前回に引き続き、日本語のコーパスが慣用句の研究のためにどのように活用できるかをテーマとします。今回は、通常は固定的とみなされる慣用句の構成語が実際にはどのように変化しうるかということを、コーパスを使って見ていきます。
慣用句とは「匙を投げる」や「油を売る」のように、複数の語から構成されている表現で、構成語同士の結びつきが強いという特性があります。[1] よって、個々の語を別の語に入れ替えたり、省略したりすることは通常できません。例えば、「匙を投げる」の名詞を入れ替えて「スプーンを投げる」と言ったら、慣用句としての意味を持たない一般的な表現になってしまいます。また、「蜘蛛の子を散らすよう」の「の子」を略して「蜘蛛を散らすよう」と言ったら、言いたいことは伝わるかもしれませんが、相手に違和感を覚えさせてしまうことになります。慣用句に関する研究では、上に述べた特性は「形式的固定性」などと呼ばれています。
ところが新聞や本、またウェブ上のブログなどを読むと、次のような例が目につきます。
(1) しかし、学校関係者はいじめがあったかどうかはわからないと口を濁す。
(2) 目からウロコの歴史講座 (1)と(2)の慣用句(下線部)はそれぞれ「言葉を濁す」と「目から鱗が落ちる」が本来の言い方とされますが、(1)のように「言葉」を「口」に入れ替えて「口を濁す」といったり、(2)のように「目から鱗が落ちる」を短くして「目からウロコ」といったりできることから、これらの慣用句は形式的な変化を全く示さないわけではないことがわかります。よって、これらの慣用句は、先の「匙を投げる」や「蜘蛛の子を散らすよう」と比べれば、それぞれの語の結びつきが弱く、比較的変化しやすいものといえます。 「言葉を濁す/口を濁す」や「目から鱗が落ちる/目から鱗」のような対応関係にある表現のペアは「慣用句の変異形」と呼ばれます。「変異形」とは、二つ以上の慣用的表現が構成語および意味の面で部分的に重なっているもので、かつ日本語において比較的安定した表現のことをいいます。[2] 「安定している」かどうかの判断は、一般的に使われているかどうかや、日本語の話者にとって馴染みがあるかどうかを目安とします。
慣用句の「変化可能性」という現象は従来の慣用句研究で指摘されており、様々な「変異形」の考察や分類が行われています。[3] しかし、従来は、研究者の内省(自らの言語知識に関する意識的な考察)や、手作業で集められた少数の用例を頼りにする研究手法が多くとられてきました。コーパスを利用することにより、変異形を体系的に抽出し、個々の慣用句の「変化可能性」をより明確に把握できるようになると考えられます。特に、コーパスにおける出現数は個々の変異形の「安定性」の指標になり、内省や少量のデータだけではなかなか発見しにくい変異形や対応関係を明らかにできる可能性があります。
慣用句の変異形をコーパスから抽出するためには、「レキシカル・プロファイリング」型の検索ツールが便利です。ここでは、「現代日本語書き言葉均衡コーパス」(BCCWJ)と「筑波ウェブコーパス」(TWC)を対象としている検索ツールを紹介します。
NINJAL-LWP for BCCWJ(NLB)は、国立国語研究所と Lago 言語研究所が共同で開発したオンライン検索ツールです。2013年6月に公開されているバージョン1.20では、「現代日本語書き言葉均衡コーパス」の DVD 版データ(2011年公開)を使用しており、書籍、雑誌、国会会議録・Yahoo! ブログなどの、様々なテキストタイプが含まれています(約1億語)。[4] 上記の URL から無償で利用できます(画面右上の「検索を開始する」をクリックし、利用規約に同意すればすぐに検索画面が表示されます)。 NLB は「レキシカル・プロファイリング」型の検索ツールで、単語の文法的なパターンやコロケーション(「検索語+共起語」)、および使用例を網羅的に調べることができます。検索の対象となるのは、「腹」「打つ」「軽い」といった、名詞や動詞や形容詞などの「内容語」です。 NLB は本来単語の振る舞いを調べるためのツールですが、「コロケーション」のリストを抽出できることから、先の「言葉を濁す/口を濁す」や「気が強い/気が弱い」のような、慣用句の「変異形」を抽出するのにも適しています。前回の連載記事で紹介した「少納言」と「中納言」は「コンコーダンサー」型の検索ツール(検索結果が「前文脈」「検索語」「後文脈」を含むコンコーダンスラインとして表示される)で、用例の抽出に適していますが、検索語の文法パターンや共起語のリストは表示されません。「少納言」や「中納言」では、前後文脈における共起語を検索条件として指定する形で、ユーザの知識や直観をもとに仮定した変異形を探すことはできますが、事前に仮定した変異形以外のものは抽出しにくいです。
「陰口を叩く」という慣用句を例に、NLBの検索方法を説明していきます。この慣用句の動詞「叩く」の代わりにどのような動詞が用いられるのかを見てみることを検索の目的としますので、検索語(NLB では「見出し語」といいます)を「陰口」とします。まず、NLB の検索画面において(図1)「かげぐち」を入力して、絞り込み をクリックします。「見出し」の欄には「陰口」、「頻度」の欄には BCCWJ における用例数(149)が表示されます。次に、見出しの 陰口 をクリックしますと、三つのパネルからなっている画面が表示されます。
左のパネルには(図2)、「陰口」が取る文法的なパターンがグループ別に表示されます。例えば ▲ 助詞+動詞 は、「陰口+助詞+動詞」という構造を持つ表現のグループを示し、▲ 助詞+形容詞 は「陰口+助詞+形容詞」のグループを示します。「パターン」の列には、各グループに含まれる具体的なパターンが表示されます。例えば ▲ 助詞+動詞 の下には、「陰口が…」「陰口を…」「陰口に…」などが示されます。ここでは、「陰口を…」のパターンを調べたいので、陰口を…(105例)をクリックします。
そうすると真ん中のパネルに、「陰口を+動詞」という構造を持つ「コロケーション」が頻度順に表示されます(高 → 低)。「陰口を叩く」(55例)、「陰口を言う」(18例)、「陰口をきく」(10例)、「陰口を利く」(2例)など、合計14種類あります。ところが、「陰口をいる」(11例)は、「陰口を叩いていた」や「陰口を言っていた」のように、動詞の「 〜 ている」の形を指します。これらの用例は、「陰口を叩く」(55例)や「陰口を言う」(18例)の用例と重複しているので、別個のものとして数えないように注意しなければなりません。「陰口を下さる」(=「陰口を思い出してください」)に関しても同じです。 真ん中のパネルに表示されている 陰口を叩く をクリックしますと、右のパネルに BCCWJ における用例が表示されます。1文単位で、短いものから長いものへと、画面の上から下へと並べられます。各例文の下に示されている出典情報をクリックしますと、前後文脈が表示されます。また、検索結果を「■ 雑誌」や「■ 図・書籍」などのサブコーパス別に表示したり、フィルターをかけて前後文脈に特定の共起語や活用形を含む用例に絞ったりすることが可能です。各コロケーションの用例(500件まで)、および真ん中のパネルのコロケーションリストをダウンロードすることができます。 検索方法の詳細に関しては、下記 URL の操作説明書を参照してください。
「NLB ユーザマニュアル」
NINJAL-LWP for TWC(NLT)は、2013年4月に公開されたレキシカル・プロファイリング型のツールで、上記の URL や先に述べた NLB のメインページからアクセスして無償で利用できます。検索対象となるコーパスは、筑波大学の研究者が構築した「筑波ウェブコーパス」(TWC)です。2012年1月に日本語のウェブサイトから収集されたテキストより構成されており、約11億語が含まれています。 NLTは先のNLBと同じ検索システムを使っており、基本的な検索方法は、先ほど述べた通りです(図3)。詳細に関しては、NLTの操作説明書をご覧ください。
「NLT ユーザマニュアル」
上のように抽出したコロケーションを慣用句の「変異形」とみなせるかどうかを判断するためには、便宜的に BCCWJ における出現数が10件以上であることと、表現同士が意味の面で重なっている、という二つの条件を設けます。先の「陰口を叩く」のほかに、「陰口を言う」と「陰口を利く(きく)」はそれぞれ10例以上があります(図2)。[5] また、各表現の用例からわかるように、この三つはすべて「当人のいないところでその人の悪口を言う」という意味を表しています。よって、それぞれが「変異形」であるとみなせます。
以下では、BCCWJ と TWC から抽出した慣用句の変異形を考察していきます。「類義関係にある変異形」、「対義関係にある変異形」、および「慣用句の拡張形と短縮形」を中心に述べます。TWC を利用したのは、できるだけ大きなコーパスで、BCCWJ から抽出した変異形を確認するためです。
先の「陰口を叩く/陰口を利く」のように、同じ構造を持っており、かつ構成語が部分的に重なっている慣用句で、ほぼ同じ意味を示すものがあります。このようなものは「類義関係にある変異形」といいます。 表1に示した変異形は、慣用句の名詞の入れ替えにかかわるものです。「言葉/口を濁す」に関しては、「言葉を濁す」が本来の言い方とされますが、BCCWJ においては、「口を濁す」の出現数も10件以上あります。この結果は、文化庁の世論調査(平成17年度)で報告されている傾向と一致するものです。[6] なお、「口を濁す」を見出し語としている辞書があることからも(『広辞苑』や『明鏡 ことわざ成句使い方辞典』)、この表現が日本語に定着したものであることがわかります。
表1. 類義関係にある変異形(名詞の交替)
* 数字は、それぞれのコーパスにおける件数と、100万語あたりの出現頻度(括弧内)です。以下も同様。
「終止符/ピリオドを打つ」や「歯止め/ブレーキをかける」のように、和語と外来語の交替にかかわる変異形も見られます。前者のペアについては、言語学者の宮地裕先生によれば、「ピリオドを打つ」の方が先に生まれ、「終止符を打つ」は、昭和に「終止符」が「ピリオド」の訳語として導入されてから派生したものです(宮地1982a: 251)。表1のように、現代日本語においては「終止符を打つ」の方が使用頻度が高いですが、どちらの表現も一般に用いられます。 表2のように、慣用句の動詞の交替にかかわる変異形もあります。「顔色を窺う/見る/読む」のように、(「類似性」をやや広くとらえれば)動詞自体が類似した意味を持つ変異形があります。また、先の三つに加えて、「顔色を探る」と「顔色を確かめる」も、それぞれ複数の例が見られます(前者は BCCWJ において5例、後者は TWC において3例)。これらは、使用頻度が低いために安定した変異形とはみなせませんが、「顔色を窺う/見る/読む」という表現の変化可能性をさらに示すものといえます。
表2. 類義関係にある変異形(動詞の交替)
一方、動詞自体は類義関係になくても、慣用句全体が類義関係をなしている場合もあります。例えば「叩く」「言う」「利く」は(慣用句に含まれていない場合には)類義語とはいえませんが、「陰口を叩く」「陰口を言う」「陰口を利く」はほぼ同じ意味を表しており、類義表現とみなされます。
「気が強い/気が弱い」のように、同じ構造を持っており、かつ構成語が部分的に重なっている慣用句で、反対の意味を示すものがあります。こういった変異形は「対義関係にある変異形」といいます。
表3. 対義関係にある変異形(その1)
表3の「気が強い/気が弱い」や「手を借りる/手を貸す」のように、慣用句に含まれている形容詞や動詞が対義語によって入れ替えられるもので、慣用句全体が反対の意味を表す場合が多く見られます。しかし、表4の「口が軽い/口が堅い」や「懐が温かい/懐が寂しい」のように、入れ替えられる構成語自体は対義語でなくても句全体が反対の意味を示す場合や、反対の意味を表す変異形間に一対一の関係がない場合もあります(「懐が温かい」と「懐が寂しい/寒い」)。
表4. 対義関係にある変異形(その2)
* は「中納言」で検索したものを示します。
また、表5のように、複数の慣用句が構成語や文法的な構造や意味の面で部分的に重なっており、複雑な類義・対義関係をなしている場合もあります。
表5. 類義・対義関係にある変異形のクラスター
なお、「○ 匙を投げる/× スプーンを投げる」「○ 油を売る/× 油を買う」「○ 顔が広い/× 顔が狭い」のように、慣用句の構成語に対応する類義語や対義語が存在する場合でも、その入れ替えによって類義や対義の慣用句が成立するとは限りません。よって、「終止符を打つ」「陰口を叩く」「手を借りる」などの、表1〜5にあげた慣用句は、「匙を投げる」や「油を売る」などと比べれば固定性の度合いが比較的低いといえます。
慣用句の中には、「何食わぬ顔/何食わぬ顔をする」や「目から鱗が落ちる/目から鱗」のように、構成語が完全に固定しておらず、特定の語が含まれたり含まれなかったりするものがあります。まず、表6のように、「する」という動詞の有無にかかわる変異形があります。
表6. 「する」の追加・省略にかかわる変異形
「何食わぬ顔」や「浮かぬ顔」は名詞慣用句で、「何食わぬ顔で立ち去った」や「浮かぬ顔でぼそぼそ話している」のように、「 〜 で」をつけた形で副詞句として用いられることが多いです。「何食わぬ顔をする」「浮かぬ顔をする」は、「何食わぬ顔」「浮かぬ顔」に対応する動詞慣用句ですが、これらに含まれている「する」は、文法的な働きしか持たない動詞で、実質的な意味はありません。実質的な意味は、「何食わぬ顔」などの名詞句が担っています。 また、「する」以外にも特定の構成語を伴ったり伴わなかったりする慣用句があります(表7)。例えば、「目から鱗が落ちる」は「目から鱗が落ちた」のように、動詞の「 〜 た」の形で使われたり、「目から鱗が落ちる体験/見解/内容…」のように、名詞の直前につけられ修飾語として使われたりすることが多いですが、その中でも特に「大学生は、目から鱗が落ちる思いで聞いた」のように、「 〜 思い」をつけた形でよく使われます。一方、「目から鱗だった」「目から鱗。」「目から鱗の情報/話/体験/発見…」のように、「落ちる」を省略した形で用いられることも多いです。コーパスにおいて「目から鱗」という短縮形が一番よく使われているという結果は、興味深いです。 「藁にも縋る」と「喉から手が出る」はそれぞれ「藁にも縋る思い」「喉から手が出るほど…ほしい」という形が一般的ですが、「藁にも縋りたい人が買うかもしれません」や「フェラーリストにとっては、ノドから手が出そうな書籍が欧米では刊行されている」のように、「 〜 思い」や「 〜 ほど…ほしい」をつけないで用いることもあります。
表7. 構成語の追加・省略にかかわる変異形
このように、どこまでが慣用句の構成語に含まれるかが判断しにくい場合があります。慣用句辞典においては、「目から鱗が落ちる」「藁にも縋る」「喉から手が出る」などの動詞句を見出し語とする傾向が強いです。しかし表7のように、見出し語形(やその活用形)以外にも、「目から鱗」という短縮形や、「目から鱗が落ちる思い」「藁にも縋る思い」「喉から手が出るほど…ほしい」などの拡張形が頻繁に用いられていることがわかります。[8]
先に述べた「類義関係にある変異形」(表1・表2)のほかに、慣用句の名詞や動詞が比較的自由に入れ替えられるものがあります(表8)。
表8. 構成語に「空白」が含まれているケース
例えば、「湯水のように」は「会員を増やすための広告費を湯水のように使った」のように、「使う」という動詞を伴うことが多いですが、「使う」のほかにも、「浪費する/消費する/流れる/流出する/注ぐ/出ていく…」などの、「費やす」あるいは「内部から外部に移る」ことを表す動詞とかなり自由に組み合わされます。また、「血の滲むような」は「その日から、和夫の血のにじむような努力が始まり…」のように、「努力」という名詞を伴うことが多いですが、同時に、「練習/訓練/トレーニング/修行/苦労/苦闘…」などの、「何らかの労力が求められる活動」を表すその他の名詞を取ることもできます。 よって、この二つはそれぞれ「湯水のように… V」と「血の滲むような N」という構造を持っていると思われます。各句に含まれている動詞(V)や名詞(N)は「空白」となっており、各表現が実際に用いられる際には、「湯水のように…(使う)」「血の滲むような(訓練)」のように、それぞれの空白に特定の語群に属する語が埋められることになるわけです。なお、先の「V」や「N」はそれぞれの慣用句の構成語ではなく共起語であるという見方もあるかもしれませんが、「使う」と「努力」との結びつきが強いことや、これらの代わりに選択できる動詞や名詞が限られていることから、やはり構成語であると認められます。
慣用句の「変化可能性」や「変異形」という現象は、慣用句に関する研究において従来指摘されてきました。本稿では、コーパスを利用することにより、慣用句の変異形を体系的に抽出し、内省や少量のデータだけではなかなか気づきにくい変異形や対応関係を明らかにできる可能性を示しました。 慣用句辞典においては、個々の慣用句は「固定的表現」として処理されがちで、本稿で述べた「変化可能性」は注目されないことが多いです。しかし、慣用句の「固定性」と「変化可能性」の間の「ゆらぎ」こそを記述すべきと思われます。今後は、慣用句辞典においても、コーパスに見られる個々の慣用句の変化可能性に関する情報や、変異形同士の対応関係を明確に示すことが望ましいです。また、コーパスから抽出した例の中には「目から鱗が10枚ほど落ちた」や「寝耳に大雨」のような臨時的・創造的な変異形もありましたが、これらに関する体系的な考察も求められます。
〈参考文献〉 石田プリシラ(1998)「慣用句の変異形について―形式的固定性をめぐって」『筑波応用言語学研究』5: 43-56. 伊藤眞(1990)「慣用句とその Variation」『福岡大学人文論叢』22.2: 331-48. 宮地裕(1982a)「慣用句解説」『慣用句の意味と用法』237-65. 明治書院 宮地裕(1982b)「動詞慣用句」『日本語教育』47: 91-102. 宮地裕(1985)「慣用句の周辺―連語・ことわざ・複合語」『日本語学』4.1: 62-75. 宮地裕(1999)「慣用句の表現」『敬語・慣用句表現論―現代語の文法と表現の研究(二)』213-339. 明治書院 森田良行(1994)『動詞の意味論的文法研究』明治書院 Moon, Rosamund (1998) Fixed Expressions and Idioms: A Corpus-based Approach. Oxford: Clarendon Press.
〈注〉 [1] 宮地(1982a: 238)によれば、慣用句とは「単語の二つ以上の連結体であって、その結びつきが比較的固く、全体で決まった意味を持つ言葉」のことです。本稿では、宮地の定義を採用し、宮地が慣用句とみなしている表現を取り上げます(「陰口を叩く」「終止符を打つ」など)。 [2] 「変異形」という言い方は、「AがBに変化した」のような「基本形」と「派生形」を前提にしていると思われますが、ここでは、現代日本語において「A」も「B」も一般に用いられることを重視し、その変化の方向性は問題にしません。よって、「言葉を濁す/口を濁す」のように部分的に重なっている複数の表現形式は、それぞれが変異形であると考えます。 [3] 代表的な研究としては宮地(1982b, 1985)、森田(1994)、石田(1998)があげられます。 [4] BCCWJ の新聞データ(約94万語)は含まれていません。BCCWJ の詳細については、前回の連載記事や次の URL を参照してください。「現代日本語書き言葉均衡コーパス」(BCCWJ) <http://www.ninjal.ac.jp/corpus_center/bccwj/> [5] 「陰口を叩く」における「を」は、「陰口もたたかれたが…」や「蔭口はきかれないですむ」のように、「も」や「は」に交替することがあります。よって、すべての用例を拾うためには、「陰口も…」や「陰口は…」のパターンに含まれている用例も確認しなければなりません。「 〜 を叩き折る」「 〜 を言い合う」などの複合動詞もカウントします。 [6] 文化庁の調査では、「言葉を濁す」と「口を濁す」を使う人がそれぞれ66.9%と27.6%で、「どちらも使う」人が3.1%、という結果になりました。詳細は下記の URL にあります。「文化庁「平成17年度「国語に関する世論調査」の結果について」」 <http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/yoronchousa/h17/kekka.html> [7] 「喧嘩を買う」は BCCWJ における出現数が10件に満たないですが、母語話者の判断では「問題なく使える」ということから、変異形とみなすことにしました。「素知らぬ顔をする」(表6)や「藁にも縋る」(表7)に関しても同じです。 [8] なお、慣用句に関する先行研究では、「 〜 (の)よう」や「 〜 (の)思い」は直喩を示す表現とされており、「水を打ったよう」や「藁にも縋る思い」は「直喩的慣用句」と呼ばれています(宮地1982a, 1999)。
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