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第18回 映画『シン・ゴジラ』の役割語(2)――「ネイティブな英語」だからこそ表せるカヨコ・アン・パタースン

 

 

 はじめに 

 みなさん、こんにちは。

 前回(「〈役割語〉トークライブ!」第17回)は映画『シン・ゴジラ』の中で、早口と丁寧語の使用が特徴的である登場人物のセリフについて述べました。今回は『シン・ゴジラ』のうち、米国特使カヨコ・アン・パタースンのセリフを取り上げます。カヨコの話す日本語は丁寧語を用いない、いわゆる「タメ口」です。そのため、丁寧語が多用される『シン・ゴジラ』ではひときわ目立ちます。

 なお、あらかじめお断りしておかなければならないことがあります。それは、今回取り上げるカヨコ・アン・パタースンをはじめとする日系人キャラクタを担う表現とは、現実世界で話されているかどうかに関わらず、フィクションの世界で、他者を表現するために用いられる言語的手段(キャラクター言語、または役割語)のひとつだということです。決して、現実の日系人とはこのような話し方をするものであるとして決めつけたり、誹謗中傷したりするものではありません。また、日系人であって、カヨコたちの話し方と異なる話し方をする方を、否定するものでもありません。どうぞご了承ください。

 

 カヨコの人物像 

 カヨコはどのような人物でしょうか。彼女は、日本人の祖母を持つ日系三世の米国人女性です。ゴジラが東京に侵攻して一旦東京湾に戻ったあと、米国大統領の特使として来日します。その目的は、ゴジラの存在を以前から予言していた牧悟郎元大学教授についての情報取引きです。日本側から情報を得る代わりに、ゴジラに関する米国の知見を巨大不明生物特設災害対策本部(巨災対)に提供します。彼女は米国上院議員の娘であり、40代で大統領になることを目標に据え、親のコネをも利用して伸し上がる、切れ者の若手政治家です。

 新聞などのメディアはカヨコの人物像について次のように報じています。

 

ネーティブ発音の英語を織り交ぜ、強圧的に仕事を推し進めるカヨコ役は相当な難役だ。

「石原さとみが日系3世の難役に挑む ネーティブ発音の英語も魅力『シン・ゴジラ』」『産経ニュース』2016年7月31日 19:00)

・劇中、(中略)重要なセリフが大量にある。それを、日系3世というネイティブを想定した英単語を要所要所に盛り込みながら、すごいスピードで話し続けるパタースンの自信みなぎる姿は、圧巻だ

(なかおちぐさ(2016)「表紙の人 “石原さとみ 体にフィットする衣装にしたので体形管理に気を使いました”」『日経ヘルス』2016年9月号、p. 139)

・日本にルーツを持ちつつも、米国の利益を代表する立場にある人物。ネイティブの英語を随所に交えた日本語でまくし立てる強烈なパーソナリティを含め、見る者を微妙にイラつかせつつ、外部から日本の政治・官僚機構に風穴をあけていく。一方で矢口とのやり取りや祖母が愛した祖国への思いから、少しずつ彼女自身も変化もしていくという難しい役柄である。

(Kurozu Naoki「【インタビュー】石原さとみ 30歳を前に起きた意識の変化 アフリカ訪問からゴジラの衝撃まで」『シネマカフェ』2016年8月3日 16:45)

 

これらからは、カヨコの、「ネイティブ」の英語が混じる日本語と、早口で鼻につく物言いが、強烈な印象を持って受け取られたことがうかがえます。映画『シン・ゴジラ』に登場するセリフの大半が早口であることは前回見たとおりですが、その速さについては石原さんも報知新聞のインタビューで次のように語っています。

 

 (セリフを)普段の倍速でやってほしいって指示で。(中略)具体的には映画『ソーシャル・ネットワーク』の主人公の速さでって言われたんですが、見たらめっちゃ早い。速いものをゆっくりするのは可能だから、とにかく練習しました。

(土屋(2016)『報知新聞』2016年8月5日付 首都圏版 16面)

 

英語を速く話すというだけでなく、日本語と混ざったセリフも早口で言うのですから、きっと練習量は相当なものだったことでしょう。それでは、その、他者を圧倒するセリフを見てみましょう。

 

 カヨコのセリフの特徴 ①――「タメ口」と〈女ことば〉 

 まず、カヨコのセリフの特徴として、文末に「です・ます」のない「タメ口」であることが挙げられます。日本人として登場する人物の大半が丁寧語を伴うセリフによって組織の中の一員として描かれる中、セリフの英語部分に付された字幕以外では、彼女の話す日本語はすべてがタメ口です。丁寧語の字幕が付される箇所も、日本の内閣総理大臣や自身の上司と話す場面に限られるため、カヨコのセリフ全体に占める丁寧語の割合は10%未満とごくわずかです。そのため、ゴジラと対峙する日本の政治家や官僚らの中で、つまりは映画『シン・ゴジラ』の中でカヨコは非常に浮いて見えます。このことは、日本政府や巨災対という組織にカヨコが与しない人物であることを印象付けます。

 次に、早口で、一時の迷いもなく、かつ日本人を顎で使うかのような、高慢にも受け取れる物言いも、カヨコの特徴と言えます。たとえば、下のひとつめの例を見てください。映画『シン・ゴジラ』にカヨコが初めて登場する場面での第一声です。主人公の矢口蘭堂から、矢口を接触相手として選んだ理由を聞かれてカヨコが答えています。ここでは矢口のことを、カヨコが自分の使う駒として選んだという、暴言ともとれる発言が飛び出します。また、「不服でも?」と先手を打って尋ねることで、矢口から「不服」が出ることを暗に牽制しています。(以下、DVD『シン・ゴジラ』[庵野秀明監督、東宝、2017年]より引用。セリフに付された時間表示は DVD の経過時間を示す。)

[矢口を選んだ理由について、初対面の矢口に回答する]
現政権のレポートを読んで、私が判断した。過去も興味深い。使えそうな人物として RANDOU YAGUCHI がベターな選択。不服でも?[1] (『シン・ゴジラ』35:56)

[矢口に牧悟郎を探すことの対価を問われて]
彼の情報とトレードして、我々の蓄積情報をあなたに渡す。ただし、第3国にインテリジェンスは流さない。Just. US-Japan, so Win-win. (36:46)

[牧悟郎についての情報と引き換えに、米国側の蓄積情報を矢口に渡す]
I trust you. 印刷は特殊インクコピーは不可能(38:49)

[尾頭ヒロミに、米国調査機関の出した分析結果とゴジラの現状が合わないことを指摘されて]
Yes. それに水棲生物から陸上生物への急激な突然変異。今の Godzilla は DOE の情報を超えた状態で、私にも説明がつかない。私の権限で知りうる情報は、ここまで。ここからは personal service! (41:05)

[米軍機がゴジラに撃墜されたことを聞いて独話]
Godzilla. まさに神の化身(1:05:26)

 カヨコのセリフには〈女ことば〉も多用されています。上の1例目には文末表現の「〜 のだ」から断定の助動詞「だ」の落ちた「の」(『〈役割語〉小辞典』「の」の項目参照)が見られ、3つ目の例では、断定の助動詞を介さずに直接、終助詞や名詞等に付き、上昇調で発音される終助詞「よ」(『〈役割語〉小辞典』「よ」の項目参照)が用いられています。また、最後の例では、前回のトークライブで取り上げた尾頭ヒロミのセリフと同様の終助詞「ね」が用いられています。カヨコは尾頭ヒロミと同様に、〈女ことば〉は用いるけれども男性に媚びることのない、仕事のできる切れ者として描かれています。カヨコもまた、これまで〈女ことば〉と結びつけて描かれてきた女性像とは異なる人物であると言えます。

 

 カヨコのセリフの特徴 ②――英語交じりの日本語 

 そして、カヨコのセリフの大きな特徴として多くの話題をさらった、英語交じりの日本語が挙げられます。カヨコは、一文の中で日本語と英語の交じる話し方と、文または文章の単位で日本語と英語が切り替わる話し方の両方を用いています。英語が交じることを除けば、カヨコの日本語には文法上の不自然さは見られません。上の例のように、アルファベットで記された英語の部分のほか、「レポート」などの、いわゆるカタカナ語として日本語話者が普段よく用いていることばも「ネイティブ」の英語発音で話します。映画に登場する人物でない『シン・ゴジラ』の鑑賞者もさすがに、「インク」や「コピー」まで英語読みしなくてもよいのではないかと感じるところだと思われますが、カヨコはさも当然であるかのようにまくし立てます。つまり、聞き手の反応が汲み取られず、話者の独擅場と化しています。

 この、聞き手が置いてきぼりにされるという点では、カヨコのセリフはいわゆる「意識高い系」の話し方と似ています。これは、カヨコのセリフが英語交じりにされた理由の一つであると考えられます。「意識高い系」とは、常見(2012)によると、自分磨きに精を出し、セルフブランディングによって他者とは違う自分を構成してアピールする人のことを指すそうです。

 この「意識高い系」と呼ばれる人には、その属性と結びつけられる特徴的な話し方があるようです。次の例を見てください。これは小説『猫河原家の人びと』の中に出てくる一場面です。友人の仲森ひなたが主人公に、最近参加した合コンで見かけた「意識高い系」の人の特徴を話しています。主人公も仲森ひなたも大学生です。

 「昨日、人数あわせで、初めて合コンってやつに参加してきたんだけど、相手の社会人たちがもうホントにいらいらする人たちでー。私、初めて見たよ。あんなリアルな “意識高い系” の人たち

 意識高い系――なんとなく聞いたことがあるけど、ピンとこなかった。

 「まずね、みんな株取引をやっているのは当たり前で、それで世界経済の動向を見ているっていうアピールをすごくしてくるわけ。こっちがわかんないっていうとすごく馬鹿にしたように『学生のうちからこういうことを知らないと、すぐに置いていかれるよ』とか説教するの。シナジーだのリソースだの、わけのわからないカタカナ語をひけらかすし、自分から振った話題を勝手に広げて、上から目線でアドバイスしてくるからうっとうしくてしょうがない

(青柳碧人(2019)『猫河原家の人びと――探偵一家、ハワイ謎解きリゾート』新潮社、pp. 20-21)

 この例からは、「意識高い系」の人とは、聞き手にとって意味のわからないカタカナ語を得意げに使用し、他人を見下した態度や、不快感を与える点が特徴的であると捉えられていることがわかります。

 それでは、「意識高い系」の人の話し方とは具体的にはどのようなものなのでしょうか。「意識高い系」の人の話し方を知る手がかりとして、同小説に登場する「意識高い系」の人物西田のセリフが参考になります。彼は投資やイベント企画などを行う会社の役員です。彼のセリフを見ると、普段私たちにとってあまり馴染みのないカタカナ語がいくつも出てきていることがわかります。

 下に西田のセリフを二つ挙げました。まずは、辞書を引かずに読んでみてください。彼のセリフはそれぞれどのような内容でしょうか。

[主人公に、自社の店であるにもかかわらず会社代表が開業予定のカフェを訪れるのが今回が初である理由を問われて]
経営責任者には、浜野という重役の一人がアサインされていて、代表はほとんどノータッチです。まあ一応、ブレストカフェというコンセプトが気になっていて、オープン前には見ておきたいということなんでしょう (p. 27)

[主人公および上司に向かって投資について話す]
昨今のトレンドは仮想通貨。死んだ反町や浜野も手を出していたが、あれはテンポラリーなものさ。今から始めたんじゃドラスティックプロフィットは見込めないからやめたほうがいいよ。代表もあれ、やめたほうがいいっすよ (p. 42)

 いかがだったでしょうか。カタカナ語の意味がわからないことには、何を言っているのかが頭に入って来ませんね。ちなみに、上のひとつめの例に出てくる「ブレスト」、「コンセプト」の2語は、カタカナ語の意味と使い方を解説したカタカナ語研究会議監修(2016)の中で「意識高い系パーソンのカタカナ語」に分類されています。

 このようなあまり馴染みのないカタカナ語を用いることで、「意識高い系」と呼ばれる人たちは他の人とは違う自分を作っているのだと考えられます。しかし、聞き手にとってみれば、馴染みのないカタカナ語は内容の理解を妨げる原因となります。そのため、聞き手は自分にはわからない、つまり、自分のことばとして持っていないカタカナ語を、話し手にひけらかされているように感じると考えられます。

 では、カヨコのセリフの場合はどうでしょうか。彼女のセリフでは、日本語の文の中に、カタカナ語として日本語社会に取り込まれていることばも含めて、英語が交じります。それらの英語はいずれも、本場の英語の発音で話されます。つまり、聞き手である日本の政治家・官僚、および鑑賞者にとっては、自分たちの持っていないことば・発音が使われていることになります。そのため、カヨコは本場の英語を自慢しているように受け取られ、強圧的で、他人を微妙にイラつかせるという印象と結びつけられるのでしょう。

 なお、カヨコと同じように自然な日本語と本場の英語が交じることで人物像が形作られる日系米国人キャラクタとして、朝の連続テレビ小説『まんぷく』(NHK、2018年10月〜2019年3月放送)に登場した岡崎体育扮する日系人兵士チャーリー・タナカが挙げられます。彼もまた、聞き手の日本人をイラッとさせる、小憎らしい人物として描かれました。なお、彼の話す日本語は大阪弁です。(以下、NHKオンデマンド『まんぷく(55)「私は武士の娘!」』[福田靖作、NHK制作、NHK2018年12月3日放送回]より引用。セリフに付された時間表示はNHKオンデマンドの経過時間を示す。)

[進駐軍に逮捕された日本人に]
チャーリー・タナカカリフォルニア生まれの正真正銘のアメリカ人や。お前らが口裏合わせんよう、ここでちゃーんと見張ってるからな。 (『まんぷく』(55) 8:33)

 日本語にカタカナ語、あるいは英語を交ぜる話し方には、お笑いタレントのルー大柴さんが使用する、いわゆる「ルー語」も含まれます。しかし、「ルー語」では「藪(やぶ)からスティック」(ルー大柴 2007: 56)の「スティック」のように、中学で学ぶような平易な、広く知られた英語が用いられます。その点で、「意識高い系」とは異なっていると言えます。

 この、英語やカタカナ語をひけらかしていると受け取られて他者をイラつかせる様子は、カヨコの野心や自分を信じて疑わない態度ともつながるでしょう。先に述べた、カヨコの「これまでにない女性像」の一端を担うと考えられます。

 カヨコのセリフが英語交じりであることにはもう一つの理由が考えられます。それは、カヨコの日系人としてのアイデンティティを表現するという点です。カヨコの用いるセリフのうち、「ゴジラ」という語に着目すると、米国特使あるいは米国人としての自負がうかがえるときの発音と、米国政府の命令に背いて日本に残り、巨災対と共にゴジラと対峙すると決めてからの発音に変化が認められます。すなわち、途中から英語発音の「Godzilla」(カタカナを使って表すとすれば「ガッズィーラ」)から、一音一音をはっきりと発音する日本語読みの「ゴジラ」へ変化します。それ以降は、すべて日本語発音の「ゴジラ」で話されます。

 下のひとつめの例を見てください。これはカヨコの「ゴジラ」の言い方に変化の見られる場面でのセリフです。カヨコは一旦、英語の発音で「Godzilla」と言いかけますが、直後に日本語発音の「ゴジラ」に言い換えます。2つ目の例は、映画『シン・ゴジラ』の終盤でのカヨコのセリフです。

[米国が熱核爆弾投下を決めたため自身に退去命令が出されたが、投下を阻止するために日本に残ると矢口に告げる]
 ワシントンで、国防長官が Godzilla……、いえゴジラの処分に熱核兵器を使用すべき、と主張している。西海岸へのゴジラ上陸の可能性が13%というレポートが大統領に上がった。国連大使が安保理に対して、対ゴジラ専門の多国籍軍の設置工作を始めたそうよ。 (『シン・ゴジラ』1:17:23)

[ゴジラの凍結作戦完了後に矢口と話を交わす]
 カウントダウンは飽くまで中断。ゴジラが再び動き出した瞬間に再スタートし、3526秒後には発射される。よく許容したわね、そんなこと。 (1:51:27)

これは、役割語の持つ、発話者の出身地に根差したアイデンティティを表す(岡室 2014)という点が、アメリカ人であると同時に、日本にルーツを持つカヨコの心境の変化に応用されていると言えます。

 なお、石原さんは先に挙げた報知新聞のインタビューで、英語交じりの日本語のセリフについて次のように語っています。この記事からは、石原さんが日本語のセリフを、「微妙に下手」にすることによって、英語を母語とする話者を演じていたことがうかがえます。つまり、英語母語話者の、不完全な日本語を用いてカヨコを演じていたということです。

 

 プライベートの人脈をたどり、米政府で働いていた女性を自宅に招いて取材した。「日本語のどの文字が苦手なのか、癖も聞いて、助けてもらいました。ただ、癖は強調しすぎると日本語自体が下手なように聞こえちゃうし。微妙に下手っていう、その加減が難しかった

(土屋(2016)『報知新聞』2016年8月5日付 首都圏版 16面)

 

 この、不完全であるという点には、「タメ口」であることも関わっているようです。次のセリフを見てください。カヨコは自身の日本語がタメ口である理由について、敬語が苦手なためだと述べています。これが、敬語を運用すること自体を苦手としているということなのか、矢口をはじめとする日本人から、あくまで仕事上のやり取りとして、敬語を用いて腹の内を明かさないような話し方をされるのが嫌だということなのかは、わかりません。ただ、英語を母語とする西洋人の登場人物では、役割語として文末に丁寧語が用いられるのが一般的です(依田 2011)。そのため、カヨコのセリフは「英語母語話者キャラ」としては特殊だと言えます。

どうも日本語の敬語が苦手なの。そろそろ、タメ口にしてくれる? (『シン・ゴジラ』42:01)

 一方、中国人などの東洋人の登場人物には、丁寧語を用いないタメ口、すなわち常体のセリフが特徴的です(依田 2011)。「敬語が苦手だからタメ口で話す」という設定は、所轄警官の奮闘を描いた『踊る大捜査線』シリーズでも登場しました。

 下の例を見てください。これは2012年9月に公開された映画『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』からの例です。警視庁と近隣所轄署員が合同で行った捜査会議で、日本人警察署員と中国人の王明才の発したセリフです。王は中国警察から国際交流の一環として日本の警察に研修に来ている人物です。このセリフの直前に、捜査の指揮を執る警視庁の管理官が、本庁の捜査員に捜査の進捗状況を報告させています。その報告を聞いて、内容に疑問を感じた所轄の警察署員が、自分では気が引けて尋ねられないため、王に質問をさせるという場面です。

緒方: 王さん、管理官に聞いて!

王 : ぼくが? いやよ!

緒方: (立って)すいません! この刑事が聞きたいことがあるそうです!

「あとにしろ!」「所轄は黙ってろ!」と本庁捜査員の声。

夏美: この人、所轄じゃなくて、研修で来てる中国警察の方です!

青島: (中国語で)王さん、どうぞ!

王 : 拳銃の種類、何んで判らないんだ? 変だろ?

青島: すいません、まだ敬語使えなくて!

(君塚(2012)『キネマ旬報ムック 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 シナリオ・ガイドブック』p. 64)

 王は、上司に当たる管理官に向かって、「タメ口」で、核心に迫る質問をしています。しかし、管理官にとっては王が失礼な態度で失礼な質問をしたことになるため、直後に、王の直属の上司である青島が、王は敬語がまだ使えないのだということを理由に詫びています。つまりここでは、日本語の習得では、「タメ口」の段階から上達することによって、敬語を使えるようになると捉えられていることがわかります。

 これらのことをふまえると、カヨコの英語交じりの日本語は、英語母語話者としての特徴と、東洋人的な特徴をあわせ持っているとも考えられます。従来の外国人像からずらされた、これまでになかった属性を表現していると言えそうです。

 このように、〈女ことば〉で表現される女性像としても、「英語交じりの日本語」と結びつく外国人像としても、カヨコは新たに描き出されたキャラクタと言えます。今までと違うことから来る異質性が、カヨコを切れ者の使節として仕立て、『シン・ゴジラ』の鑑賞者を圧倒したと考えられます。

 なお、カヨコの話す英語交じりの日本語については、SNS を中心に賛否両論あったようです。たとえば、次のような意見も見られます。

 

 カヨコという石原さとみちゃんの変な英語が聞けて非常に面白かったんですけど、アメリカ大統領の代弁者というシリアスな立場にいるはずなのにああいうノイズを含んだような、ズレを孕んだような英語をしゃべる、ただ下手なだけなのかもしれないけど、あのカヨコの存在。

(「近代文学合同研究会第17回シンポジウム『ゴジラ 対 シン・ゴジラ』全体討議」[発言者・副田]『近代文学合同研究会論集 第15巻 ゴジラ 対 シン・ゴジラ』2018年、p. 64)

 

 個人個人がどのようなものを「上手な英語」や「手本」と捉えて「変」・「下手」と評するのかは知り得ませんが、一口に「ネイティブ」の英語と言ってもその発音や言い回しはさまざまだと言えます。久保田(2018)は、英語を母語とする話者について、英語の多様性の観点から次のように述べています。

 

 英語は世界の共通語と言われます。ということは、英語の使い手は英語の母語話者だけでなく、非母語話者も含まれるのです。また、母語話者の中にも国籍・人種・社会経済的地位などの点でさまざまなバックグラウンドを持った人々がいます。つまり、世界で使われる英語には、さまざまな変種があり、私たちが英語でやりとりをする相手はさまざまな発音や表現を使うと考えられるのです

(久保田(2018)『英語教育幻想』筑摩書房(ちくま新書)、pp. 19-20)

 

 カヨコの話し方は、普段私たちが何を「よい英語」と思っているのかについて考える機会を与えてくれます。この点も、前回触れた女性像と合わせて、庵野総監督だからこそ描けたリアルなのではないでしょうか。

 

   

 

 ご感想、ご質問等ありましたらぜひ nihongo@kenkyusha.co.jp までお寄せください!

 


〈注〉

[1] セリフの表記は『シン・ゴジラ完成台本』に依りました。以下、同様です。

 

〈使用テキスト〉

青柳碧人(2019)『猫河原家の人びと――探偵一家、ハワイ謎解きリゾート』新潮社(初出『yomyom』vol. 52〜55(2018〜2019)、新潮社).
君塚良一(2012)『キネマ旬報ムック 踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望 シナリオ・ガイドブック』キネマ旬報社.
東宝(2016)『シン・ゴジラ完成台本』庵野秀明企画・責任編集『ジ・アート・オブ・シン・ゴジラ』別冊付録、カラー.
ルー大柴(2007) 『ルー語大変換』扶桑社.

 

〈使用映像資料〉

庵野秀明脚本・編集・総監督(2017)DVD『シン・ゴジラ(本編)』東宝.
福田靖 作(2018)『まんぷく(55) 「私は武士の娘の娘!」』NHK(NHK オンデマンド).

 

〈参考文献〉

岡室美奈子(2014) 「方言とアイデンティティー ――ドラマ批評の立場から」金水敏・田中ゆかり・岡室美奈子編『ドラマと方言の新しい関係――『カーネーション』から『八重の桜』、そして『あまちゃん』へ』笠間書院、pp. 44-51.
カタカナ語研究会議監修(2016) 『それっ! 日本語で言えばいいのに!!』秀和システム.
近代文学合同研究会編(2018)「近代文学合同研究会第17回シンポジウム「ゴジラ 対 シン・ゴジラ」 全体討議」『近代文学合同研究会論集 ゴジラ 対 シン・ゴジラ』15、pp. 48-70.
久保田竜子(2018) 『英語教育幻想』筑摩書房(ちくま新書).
土屋孝裕(2016)「シネマの小箱 29歳・石原さとみ「30代怖くなくなった」」報知新聞 2016年8月5日付 首都圏版 16面.
常見陽平(2012) 『「意識高い系」という病――ソーシャル時代にはびこるバカヤロー』ベストセラーズ(ベスト新書).
依田恵美(2011) 「役割語としての片言日本語――西洋人キャラクタを中心に」金水敏編『役割語研究の展開』くろしお出版、pp. 213-248.
Daniel Jones(2011)Cambridge English Pronouncing Dictionary (paperback with CD-ROM). 18th edition. Cambridge University Press.

 

依田 恵美(よだ めぐみ)

 1976年生まれ。博士(文学)。神戸学院大学共通教育センター非常勤講師。専門は日本語史。主な業績として、「役割語としての片言日本語―西洋人キャラクタを中心に―」(金水敏編『役割語研究の展開』くろしお出版、2011)、「カタコトの日本語と役割語」(『日本研究』14、2013)、『〈役割語〉小辞典』(共著、研究社、2014)、「明治期のピジンは何を伝えたか――「横浜毎日新聞」を手がかりに」(『文学』16-6、岩波書店、2015)などがある。

 

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