが、デンマーク人のルズヴィ・ヴィマー(Ludvig F. A. Wimmer, 1839-1920)です。

図版9 ルズヴィ・ヴィマー:
アウグスト・ヤンドルフ(August Jerndorff)による油彩画(1897)

ヴィマーは、デンマーク言語学の黄金時代、つまり比較言語学のラスムス・ラスク(Rasmus Christian Rask, 1787-1832)やオリエント文献学のニルス・ヴェスタゴー(Niels Ludvig Westergaard, 1815-78)の影響のもとでサンスクリット語などインド=ヨーロッパ言語の研究を志し、19世紀末にモンゴル高原北部のオルホン河畔で発見された突厥とっけつ文字が記されたオルホン碑文を解読したヴィルヘルム・トムセン(Vilhelm Ludvig Peter Thomsen, 1842-1927)やゲルマン祖語の音韻変化に新知見をもたらす「ヴェルナーの法則」を発見したカール・ヴェアナ(ヴェルナー)(Karl Adolph Verner, 1846-96)といった同世代の学者とけんを競うように北欧言語学に没頭しました。1871年にはコペンハーゲン大学に職を得、86年から北欧語文献学の正規教授となります。

 比較言語学を習得し北欧言語に深く沈潜することで、ヴィマーは「北欧におけるルーン文字の誕生と発展」(“Runeskriftens oprindelse og udvikling i Norden”, 1874)という論文を発表しました。のちに研究言語であるドイツ語にも翻訳されたこの論文は、各地で発見されたルーン碑文を利用し、北欧言語の起源を、24文字の古フサルクが用いられていた時代にまで遡らせる画期的な内容でした。従来、ルーン文字の起源をめぐっては議論が積み重ねられてきましたが、ヴィマーの論文により、新たに厳密な文献学の手法に基づく論争が始まりました。

 ルーン文字の生成発展史において画期的な成果を出したヴィマーは、デンマークのルーンを総括するカタログを刊行しました。全4巻6分冊で3000ページ近くになる『デンマークのルーン記念碑』(De Danske Runemindesmærker, 1893-1907)で、極めて精密な文献学的解説とヴィマーの解釈を添えた、現在でもなお通用する高度な校訂版でした。

図版10 『デンマークのルーン記念碑』第1巻(1893)

デンマークではその後、このヴィマーの4巻本を縮約して刊行したリース・ヤコブセン(Lis Jacobsen, 1882-1952)が戦中に、20世紀デンマークを代表するルーン学者エリック・モルトケ(Erik Moltke, 1901-84)とともに新しい校訂版を刊行します。これが現在デンマークのルーン碑文を扱う際に標準とされている『デンマークのルーン碑文』(Danmarks Runeindskrifter, 1941-42)です。

 ヴィマーの校訂版と相前後して、ノルウェーとスウェーデンでもナショナルな枠組みでの校訂版の刊行が始まりました。ノルウェーではソーフス・ブッゲ(Sophus Bugge, 1833-1907)が全3巻の『古フサルクのノルウェー碑文』(Norges indskrifter med de ældre runer, 1891-1924)そして『新フサルクのノルウェー碑文』(Norges Indskrifter med de yngre runer, 1941- )を、マグヌス・オルセン(Magnus Bernhard Olsen, 1878-1963)とともに刊行しました。

図版11 『古フサルクのノルウェー碑文』第1巻(1891)

一方スウェーデンでは、スヴェン・スーデルベリ(Sven Söderberg, 1849-1901)とエーリク・ブラーテ(Erik Brate, 1857-1924)が『スウェーデンのルーン碑文』(Sveriges runinskrifter, 1901- )に着手しました。

図版12 『スウェーデンのルーン碑文』第1巻(1906)

スウェーデンは、デンマークやノルウェーと比べると現在に伝来する碑文の分量が桁違いに多いので、以降、多くのルーン学者が国家事業としての校訂に関わることになりました。これらは今なおそれぞれの地域における標準校訂版として利用されていますが、実のところ、まだ完結はしていません。ノルウェーでは、1955年にベルゲンのブリッゲン地区で起こった火事を契機に発見された中世ルーン文字が刻まれた木簡の整理が進行中です(連載第8回)。

4ルーン碑文と描画

 ここで少し視点を変えてみましょう。ルーン碑文のカタログにおいて最も重要な役割は、目の前にはないルーン碑文の伝える情報を読み手が再現可能とすることです。現在における校訂の基本は、碑文現物をトランスクリプトし、判読可能な活字にするとともに、古ノルド語訳と現代語訳をつけることです。しかし復元された文字テキストだけでは、モノでもある碑文についての十分な情報を伝えることはできません。そのため、ルーンのカタログには、可能な限り、現物のイラストと写真がセットで掲載されます。

 16世紀以来、現物の描画は不可欠でした。ルーン碑文を描写した最も古い事例として、1591年にイェリング墳墓を描いたドイツの人文学者ハインリヒ・ランツァウ(Heinrich Rantzau, 1526-98)の描画があります。

図版13 ハインリヒ・ランツァウによるイェリング墳墓(1591)

当時は同じ描画が別の書物に再録されることは珍しくなかったため、印刷本から印刷本へとコピーされた描画は、ヨーロッパ中で共有されました。

 ルーン碑文の挿絵画家として最初に名を馳せたのは、デンマークのヨン・スコンヴィ(Jon Skonvig, c.1600-64)です。前回取り上げたオラウス・ウォルミウスによって石碑などが建つ現地に派遣された彼は、『デンマークのモニュメント6書』(1643)に多くの挿画を残しています。

図版14 ヨン・スコンヴィによるイェリング石碑(1643)

もちろん、現在の水準に照らし合わせるならば、縮尺や描写内容も含めて不十分と言わざるを得ません。しかし、すでに碑文現物が失われてしまったものも多いため、スコンヴィの描画は貴重な情報を伝えてくれます。同様のことはスウェーデンに関しても言えます。上述した『バウティル』(1750)に収められた碑文の描画は、20世紀の校訂に際しても採用されることもあります。

 描画技術や銅版画技術の向上とともに、19世紀には、従来のそれと一線を画した描画が登場しました。デンマークのアダム・ミュラー(Adam August Müller, 1811-44)やヤコブ・コーネロプ(Jacob Kornerup, 1825-1913)ら卓越した作品を残した画家が現れましたが、中でもユリウス・マグヌス=ピータセン(Julius Magnus-Petersen, 1827-1917)が果たした役割は大きいと言えます。コペンハーゲンの芸術アカデミーを卒業後、国立博物館に職を得たマグヌス=ピータセンは、職業画家として、考古遺物に関する多数のイラストを残しています。私たちが注目すべきは彼によるルーン碑文関連のイラストです。

図版15 マグヌス=ピータセンによるイェリング石碑

彼はスティーヴンズやヴィマーのルーンカタログに描画を提供しましたが、それらは今なお、ルーン碑文描画の最高傑作と言って良い水準を私たちに示しています。

 20世紀に入り、写真技術が発達すると、職業画家による描画は、科学的研究にとって時代遅れであるという認識が広まりました。しかしルーン碑文は、長年風雨にさらされてきた結果、文字や背景画が摩耗していることも多く、必ずしも写真や拓本が十分な情報を私たちに伝えてくれるわけではありません。スウェーデンにおいては、標準校訂版において一旦写真による記録を採用したものの描画に戻すということも起こりました。近年、科学史や美術史でも博物画家に注目する研究が現れていますが、ルーン学においても今後期待される研究分野です。

520世紀のルーン学

 上述したように、20世紀を通じて北欧各国で、研究の基礎となるルーン碑文校訂本の刊行が進展しつつありました。以下ではルーン学に関する20世紀の大きな動きをまとめてみます。

 第一に、近代化に伴う各地の開発が急速に進むことによって、新しいルーン石碑が次々に発見されたことです。例えば、現在、スウェーデン国際空港として空の旅の玄関口となっているストックホルム近郊のアーランダ空港第2ターミナルにはルーン石碑が安置されています。

図版16 アーランダ空港第2ターミナルのルーン石碑

この石碑は、1990年にストックホルムからアーランダ空港への自動車道を敷設している工事現場で発見されたものです。もう1例を挙げるとすれば、2020年にスウェーデン南部のイスタードの下水管工事の最中に再発見されたフンネスタッド・モニュメントの一部です。

図版17 フンネスタッド・モニュメント

前回取り上げたウォルミウスの『デンマークの古遺物に関する6書』(1643)にイラスト付きで掲載されていたこのモニュメントは、近代の地域開発の波の中で、モニュメントを構成する一部が消失しました。

図版18 再発見されたフンネスタッド石碑(DR284)

現存する石碑のうち3つはルンド文化史博物館に展示されていますが、これで4つめの石碑が揃ったことになります。

 第二に、以上のような新出ルーン碑文も含めて、各国でルーンを管理する機関が設置されたことです。デンマークは国立博物館のルーン研究室(Rune Laboratory)、ノルウェーはオスロ大学文化博物館内のルーンアーカイヴ(Runarkivet)、スウェーデンは古遺物管理局のルーン部局です。もともと、発見されたルーン石碑は、デンマークもスウェーデンも17世紀以来民族の歴史を反映する財産として国家が管理していましたが、次第に関心を持つものも少なくなり、地域行政や研究者個人に任せるままとなっていました。しかし博物館、ロマン主義、さらにはナショナリズムの時代を経て、古遺物は再び国家の関心を引くようになりました。北欧各国はルーンの専門家を採用し、保存と研究に従事させてきました。これらの機関は国家事業として上述のルーン碑文校訂版の作成も担う一方で、新出碑文に関してはノルウェーの Nytt om Runer やスウェーデンの Fornvannen のような機関誌で発表してきました。しかし長年にわたってルーン研究を支えてきたこれらの部局も、近年、予算削減の煽りを受けて縮小されていることも事実です。スウェーデンはともかく、デンマークやノルウェーでは組織が抱えるルーンの専門家は現状1人に止まっています。なお20世紀における国家とルーンに関する特異な事例としては、ナチズム期のドイツにおけるルーン研究を指摘しなければなりません。こちらについては次回詳しくみる予定です。

 第三に、国際的なルーン学者の協力体制の成立です。近世以来、ルーンのカタログの校訂版作成や研究は原則、国家単位でした。それは、ルーン文字もまた、ナショナリズムを誘発する一つの道具として、ナショナルヒストリーの枠内で研究されてきたからです。ウォルミウスとブレウスの対立は前回確認しましたが、20世紀に入っても、例えばルーン文字の起源地や短枝ルーン・長枝ルーンの分布をめぐって、エリック・モルトケなどは、デンマークにおけるルーンの古さを主張するナショナリスティックな見解を述べていました(現在、ルーンの起源はデンマーク南部が妥当とされていますので間違いではないところもあるのですが)。このような研究状況に風穴を開けたのはアメリカのルーン学者クレイボーン・W・トムソン(Claiborne W. Thompson)です。彼は1981年、勤務先のミシガン大学で、欧州から名だたるルーン学者を招聘し、第1回国際ルーン会議を開催しました。イギリス、ドイツ、北欧各国それぞれの報告者が英語を公用語として議論するこの会議は、その後4年ごとに場所を変えて開催されています。そのような偉業を成し遂げたトムソン博士は、会議後程なくして同僚であった妻のフレデリカとともに大学を辞め、カリフォルニアでワイン作りを始めました。その後、40年を経た今、彼らの Caliborne & Churchill 社は、カリフォルニアワインの一角を占めるブランドワイナリーに成長しています。個人的な思い出で恐縮ですが、筆者も参加した2010年オスロで開催された第7回国際ルーン会議には、主催者のオスロ大学教授ジェイムズ・クナーク(James Knirk)の配慮により、トムソン博士と奥様が招待されていました。彼らはカンファレンスディナーで特別ゲストとして挨拶をしたのち、海の彼方のカリフォルニアから自分のワイナリーでできたワインを参加者皆に振舞ってくれました。ワインのラベル名は「Runestone」でした。

図版19 「Runestone」のラベル
Caliborne and Churchill 社のオーナー Caliborne Thompson 博士による提供

 ルーン文字研究をめぐる動きは、グローバリゼーションとデジタライゼーションが支配する21世紀に入ってさらに加速します。詳細は別稿(小澤 2022)に記しましたのでここでは繰り返しませんが、そこでは記さなかった重要な変化を記しておきましょう。それは女性研究者の活躍です。現在、ルーン研究を主導しているのはイギリスのジュディス・ジェッシュ(Judith Jesch)、ノルウェーのクリステル・ツィルマー(Kristel Zilmer)、デンマークのリスベス・イメール(Lisbeth Imer)、スウェーデンのライラ=キツラー・オーフェルト(Laila Kitzler Åhfeldt)、ドイツのガービー・ヴァクセンベルガー(Gaby Waxenberger)ら女性研究者らです。しかし私が初めてルーン会議に参加した2010年ですら状況は大きく異なっていました。ロシアのエレーナ・メルニコヴァ(Elena Melnikova)という別格研究者はいましたが、イギリスのマイケル・バーンズ(Michael Barnes)、ドイツのクラウス・デューウェル(Klaus Düwel)、ノルウェーのジェイムズ・クナーク、スウェーデンのヘンリク・ウィリアムズ(Henrik Williams)ら男性研究者が全体を運営していました。昨今、女性政治家も数多く活躍する中で意外に思われるかもしれませんが、北欧のアカデミアも長い間男性が支配的でした。前述の『デンマークのルーン碑文』を編んだリース・ヤコブセンは、コペンハーゲン大学で初めて北欧文献学の博士号を取得した女性であり、『デンマーク語辞典』(Ordbog over det danske Sprog, 28 vols. 1919-56)や『北欧中世文化史事典』(Kulturhistorisk Leksikon for nordisk Middelalder, 22 vols. 1956-78)の編者も務めた大学者です。

図版20 リース・ヤコブセン

しかし生涯大学に職を得ることもなければ北欧古遺物協会の会員にもなかなか推薦されませんでした。そのような先人の苦労を思えば、時代は大きく変わった、ということです。

 

〈参照文献〉

ルーン校訂本
Bugge, Sophus, and Magnus Olsen (eds.). Norges Indskrifter med de ældre Runer, 3 vols. Christiania, 1891-1924.
Bugge, Sophus, and Magnus Olsen (eds.). Norges Indskrifter med de yngre Runer, Oslo, 1941- .
Düwel, Klaus (hrsg.). Ueber deutsche Runen; und, Zur Literatur der Runen (Jacob Grimm und Wilhelm Grimm’ Werke, Abt. 2: Die Werke Wilhelm Grimms Ergänzungsbd. 2), Hildesheim: Olms, 2009.
Jacobsen, Lis, and Erik Moltke (eds.). Danmarks Runeindskrifter, 3 vols. København, 1941-42.
Stephens, George. The Old-Northern Runic Monuments of Scandinavia and England, 4 vols. København, 1866-1901.
Söderberg, Sven, and Erik Brate (eds.). Sveriges Runinskrifter, Stockholm, 1901- .
Wimmer, Ludvig (red.). De Danske Runemindesmærker, 4 vols. København, 1893-1907

研究
エーノクセン、ラーシュ・マーグナル(荒川明久訳)『ルーン文字の世界――歴史・意味・解釈』(国際語学社、2007年)。
小澤実「半世紀の孤独――谷口幸男『ルーネ文字研究序説』(1971)とその後」谷口幸男(小澤実編)『ルーン文字研究序説』(八坂書房、2022年)、283-297頁。
風間喜代三『言語学の誕生――比較言語学小史』(岩波新書、1978年)。
高橋健二『グリム兄弟』(新潮文庫、2000年)。
Futhark 12: Corpus Editions of Runic Inscriptions, 2021.(http://futhark-journal.com/futhark-12/
Hvidt, Kristian. Forsker, furie, frontkæmper: En bog om Lis Jacobsen, København: Gyldendal, 2012.
Jakubczyk, Radosław. “Guðdbrandur Vigfússon as an editor of Old Norse-Icelandic literature”, Folia Scandinavica Posnaniensia 21, 2016, pp.19-30.
Jørgensen, Lise Bender. “The State of Denmark Lis Jacobsen and other women in and around archaeology”, Magarita Díaz-Andreu, and Marie Louise Stig Sørensen (eds.), Excavating Women: A History of Women in European Archaeology, London: Routledge, 2005, pp. 214-234.
Lindow, John.“George Stephens: An unlikely conduit”, Terry Gunnell (ed.), Grimm Ripples: The Legacy of the Grimms' Deutsche Sagen in Northern Europe (National Cultivation of Culture, 30), Leiden: Brill, 2022, pp. 239-258.
McTurk, Rory, and Andrew Wawn (eds.). Úr Dölum til Dala: Guðbrandur Vigfússon Centenary Essays (LTM 11), Leeds: University of Leeds, 1989.
Moltke, Erik. “Tekniske hjælpemidler og metoder i epigrafiens tjeneste med særligt henblik på runeindskrifter”, Fornvännen 27, 1932, pp. 321-341.
Moltke, Erik. Jon Skonvig og de andre runetegnere (Bibliotheca Arnamagnæana, Supplementum 1-2), 2 vols. København: Munksgaard, 1956-58.
Moltke, Erik. Runes and their Origin: Denmark and Elsewhere, Copenhagen: The National Museum of Denmark, 1985.
Schier, Kurt. “Maurer, Konrad”, In: Reallexikon der Germanischen Altertumskunde 2. Aufl. Bd. 19, 2001, S. pp. 453-464.
Wawn, Andrew (ed.). Northern Antiquity: The Post-Medieval Reception of Edda and Saga, Hisarlik Press, 1994.
Wawn, Andrew. The Vikings and the Victorians: Inventing the Old North in Nineteenth-century Britain, London: D. S. Brewer, 2000.

 

小澤 実(おざわ みのる)

 1973年愛媛県生まれ。立教大学文学部史学科世界史学専修教授。専門は西洋中世史。著書に、『辺境のダイナミズム』(共著、岩波書店)、『知のミクロコスモス――中世・ルネサンスのインテレクチュアル・ヒストリー』(共編著、中央公論新社)、『北西ユーラシアの歴史空間』(共編著、北海道大学出版会)、『近代日本の偽史言説――歴史語りのインテレクチュアル・ヒストリー』(編著、勉誠出版)、『歴史学者と読む高校世界史――教科書記述の舞台裏』(共編著、勁草書房)などがある。NHK TV アニメ『ヴィンランド・サガ』の時代考証を担当している。

 

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