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第19回 虚構の物語と「役割語」:表現リソースとしての日本語の文字(1)

 

 今回から2回にわたって海外から「〈役割語〉トークライブ」に参加させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。

 16世紀に日本にやってきた宣教師のフランシスコ・ザビエルは、複雑な表記体系を持った日本語のことを布教の妨げになる「悪魔の言葉」と呼んだそうですが、21世紀の現在でも日本語は漢字、ひらがな、カタカナ、そしてローマ字を加えた4種の文字を混用したコミュニケーション活動に使われており、日本語学習者泣かせの言葉と言われています。今回と次回の2回に分けて、そんな日本語の文字がマンガやビデオゲームなど虚構性の高いポピュラーカルチャーのテキストや文芸作品で、なぜ「役割語」として機能するのかをみなさんと一緒に考えてみたいと思います。

 この連載では、今まで「役割語」と呼ばれる「言葉づかい」として、語彙・語法・文末表現・イントネーション、方言など様々な表現リソースが取り上げられてきました。ここにあらためて、役割語について確認しておきます。

 

ある特定の言葉づかい(語彙・語法・言い回し・イントネーション等)を聞くと特定の人物像(年齢、性別、職業、階層、時代、容姿・風貌、性格等)を思い浮かべることができるとき、あるいはある特定の人物像を提示されると、その人物がいかにも使用しそうな言葉づかいを思い浮かべることができるとき、その言葉づかいを「役割語」と呼ぶ。金水 2003: 205頁)

 

 この定義にもあるように「役割語」になる特定の「言葉づかい」は言語的要素であり、語彙や語法のほかに言語に付加して意味解釈に影響を与える声のトーンやイントネーションなども含まれます。ある声のトーンやイントネーションを聞くとある特定の人物像を思い浮かべることができるのです。筆者を始め欧米で日本語を教えている多くの人が経験することだと思いますが、日本語を話すときと欧米の現地語を話すときでは人格や人物像が全く変わって見える学生がいます。たとえば、日本語だと声のトーンが高く甘えた感じのイントネーションになり、その話し方から「可愛らしい少女」といったイメージの女性に見えるのに、英語で話し始めた途端、声が低くなり、その結果、普通の「大人の女性」に見えてしまう学生がいます。このように同じ人物でも、声のトーンやイントネーション、話し方で受け取る人物像やイメージが大きく変わってしまうことがあるのです。

 逆も真なりで、関西弁なまりの言葉づかいは、お笑い芸人タイプの人たちではなく、男性アイドルの KinKi Kids や乙女ゲーム(女性向けの恋愛ゲームで、プレーヤーが女性主人公となり、男性キャラクターと恋愛する。主に少女マンガの読者層をターゲットにした RPG)のイケメンキャラクターが使用すると、同じ関西弁なのに言葉のイメージが大きく変わることもあります。このように、役割語と人物像の関係は、記号論で言う能記(シニフィアン)と所記(シニフィエ)のような関係で(金水 2011: 7頁)、特にポピュラーカルチャーのキャラクター描写に大きな役割を果たします。

 

 日本語の文字と多重のヴォイス 

 今回のテーマとなる日本語の文字も、声のトーンやイントネーションなどと同じく言語に付加的な意味を与えます。たとえば、次のような例です。

A: 今年も、みんなでパーティだよね。今年のケーキはブッシュドノエルがいいな
B: ぶっしゅどのえる?
(コーエーテクモゲームス(2004)『遙かなる時空の中で 3』)

 A が今年のクリスマスケーキはフランス語で「クリスマスの丸太」という意味の「ブッシュドノエル」タイプのケーキを買いたいと言ったところ、B はその「ブッシュドノエル」が何かわからず、聞き返します。このように相手が言っていることがわからず聞き返す状況は、日常的によく遭遇するものですが、ポピュラーカルチャーのテキストでは、「文字表記のずらし」でそのような状況を表現する場合が多いです。上の例では、通常カタカナで書く外来語をひらがなにすることで、B が戸惑っている様子を B の気持ちになって表現できます。すなわち B の視点からの発話となるのです。「ブッシュドノエル?」のように、カタカナ表記でもいいのですが、日本語の「音」は聞き取ったが意味がわからないという B の心的状況を、カタカナからひらがなに「ずらす」、もしくは規範や標準から「はずす」ことで効果的に表現できるというわけです。

 この例はいわゆる「乙女ゲーム」ブームの走りとなったコーエーテクモゲームスの「ネオロマンスシリーズ」の一つ『遙かなる時空の中で 3』(2004)の冒頭シーンからですが、このゲームは現代に生きる女子高校生の主人公と幼馴染の男子高校生の2人が、あることから壇ノ浦の戦いがあった平安時代末期にタイムスリップしてしまうという物語です。

実在の武将である源義経なども出てくるのですが、彼らは現代からやってきた主人公たちの不思議な21世紀の言葉を聞くたびに戸惑って聞き返します。たとえば、「一種のパフォーマンスだ」「ぱふぉー・・・まんす??」などの例です。ここでは、カタカナの言葉に対し、聞き返し文にはひらがなが使用されています。このような文字表記のずらしによりキャラクターの視点や心的状況を表現する方法は、カタカナからひらがなへのずらしだけでなく、漢字からひらがな・カタカナへという例も多いです。

 たとえば、下の例は、大今良時『聲の形 1』(2013)という少年マンガの1シーンからですが、四字熟語「因果応報」がカタカナで表記されています。

女子 1: あれ? 石田君?
女子 2: ・・・・・・[地面にうつ伏せに倒れている石田将也を目にする]
 ねえ インガオーホーって知ってる? きっとそれよ
女子 1: ふふ
(大今良時『聲の形 1』(講談社コミックプラス)、講談社、144頁)

 聴覚障害を持つ転入生の西宮硝子(しょうこ)のいじめに関わっていた主人公の石田将也(しょうや)が、そのことからやがて自分もクラスメートにいじめを受けるはめになるというシーンですが、小学生の石田が地面に顔を伏せて倒れているところにクラスメートの女子2人が通りかかり、「ねえ インガオーホーって知ってる? きっとそれよ」と言って、笑いながら去っていきます。ここでは、漢字語をカタカナ表記にすることで、小学生が「因果応報」という難解な四字熟語を大人が使用するのを聞きかじったりして意味は知ってはいるものの、まだ漢字表記はわからないというような心的状況を、その子供の「ヴォイス」で表現する効果があると言えます。

 

(大今良時『聲の形1』
(講談社コミックプラス)講談社、2013年)

 

 ここでいう「ヴォイス」とは、テキストに織り込まれた視点やスタイルなどを指します。ロシアの哲学者ミハイル・バフチン(Mikhail Bakhtin)は、ドストエフスキーの小説を分析する中で、どのような談話、文、語彙にも多重のヴォイスが響き合い、音楽のポリフォニーのように共鳴していると述べていますが(Bakhtin 1984)、文字表記のずらしによってもキャラクターの発話に多重のヴォイスを導入することができます(松田 2019: 20頁)。たとえば、この「インガオーホー」と言った小学生の例も、子供と大人のヴォイスが入り混じったポリフォニー的な多重のヴォイスを文字表記のバリエーションで表現しているのがわかると思います。

 

 カタカナと役割語 

 さて、日本語の文字が役割語として機能する例ですが、まず次のような場合が考えられます。みなさんもマンガなどで外国人や宇宙人の発話が「ココドコダ」など、カタカナだけで表記されているのを目にしたことがあると思います。いわゆる外国人的なイントネーションを伴った話し方を、カタカナで視覚的に表現しているのです。ここでも、また「ネオロマンスシリーズ」のビデオゲームからセリフを引用して役割語としてのカタカナの機能を紹介します。

 最近のビデオゲームは、キャラクターの発話が声優の声とゲーム画面のテキストの両方で示されるいわゆる「フルボイス」版が多いです。このようなゲームはテキストの文字、スチル画、アニメーションなどの視覚的イメージに加えて、効果音や BGM、声優の声などの聴覚的イメージが重なり、多様なモードのメディアを駆使して物語を展開するマルチメディアです。マルチメディアでは、スチル画やレイアウト、色と同じく、文字も、重要なデザインリソースの一つとして物語の表現に活用されるのです。

 たとえば次のシーンは、『金色のコルダ 3』(2014)のフルボイス版からですが、アレクセイというロシア人の学園理事長で音楽家であるキャラクターが、過去に自分が退学にしてしまった学生が音楽コンクールで素晴らしいバイオリン演奏をしたので、彼を退学にしたことを後悔するようなコメントをしているところです。

おやおや、如月響也(きさらぎきょうや)クン・・・
彼は私の予想より大きな可能性を秘めていたようデスね

天音から手放したのは
ちょっともったいなかったカナ
(コーエーテクモゲームス(2014)『金色のコルダ 3 AnotherSky feat. 天音学園』)

 このシーンでは、金髪の人物画でアレクセイが「外国人」キャラクターであることを視覚的に表現していますが、声優の声は日本語母語話者と思えるようなもので、特にたどたどしい話し方や非日本語的なアクセント、イントネーションは付加されていません。その代わりに、文字化された発話の一部にカタカナを使用しています。たとえば文末表現「デスね」「カナ」など、通常ひらがなで表記するところをカタカナで表記しています。

 ここで注目したいのは、声優の声が日本語母語話者のように聞こえるのにもかかわらず、画面上の金髪の人物像とカタカナ表記を目にしながらプレイしている人にはアレクセイが外国人的なアクセントで話しているかのように「聞こえてしまう」ことです。すなわち、視覚的な情報である文字が聴覚的情報である声優の声に付加的な意味を重ねているのです。

 このように外国人なまりの日本語の発話は、「だ・です・ます」をはじめとする文末表現、いわゆる「役割語」のバリエーションが出やすい部分だけがカタカナにされる場合が多いです。そのため、読者には発話の内容が把握しやすいという利点があります。全てがカタカナになった昔の電報のような文だと、現代の日本人にとっては読みにくく、なかなか感情移入しにくいのではないでしょうか。

 この感情移入しやすいかどうかという点が意外に重要で、宇宙人や怨霊など感情移入しにくいものの発話には全カタカナが使用される場合が多いです。たとえば、金水(2011: 14頁)が想定する役割語の「発話キャラクタ」の一つである「人ならざるもの」には宇宙人やロボットが含まれますが、「ワレワレハ ウチュウジンダ オマエタチヲ ミハッテイル」というように全てカタカナで表記することによって、無機質な合成音の響きを文字で視覚的に表現しています。「ウチ・ソト」の意識からすると、ウチの視点で把握し感情移入することが難しい得体の知れない物体や生物のヴォイスを全カタカナ表記で表現しているわけです。

 

 日本語コミュニティに共有される文字の視覚的な「意味」 

 このように、ある文字(言葉づかい)を見ることによって、人物像のイメージが湧いてくる「役割語」現象は、日本語を使用するコミュニティにおいて過去に、上のゲームに出てくるような外国人や怨霊のイメージとともに、その発話がカタカナ表記になっている虚構の物語(マンガや小説など)を読む経験を重ねた結果だと言えます。実際に怨霊や宇宙人の話す姿を見た人はおそらくいないと思います。役割語が効果を発揮する作品は、作者が日本語に存在するありとあらゆる表現リソースを駆使して制作した虚構の世界です。読書やゲームはプライベートな活動ではありますが、日本語を使用するコミュニティ、マンガやビデオゲームなどのマルチメディアに通じている人たちのコミュニティでは、役割語として機能する言葉づかいとイメージの相関関係が共有されています。そのため、日本語を使用するコミュニティに属さない人や日本のメディアにアクセスした経験が少ない人にはなかなか理解できない表現だと言えます。

 役割語として機能する文字は、言語に文字の視覚性を重ねて独特のヴォイスを表現します。役割語と呼ばれる言葉づかい一般に言えることですが、いわゆる規範に則った型や標準語と言われるものに他のヴォイスを重ねる(付加的情報を与える)ことによって、特定の人物像やイメージを思い浮かべることができるようになるのです。このような社会が共有する「お約束事」は、メディアの「刷り込み効果」「ステレオタイプ」だという考え方もありますが、実はもっと主体的かつダイナミックで創造的なコミュニケーションのためのデザイン選択であり、マンガやゲーム、小説など、虚構性の高いポピュラーカルチャーや文芸作品にとって不可欠な表現リソースとなっているのです。

 

 文字のマルチモダリティ 

 もう一つ、カタカナが「人ならざるもの」を表現する例を見ておきましょう。上で紹介した例は、視覚的情報である文字が聴覚的情報である声優のイントネーションに欠けていたものを補足する役割をしているケースでしたが、次に表現リソースとしての文字が声優の声や効果音と「協働」してより臨場感のある表現を創造する例を紹介します。この例も、先に紹介したビデオゲーム『遙かなる時空の中で 3』からです。このゲームには有名な実在の武将キャラクターが出てくると紹介しましたが、その中の一人、平敦盛は、16歳の若さで命を落とした平家の貴族で、三種の神器である勾玉を使って黄泉の国から蘇った怨霊であるという設定になっています。そのため、普段は、生前の人間の様相なのですが、封印が解かれるとおぞましい姿の水虎という怨霊になってしまいます。

 下の例は、他の怨霊に攻撃されている主人公を助けるため、敦盛が自ら封印を解いて怨霊になって戦うシーンのセリフです。

私は、あなたヲ・・・
助ケテ・・・
ミセル・・・ッ・・・!!
(コーエーテクモゲームス(2004)『遙かなる時空の中で 3』)

 ここでは、人間である平敦盛の様相がおぞましい水虎に徐々に変身する様子とともに、声優の声が敦盛(人間)の声から怨霊を表現する無機質で不気味な合成音に変わっていきます。そして、その声音の変化ともに漢字仮名交じり文「私は、あなたヲ・・・」と、だんだんカタカナのみになっていくのです。

 主人公を助けた後、敦盛は浄化の力でまた人間の意識を取り戻すのですが、生前の姿に戻るプロセスで、画像や音声の変化とともにセリフのカタカナ表記が「ワタシ」から「わたし」、そして「私」に変換されていきます。変身プロセスを、マルチモーダルな表現リソース(画像、音声、文字)を重ねて表現することで、よりリアルな変身シーンを創出できるのです。

 このように、文字も音声や画像とともに創造的なコミュニケーションの重要な表現リソースの一つになりますが、カタカナ自体にロボットや怨霊といった人ならざるものを表す「意味」があるのではなく、通常ひらがなや漢字で書く表現を、規範を外してカタカナだけにすることで、言語表現に付加的なイメージや意味を重ねることができるのです。そういった意味で、文字は言語と視覚的なイメージが融合したハイブリッドな記号だと言えます。

 

 さて、今回はマンガやビデオゲームを中心に、カタカナが虚構の物語において外国人キャラや「人ならざるもの」のイメージを思い浮かべる「役割語」として機能する要因について検討しました。次回は、カタカナに加えて、ひらがな、漢字語、そしてルビがキャラクター描写や虚構の物語の世界観を創出する例を検討し、「文字」とは何か、「役割語」とは何かについてみなさんと一緒に再考してみたいと思います。

 

 ご感想、ご質問等ありましたらぜひ nihongo@kenkyusha.co.jp までお寄せください!

 

〈使用データ〉

コーエーテクモゲームス(2004)『遙かなる時空の中で 3』。
コーエーテクモゲームス(2014)『金色のコルダ 3 AnotherSky feat. 天音学園』。
大今良時(2013)『聲の形 1』(講談社コミックプラス)、講談社。

 

〈参考文献〉

金水敏(2003) 『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』岩波書店。
金水敏(2011) 「現代日本語の役割語と発話キャラクタ」金水敏(編著)『役割語研究の展開』くろしお出版、7-16頁。
金水敏(編)(2014) 『〈役割語〉小辞典』研究社。
松田結貴(2019) 『ポピュラーカルチャーの詩学――日本語の文字に秘められたマルチモダリティ』風間書房。
Bakhtin, M. M. and Caryl Emerson (1984) Problems of Dostoevsky's Poetics [Theory and History of Literature, Vol 8] Minneapolis: University of Minnesota Press.

 

松田 結貴(まつだ ゆき)

 大阪府に生まれる。博士(言語学 南カリフォルニア大学)。現在、米国テネシー州立メンフィス大学外国言語・文学学科准教授、日本語プログラム主任。専門は言語学・日本語学・日本語教育。
 主な業績は、「少年マンガに見る『表現としての振仮名』と日本語表記のマルチモダリティ」(『ことばと文字』10, 2018)、‘Expressing Ambivalent Identities through Popular Music: Socio-Cultural Analysis of Japanese Writing Systems’ (Southeast Review of Asian Studies, Vol. 39, 2017), 『ポピュラーカルチャーの詩学――日本語の文字に秘められたマルチモダリティ』(風間書房、2019)、翻訳:アンドリュー・バーン『参加型文化の時代におけるメディア・リテラシー――言葉・映像・文化の学習』(共訳、くろしお出版、2017)など。

 

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