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くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)カテゴリのエントリ

偶然の一致?みたいな

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くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-5-11 19:40
18歳と19歳の我が娘たちと話すとき、あるいは渋谷など若者が群がる街を歩くとき、「みたいな」がよく耳に入る。これは「ライオンみたいな猫 a cat that's just like a lion」(『新和英大辞典』の用例)や「まるでうそみたいな値段だ」(『大辞林』)のように、名詞の前に付ける助動詞ではなく、文末にくる「みたいな」である。

この使い方が嫌いな大人がいるようだが、私に面白いと思えるのは、英語の前置詞 like との類似性。「みたいな」と同じように、like は名詞の前に付くのが通例なのに対して、若者の会話では名詞から独立して多用される。例えば、

He was, like, really mad. 彼は, その, かんかんに怒っていましたよ (『新英和中辞典』)

この like は discourse particle (談話助詞) と名付けられて真面目に研究されるようになったが、一般の大人からは依然として耳障りと批判されている。

それで私が知りたいのは、どうして似たような意味(= like meanings!)を持つ「みたいな」と like が同年代の日本人と米国人などの会話に流行るようになったのか、である。まるで偶然の一致、みたいな。

分綴について

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くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-4-21 15:00
「分綴」(ぶんてつ)は、『広辞苑』と『大辞林』のそれぞれの最新版に新しく追加された言葉だ。『デジタル大辞泉』にはあるが、『日本国語大辞典』のオンライン版には載っていない。

『大辞林』は次のように定義する。
欧文で,単語のつづりの途中で改行する際,つづりを行末で分けること。また,その分け方。ハイフネーション。
(「ハイフネーション」は『広辞苑』にあるが『大辞林』にはない。『広辞苑』でも、2008年の第6版から立項された。)

「分綴」は新しい言葉ではなかろうから、最近までは辞書編集などの専門的すぎる用語と見なされたか、単に見落とされたのだろう。

先日から英文の分綴法について久しぶりに考えている。理由は、知り合いから syllable(音節)の定義を聞かれたからだ。 sudden のような単語はふつう、/sudn/ のように、 /d/ と /n/ の間に母音がないので、この単語には一つの syllable しかないのではないかという質問だった。いろいろ調べたら、音韻学者の間でも syllable の定義について意見が必ずしも一致しないと分かった。私は音韻学者ではないので、勝手に次の定義を作ってみた。
A syllable is a segment of a spoken word that a native speaker of a language perceives as representing one rhythmic beat.
rhythmic beat とは、cat に一つ、happy に二つ、computer に三つ付けるような「拍子」のこと。 sudden の発音には一つの母音しかないが、英語のネイティブなら必ず二拍子を付けると思う。母語話者の直観に頼る定義は母語話者以外の人にとっては役に立たないが、私はもっと適切な定義を思い付かない。

syllable の区切りで改行することが英文の分綴法の基本だが、英語の綴りが複雑なのと同様に、その分綴法もかなり複雑だ。詳細はここで割愛するが、興味のある読者は次の「くも本」をご覧下さい。
The Practice of Typography (1910)
Dictionary of Typography and Its Accessory Arts (1875)
Proofreading and Punctuation (1907)
figurine(小立像)という単語を行末で分ける必要があったら、一部の辞書では figu-rine または fig-urine と分綴してもいいと書いてあるが、 g と u の間で分綴すると、urine が文頭になってしまうから必ず figu-rine で分けるようにと、大学院生のときに読んだ本に書いてあったと覚えている。その後、校正しているゲラで figurine が行末で分けられているケースをずっと探してきたが、まだこのルールを適用する機会には恵まれない。現在、言葉を分綴しないウェブのために書くことも多くなって、一生そのチャンスに巡り会わないかも知れない。

「書籍で激突」

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くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-4-14 17:00
『日本経済新聞』(4月12日)の読書欄に、「東大と京大、書籍で激突」を副題とする記事が載っていた。内容は、先ほど東京大学出版会から刊行された『東大英単』と6月に研究社から出版予定の『京大・学術語彙データベース 基本英単語1110』の対戦。記事によると、「編著者の個性がにじむ東大に対し、京大は科学的に語彙を決めた」そうだ。

私は『東大英単』の編著者チームに入っているが、自分の個性がどこまで我々の本に滲み出ているかはわからない。いずれにしても、京大陣の「科学的」逆襲を楽しみにして待っている。

ザ 中国人

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くもの舌 (言葉について気が付いたこと、考えたこと)
執筆 : 
k_webmaster  投稿日 2009-4-6 0:20

先日、電車で通勤している間に聞いていた米国の公益ラジオ放送 National Public Radio のニュース番組で、次のようなことを聞いた。


Several Kenyan companies have been bought by the Chinese, raising concerns about a loss of local control.


自分の怪しい記憶に頼っているので忠実な引用ではないが、 the Chinese が会社を買ったという報道を聞いたら、約20年前、日本のバブル期に海外の英語ニュースで the Japanese が多用されたことを思い出す。the Japanese が「先ほど言及した日本人たち」でも「日本政府」や「日本の代表チーム」でもなく「日本人全員」を指すように聞こえる文脈であった。米国や欧州の会社が一人の日本人投資者に買収された場合でも、その人は the Japanese と呼ばれたのだった。今でも、ニュースサイトで検索したら同じような用例が見つかる。


Today, America joins with Russia and the European countries to enjoy Daylight Saving Time. A couple of South American countries go along, but all of Africa and Asia pretty much ignore it. The Japanese don't care one way or the other. (リンク)


ということは、生まれたばかりの赤ん坊でも、高校生でも、年配のタクシー運転手でも、日本人ならサマータイム導入についてどうでもいいと思っているのだ。

この使い方の変なところは、次の引用に見える。出典は米国ニューヨーク州の新聞。


Just as Americans might think of a sea of people on bicycles when imagining life in China, the Chinese have an image of our transportation that symbolizes something unique about us: the yellow school bus. (リンク)


すなわち、中国についてのイメージは一部の米国人(Americans)が持つのに対して、対応する米国についてのイメージは、中国人全員(the Chinese)が持つのだ。

念のために言っておくが、これは米国人に東洋人がみな同じに見えるなど、人種差別的な現象ではない。米国の新聞などでは the Americans が「米国人全員」の意味でほとんど使われないのは確かだが、the British や the Europeans はよく使う。そして、英国や豪州のメディアではやはり the Americans をよく使う。例えば、


If ever there was a time to realise that the Americans don't always do things better, it is now and I was reminded of this again recently when I happened to receive an invitation to attend a 'Greener by Design' Conference in San Francisco for some time in May. (リンク)


他国の人々について the を使うのに自国民については使わないというのは、自分に近い人たちには個人差が見えるから一般化できないとわかるが、外国の人たちについては個人差を考えていないために平気でステレオタイプを思い浮かべてしまうことを意味する。

the は奥が深い。

ブログのタイトルについて説明する。

 

ブラウザーを使ってインターネット上で閲覧できるページが Web と呼ばれるのはよく知られている。この名称はもちろん、蜘蛛の巣のように各ウェブページが複雑に繋がり合っていることに由来する。もう少し専門的な表現としては、Google Yahoo などの検索サイトが使っているものだが、ウェブ上のデータを探して索引を作るソフトの名前がある。それは spider. そして、今まで各自のパソコンに保存していたデータをインターネット上に保存することも可能になった。その保存場所は the cloud と呼ばれる。その「雲」に保存されている言葉を「蜘蛛」のように網でつかまえようとするのがこの連載の目的の一つなので、タイトルを「ことばのくも」にした。


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