(1)〜(4)は、日本在住の日本語学習者の KY コーパス、および C-JAS の発話データに見られた、位置や場所を示す助詞「に・で」の誤用です。英語や中国語には助詞に当たるものがないため、これらを母語とする学習者に日本語の助詞の誤用が観察されるのは、古くから母語の影響だと考えられてきました。しかし、助詞がある韓国語の話者にも同様の誤用が見られることから、ある習得段階においては学習者共通の誤用だと考えられ、母語干渉以外の要因である可能性が推測されます。 (5)〜(7)は、日本の大学に進学する目的で日本語を学んでいる学習者のコーパス C-JAS に見られた「じゃない」に関する誤用例です。
「じゃない」は、否定表現「ではない」の縮約形です。授業で否定形を教える場合は、普通体より丁寧体が先に導入されるのが一般的です。つまり、まず「ではありません」が教えられ、その次に縮約形の「じゃありません」が導入され、その後に、普通体の「ではない」「じゃない」が導入されることになります。
現在、市販されている日本語の教科書で「に・で」と「じゃない」の扱いを調べてみましょう。各教科書が、どのような構文で導入しているかをまとめてみました。まず、「に・で」の扱いを表1に示します。
表1を見ると、いずれの教科書でも、「に」は「〜に…があります」の存在構文で導入されています。また、「で」は「〜で…V ます/ました」の動作動詞の構文で導入されていることがわかります。 指導の手引では、位置や場所を示す格助詞「に・で」について、「に」が「います・あります」と共起して、存在構文で使われること、「で」が「買う」「落とす」などの一般動詞と共起して、動作の行われる場所を示すことが述べられています。 次に、「じゃない」の導入を見てみましょう。表2は、教科書別の「ではありません・じゃない」の初出の例文をまとめたものです。
表3から、いずれの教科書でも「ではありません(じゃありません)」の導入が先に行われ、その後に「じゃない」が導入されることがわかります。「ではありません」は丁寧体「です」の否定形で、その縮約形が「じゃありません」であると導入します。具体的には、「サントスさんは学生です」の否定形は「サントスさんは学生ではありません」、その縮約形は「サントスさんは学生じゃありません」となります。 丁寧体「です」に対し、同僚や親しい人に使う普通体「だ」があり、その否定形が「ではない」となり、その縮約形が「じゃない」となります。具体的には、「明日は雨だ」の否定形は「明日は雨ではない」となり、縮約形は「明日は雨じゃない」となります。
学習者は、習得の初中級や中級段階で、日本語を固まりとして覚える傾向があります。特に、格助詞のようにそれ自体に意味を持たない機能語は、意味のある名詞や動詞とユニットを形成して覚える傾向が見られます。 迫田(2001)は、冒頭のように「に・で」の誤用が母語の違いにかかわらず産出されることから、先行研究と C-JAS のデータに基づき「に・で」の誤用例を調べました。その結果が表3です。表内の(A)〜(D)はそれぞれの誤用例の出典を表しています。[1] ●は文献やデータに誤用例があったことを、○は正用例があったことを示し、誤用例の直後の( )は出典の記号を表しています。
この表から、「に」の誤用には「後ろ/中/前」などの相対的な位置を表す名詞の場合に使用されている例が多く、地名や建物を表す名詞の場合には少ないことがわかります。また、「で」の誤用には地名や「大学/食堂」などの建物を表す名詞の場合に使用されている例が多く、反対に、相対的な位置を表す名詞には少ないことがわかります。このことから、迫田(2001)は学習者の「に」と「で」の誤用について、(8)のような学習者独自の学び方、使い分けの規則があるのではないかと考えました。
迫田(2001)は、(8)の学習者自身の学び方、使い分けの規則を検証するために、韓国語母語話者、中国語母語話者、その他の言語の母語話者で日本語学習歴1年半程度の中級レベルの学習者各20名、計60名と日本語母語話者20名を対象として、(9)のような多肢選択の穴埋め調査を行いました(調査では網掛け、○ ×表示なし)。
もし、(8)の仮説が正しければ、学習者は(9)a, b には「で」を、(9)c, d には「に」を選択することが予測されます(網掛け部分は学習者が選択すると予測される助詞を示しています)。したがって、「地名/建物+に」「位置+で」の正答率は低いこと、「地名/建物+で」「位置+に」の正答率は高いことが推測されます。図1の結果を見てみると、仮説通り、学習者は母語の違いにかかわらず、「地名/建物」には「で」を、「位置」には「に」を選択しやすいことがわかりました。
この結果から、学習者は習得過程のある時期、中級レベルにおいて、場所の格助詞「に・で」に関しては、動詞ではなく、前に接続する名詞と共に固まりのユニットを作って選択している可能性が示唆されます。 固まりのユニット形成には、ほかにも以下のような例が観察されます。(10)では存在動詞「ある」に対し、「が+ある」のユニット、(11)では思考動詞「思う」に対し、「だ+と思う」のユニットが形成されている可能性が示唆されます。
家村・迫田(2001)は、(5)〜(7)に見られるような「若いじゃない(→若くない)」「死ぬじゃない(→死なない)」が、ほかの学習者にも同様に観察される誤用かどうかを確かめるために、聴解と認識の2つの実験調査を行いました。中国人留学生の初級・初中級・中級レベル各10名、計30名と日本語母語話者10名を対象として、聴解テストの場合は、(12)のような否定表現の誤用例と正用例を含む会話を聞かせ、B の文の内容が文法的に正しいかどうかの判断をさせました。
さらに、後日、同じ学習者を対象として、同じ内容を聞かせ、調査用紙には課題文を示し、この文の下線部の文法的正誤判断をさせ、誤りだと判断した場合は、わかる範囲で正用を示す認識テストを行いました。
2つの実験調査の結果は、図2と図3の通りです。
2つの図から、次のことがわかります。
この結果は、あるレベルにおいては、「じゃない」という言葉を否定の標識(マーカー)ととらえて、形容詞や動詞に付加することによって否定を表現しようとする学習者の学び方、規則が推測されます。このような「付加のストラテジー」は、ほかの誤用でも観察されます。例えば、(14)(15)のように、文末に「です」を、(16)のように「できない」を付加する例も見られます。
ユニット形成の場合も付加の場合も、正しい言語形式を習得する過渡期の学習者自身の学び方による工夫だと考えられます。選択が難しい助詞を名詞との固まりで覚えたり、「若くない」「死なない」などの活用形が覚えられない場合には、「若い+じゃない」「死ぬ+じゃない」のように否定形の標識を付加したりして、学習者の限られた知識の中で、なんとか意味を伝えようとする工夫ではないでしょうか。
今回は、コーパスで得た学習者の誤用を手掛かりに、2つの分析を通して日本語学習者独自の学び方、使い分けのルールを検証しました。ここでは、改めて、コーパスの意義について、ふりかえってみたいと思います。 教師や研究者は、コーパスの実際の発話や作文データによって「学習者は『教えた通りに』学ぶとは限らない」ということがわかります。学習者は、難しいルールや内容を彼らなりの方法によって簡略化したり、楽な覚え方を優先したりします。それは、人間の記憶や注意力といった認知資源に限界があることに起因しています。ですから、教え方が悪いとか学習者が怠けているのではないのです。 また、学習者が独自のルールを内在させているということに気づかずに、研究者が「学習者は常に規範的な文法に沿って習得する」と思い込んだり、データを見ずに、規範的な文法を基準にして日本語の習得研究をしたりすることは危険ではないでしょうか。
コーパスが学習者独自の学び方、使い分けのルールを示してくれるおかげで、教師とは異なる学習者の考え方、工夫の仕方、誤用の要因を把握することができ、それは同時に学習者の理解につながります。 例えば、日本語学習者が助詞「に・で」を名詞との固まりで使い分けをするようなストラテジーを使っていることがわかれば、指導の際には「に・で」を記入するテストではなく、(17)〜(20)のように動詞述語を選択させることで気づかせるような指導もできます。
最後に、コーパスからわかる学習者の学び方、使い分けのルールはあくまでも一事例、ひとつの仮説でしかありません。その学習者がその状況でたまたまその誤用を産出しているのかもしれません。その仮説を一般化するためには、コーパス分析とは別に、実験調査で検証することが求められます。
今回はコーパスに見られる誤用をヒントに、学習者の学び方が教師の教え方と一致しないケースを取り挙げ、固まりを作る「ユニット形成のストラテジー」と便利な標識を付け加える「付加のストラテジー」を紹介しました。 学習者コーパスを活用すれば、教師や研究者は学習者の立場になって考える姿勢を養うことができますし、コーパス分析で得られた仮説は、さらに実験調査することで一般化が可能になります。学習者コーパスには、学習者の外国語・第二言語習得の仕組みを研究するヒントが多く潜んでいます。どんなヒントが潜んでいるか、ワクワクしながら探してみませんか。
〈引用文献〉 市川保子(1997)『日本語誤用例文小辞典』凡人社。 家村伸子・迫田久美子(2001)「学習者の誤用を産み出す言語処理のストラテジー(2)――否定形「じゃない」の場合」『広島大学日本語教育研究』第11号、43-48. http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/ja/00027780 迫田久美子(2001)「学習者の誤用を産み出す言語処理のストラテジー(1)――場所を表す「に」と「で」の場合」『広島大学日本語教育研究』第11号、17-22. http://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00027779 寺村秀夫(1990)『外国人学習者の日本語誤用例集』(大阪大学;データベース版、国立国語研究所、2011年) http://pj.ninjal.ac.jp/teramuragoyoureishu/ 福間康子(1997)「作文からみた初級学習者の格助詞「に」の誤用」『九州大学留学生センター紀要』第8号、61-74.
〈注〉
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