18歳と19歳の我が娘たちと話すとき、あるいは渋谷など若者が群がる街を歩くとき、「みたいな」がよく耳に入る。これは「ライオンみたいな猫 a cat that's just like a lion」(『新和英大辞典』の用例)や「まるでうそみたいな値段だ」(『大辞林』)のように、名詞の前に付ける助動詞ではなく、文末にくる「みたいな」である。
この使い方が嫌いな大人がいるようだが、私に面白いと思えるのは、英語の前置詞 like との類似性。「みたいな」と同じように、like は名詞の前に付くのが通例なのに対して、若者の会話では名詞から独立して多用される。例えば、
He was, like, really mad. 彼は, その, かんかんに怒っていましたよ (『新英和中辞典』)
この like は discourse particle (談話助詞) と名付けられて
真面目に研究されるようになったが、一般の大人からは依然として耳障りと批判されている。
それで私が知りたいのは、どうして似たような意味(= like meanings!)を持つ「みたいな」と like が同年代の日本人と米国人などの会話に流行るようになったのか、である。まるで偶然の一致、みたいな。