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私の語学スタイル

第 8 回
“自分”を表現する力

008

Style1
“自分”を表現する力

 日本語を話すときと比べ、他にはどういった違いを感じたのだろうか? さらに尋ねてみると――。
 「“一人称の自分”というのを臆面もなくドーンと出すところです。いくら日本でフランス語が上手でも、これがなければ伝わりにくいんじゃないでしょうか。逆にこの力さえあれば、カタコトだって、日本語で話したって通じちゃうと思いますよ」
 語学の勉強ももちろん大切。だが、その前提となる構えとして、“自分というものの出し方”を身につけるのが、決定的に大事だということだ。このことの重要性は、先生の最新の著作『「私」を生きるための言葉』の主要テーマとも重なってくる。私たちが普段使っている日本語という言語をもう一度見つめ直し、“私”という一人称で主体的に生きるためのヒントが、この本には豊富に詰まっている。
 話すこともそうだが、演奏することも自分を表現することの一種だ。音楽院での学生生活中も、自己表現の大切さを強く実感したという。ピアノ科で行なった発表会での例を挙げてくれた。
 「音楽院には、本当にいろんな国からの留学生が来ていました。南米やスペイン、そして日本からも。学生同士の発表会を聞いて気がついたんです。日本から来た留学生は、一番テクニックが高い。難しい曲も弾ける。でも、その演奏から伝わってくるものがないんです。一方、他の国から来た学生の場合、そこまで難しい曲は弾けなくても何かがちゃんと伝わってくる。この“何か”というのが、一番大切なスピリットの部分だと思います」
 それはいったいどうしてなのか? 日本人特有の“神経症性”に起因するのでは、と先生は語る。
 「『周りからどう思われるか』ばかりを気にする“神経症性”の中でやってきているわけですから、それでは聞き手の心に訴えてくるものもなくなってしまいます。そんなことに気を遣ってばかりで消耗してしまっては、本当にもったいない。そうじゃなくて、『自分はこれがおもしろいと思う』とか『こんなことを思いついたんだ』とか、そういったものに全力でエネルギーを投入できれば、もっとクリエイティブなことができると思うんです」

Style2
仕事への新たな出発点

 留学するにあたって、先生はいったん全ての仕事を辞めたという。ただし、どうしても継続的なケアを必要とする方のみを対象に、フランス滞在中も治療を続けていた。「通信分析」と呼ばれる、手紙のやり取りによる治療だった。
 「勤務医のときは保険診療だったので、一人の患者さんに接する時間はすごく限られていましたし、精神療法だけでなく、投薬の治療もしていました。でも、手紙を通しての治療はそれとはまったく違ったんです。まず、手紙の返事を書くとなると、話すときの即興的なやり取りとは違って、ごまかしがきかない。言い直しや曖昧な表現で済ますことはできませんからね。どういう説明をして、どういう言葉だと誤解なく伝わるかってことを、きちんと掘り下げて考えなくてはいけないんです。もちろん、クスリも使えません。だから、すごく丁寧に言葉を選び、患者さんと向き合うことになりました。この方法をやってみて、『こういうことだったら自分がやる意味があるんじゃないか』と思えたんです」
 この経験が、帰国後に精神療法専門のクリニックを開く出発点となったのだ。

 

*現在、泉谷クリニックでは、「通信分析」による治療は行っていない。

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