キャンパス内の図書館では、1943年から1946年までの『英語青年』が欠号しているので、機会があったら別のところで、戦争末期までこの雑誌が英語教育の排斥を叫ぶ人たちにどのように対応したか読んでみたい。英語教育排斥を叫ぶ者「イタリア」七月号の巻頭言で、大原明敏氏は英語教育排斥を叫んでいふ、『皇軍は血を流して米英軍と戦ひつつあるのに、国内では旧態依然として英語教育を続行し、甚しき児童にまで英語を教へてゐる。理屈を捏ればどうにでもつくが、現実に対する感情は欺けない。英語習得用教科書には、何れも巧みに米英尊重の思想や彼等の自由主義的人生観や利己的処生術が織込まれ、不知々々に彼等を崇拝し、その文化を敬慕するやうに導いてゆく。米英人の生活を知り感情を理解せんと努めたる過去の教育思想こそ憎むべし。しかるに今日に及んでも尚且つその方針を堅持し、しかして八紘為宇の大精神を昂揚せんと試みるとはこれ程矛盾した教育法があるであらうか。...』