インドに着くまでに、複雑な道のりを辿った。航空券は成田→上海→成都→ムンバイ→ゴアだったが、上海→成都→ムンバイのフライトが中止になったので、結局、成田→北京→香港→ムンバイ→ゴアを飛ぶことになった。28年ぶりの香港、それに生まれて初めての中国本土だったので、ワクワクすべきだったかも知れないが、目にしたのは空港だけだった。
1、2時間しか北京にいなかったが、中国語の会話やアナウンスがよく耳に入った。日本の街で耳に入る中国語は方言が多いようだが、北京空港では、私が昔、大学で勉強した「普通話」が主流だった。もうまったくできないが、アナウンスなどには数字や代名詞など、若い時に覚えた単語を聞いて懐かしく思った。私のチケットに問題があったので、乗り継ぎ相談カウンターの人と話す必要があった(もちろん英語で)。彼女が誰かに電話をかけて Mĕiguórén (「美国人」、すなわち「アメリカ人」)と言ったときには、私のことを話していると分かった。その他の会話はまったく分からなかったが、自分が中国語を完全に忘れていないことが少し嬉しかった。
この長い一日の旅にセキュリティを通るために何回も行列に並んだ。香港では後ろに西洋人の夫婦と小学校ぐらいの年齢の男の子二人がいた。お兄さんのほうはおしゃべりの子らしく、とめどなくお父さんに何かを言っていた。最初は気にしていなかったが、やはり、大学の勉強から覚えた単語がおしゃべりの中にところどころあった。севодня とか самолёт とか。今度はロシア語だった。(sevodnya は「今日」、samelyot は「飛行機」の意味。)中国語よりロシア語のほうが今でも理解できると思うのだが、子供の話の筋は分からなかった。なお、大学で勉強したロシア語は、かつて日本の大学で主流だった英語教育と同じく、文法の訓練や文学作品の精読だったので、生のロシア語会話、特に子供のロシア語を聞く機会がほとんどなかった。(私はロシアにはまだ行っていない。)
深夜のムンバイ空港で、ゴアへの乗り継ぎ便を待ちながらこのブログを書いた。空港は普通の場所ではないので、インド英語探検はゴアに着いてから始める。