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くもの上 (読者からの投稿)カテゴリのエントリ

言葉の伝染病について

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くもの上 (読者からの投稿)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2010-5-8 19:10

先日の投稿について、読者から貴重な指摘をいただいた。

 

自分は中国語を研究しているのですが、その記事で出てきた「ニガ」が気になったのです。

中国語では、「2」を意味する数詞が2つあります。「二」(er)と「両」(liang)です。そして、日本語の「2つ」の訳として、「二个」(er ge)を使うことはなく、「両个」(liang ge、リャンガ)を使います。また、方言でない限り、「二」という漢字を“ni”と発音することはありません。(逆に言うと、中国語の標準語でなく、方言の可能性はあります。)

ですので、「ニガ」という言い方は、日本語の「に」(2)と中国語の「个」(ガ)が合わさったportmanteauなのかもしれないと思いました。ガリーさんの比喩を使うと、local infectionなのだと思います。

 

「英語報国」の様々

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くもの上 (読者からの投稿)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2010-4-16 20:50

先日の投稿にたいして、このサイトの関係者から次のコメントが来た。

 

外国語学習の裏面史というべきものを非常に興味深く拝読しました。

当時の日本には、純粋に敵を倒すために英語を学んだ人、それを口実にして(実は大好きな)英語を学び続けた人、政治的なものに背を向けて英語学習に逃避した人、などいろいろとあったようで、本音が見えるようで見えず、複雑な気がいたします。

なるほど、現在ではアラビア語学習が盛んになっているという事実は、予想できるとはいえ、やはり衝撃的でもあります。たとえオタク文化であれ、日本語がポジティブな動機で学習者を獲得できるという点には、少しほっとしてしまいます。

 

ハムレットの解釈 (その2)

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くもの上 (読者からの投稿)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-12-4 21:30
先日の読者投稿に対して、別な読者から次のような便りをいただいた。どうもありがとう! 他の方からのコメントも歓迎する。
『ハムレット』の独白に関する投稿を面白く読みました。

この独白についてはこれまでもさまざまな議論があり(たとえば大修館書店のシェイクスピア双書『ハムレット』ではこの部分に長大な注がついていて、これまでの主な論点が紹介されています)論争が尽きることはないのではないかと思いますが、個人的にはやはり to be を to suffer、not to be を to take arms と対応させる読みが自然ではないかと感じています。not to be を「この世から消えてしまう」(=自殺)と考えるのではなく、死んでもかまわないと覚悟して行動に出ることと解釈することにそれほど無理があるとは思えません。ハムレット自身にもともと「消えてしまいたい」という自殺願望があるようで(たとえば第1独白では宗教的な禁忌さえなければ…と漏らしています)、この独白の後半でも論点がどんどんずれていく(死ぬとは眠ること、眠れば夢を見る、云々)ので話がややこしくなっているのだと思いますが、少なくとも独白の冒頭部分では「自殺するかしないか」の話ではないように思えます。

これまでの日本語訳でも「このままでいいのか、いけないのか」「やる、やらぬ」など、生死よりも行動するかしないかという問題に焦点を当てたものも多く見られます。もっとも、行動するかしないかが生死に関わる問題であることも確かなので、この両方を盛り込まなければならないというところに翻訳者のジレンマがあるのではないかと勝手に推測しています。

また、シェイクスピアの作品をいろいろと読んでいると、自殺(あるいは死を覚悟で行動すること、いわば間接的な自殺?)に対するイメージ自体が現代とシェイクスピアの時代では違うのではないかという気もしてきます。現代人は自殺を弱さや病に由来する消極的でネガティブな行動ととらえることが多く、またキリスト教でも自殺は大罪とされていますが(だからこそハムレットは第1独白で悩んでいるのだと思いますが)、時代や国によっては自殺を必ずしも「悪」や「弱さ」としない価値観もあります。たとえば日本の武士道もそうですし、ルネサンスにも影響を与えた古代ギリシャ・ローマの哲学(特にストア派など)においても、自分の信念を貫くため積極的に命を捨てることは必ずしも間違った(あるいは「弱い」)選択肢ではなかったようです。シェイクスピアの時代にも様々な価値観があったからこそ、ハムレットはあんなに悩んでいるのではないかと個人的には思えます。

文法に関するコメントでなく、的外れでしたら申し訳ありません。

ハムレットの解釈

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くもの上 (読者からの投稿)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-12-2 20:30
読者から次のような投稿をいただいた。私はじっくり考えてから返事を差し上げよう思うが、読者の皆さんでコメントなどがありましたら、 kotobanokumo■■kenkyusha.co.jp へメールをください。(「■■」を「@」に換えてください。)
「ハムレット」の日本語訳でかねて疑問を感じている個所があります。三幕一場の、有名なハムレットの第三独白冒頭の To be, or not to be: that is the question: に続く部分です。ここで
Whether 'tis nobler in the mind to suffer
The slings and arrows of outrageous fortune,
Or to take arms against a sea of troubles,
And by opposing end them.
が To be, or not to be の敷衍であることは、まず間違いないでしょうが、そうだとすると「〜と〜のどちらが立派か」式の従来の訳は理屈に合いません。なぜなら、台詞を素直に読む限り,「生きてこの世にとどまるべきか、それともこの世から消えてしまうべきか」という問題は、「暴虐な運命の矢弾をじっと耐え忍ぶのと、寄せ来る苦難に敢然と立ち向かい、闘ってそれに終止符を打つのと、どちらが立派か」という問題とは全く別問題だからです。消極的、受動的にただ運命に耐えるのも、積極果敢に困難と闘うのも、いずれも人間の生き方であって、二つの生き方のどちらがより立派かというのは、生と死のどちらを選ぶべきかとは別の問題です。
                
このようにコンテキストから考えるとすっきりしない従来の日本語訳ですが、これが通ってきた理由も見当がつきます。独白の最初にA or B とあり、続くWhether 節にもA’ or B’ と同じ形が繰り返されるのですから、Aと A’、BとB’ がそれぞれ対応していると考えるのはごく自然であり, Whether 節の訳の内容も、文脈に目をつぶってこれだけを取り出して考えれば、ハムレットの置かれた状況とぴったりだからです。とは言え、「寄せ来る苦難に敢然と立ち向かい、闘ってそれに終止符を打つこと」が「この世から消えてしまうこと」のパラフレーズだと言われると、首を傾げてしまいます。not to be に対応する言い替えはWhether 節の中には無く、直後のTo die であり、それも苦難との果敢な闘いの後に来る死といった、能動的な意志を暗示するものではない、と考える方が常識的でしょう。十数行先の、この世から逃れるために短剣の一突きで自らの命を絶つといった逃避的な死と考える方が違和感がありません。

ではどう解釈すれば冒頭部分のつじつまが合うかということになりますが、Whether 節の文法的構文のとらえ方をこれまでと大きく変えて、it は to suffer~ or to take ~ を指す形式主語と取り、内容が対照的な二つの不定詞はTo be を具体的に言い替えて説明している、と考えてみてはどうでしょうか。Whether to be is nobler (than not to be )、すなわち「この世にとどまって、暴虐な運命を耐え忍ぶことが、あるいは寄せ来る苦難と闘いそれに終止符を打つことが、命を絶ってこの世から消えてしまうことよりも、はたして立派だろうか」という解釈です。これでTo be, or not to be: that is the question: とWhether 節との続き具合は、パラフレーズとしてより常識的に納得のいくものになると思います。

上から読む

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くもの上 (読者からの投稿)
執筆 : 
Tom Gally  投稿日 2009-6-30 19:20
読者から次のメールをいただいた。
ウェブサーフィンをしていて、時々次のような「言葉遊び」を目にします。
あさからばんまで、汗水流して、
りっぱだと褒められなくても、もくもくと
がんばって働いている、そんな
とうさんの子に
うまれてよかった
最初の文字だけをつなげると「ありがとう」となります。これは縦書きと横書きの両方がある日本語ならではの遊びなのでしょうか。それとも英語にもこういったものがあるのでしょうか。

(これは日本語では「折句 おりく」と言い、在原業平の「かきつばた」の句で有名ですが、調べたところ英語でも「アクロスティック acrostic」と言って一般的なようですね。(知りませんでした))
投稿、どうもありがとう!

英語の acrostic で私がすぐに思い出すのは、Lewis Carroll の Through the Looking-Glass (『鏡の国のアリス』 )の最後の詩。
A boat beneath a sunny sky,
Lingering onward dreamily
In an evening of July--

Children three that nestle near,
Eager eye and willing ear,
Pleased a simple tale to hear--

Long has paled that sunny sky:
Echoes fade and memories die.
Autumn frosts have slain July.

Still she haunts me, phantomwise,
Alice moving under skies
Never seen by waking eyes.

Children yet, the tale to hear,
Eager eye and willing ear,
Lovingly shall nestle near.

In a Wonderland they lie,
Dreaming as the days go by,
Dreaming as the summers die:

Ever drifting down the stream--
Lingering in the golden gleam--
Life, what is it but a dream?
各行の最初の文字を上から読むと、 Alice Pleasance Liddell という、「アリス」のモデルになった少女の本名が表れる。(キャロルの Alice への感情はこの詩が語るように純粋ではなかったようだが。)

この「ことばのくも」のアクロスティックを作ってみたので、後日、それを披露する。

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