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第20回 虚構の物語と「役割語」:表現リソースとしての日本語の文字(2)

 

 いよいよ師走。われらが石橋博士も忙しく走り回っていらっしゃるのではないでしょうか。さて、前回に続き今回も、虚構の物語において日本語の文字が役割語として機能する例についてみなさんと一緒に考えていきたいと思います。

 

 コミュニケーションの機能と文字表記 

 ここで、わざわざ「虚構の物語において」と言うには理由があります。平安時代の大衆文学とも言える『源氏物語』をはじめ大衆的な物語だからこそ、その時代のハイカルチャーや表記の規範に囚われずに自由に創作活動できるという利点があるからです。たとえば、日本語は同じ「音」を表すのに複数種の文字の中から選んで使用しますが、一種類の文字を使用する欧米言語のような「正書法(orthography)」はありません。例をあげると、「虎」は「トラ」や「とら」など数種類の表記の選択肢があります。しかし、日本語の正書法はなくとも国が設定したガイドラインのようなものはあり、法令、公文書や新聞、雑誌、放送など、一般の社会生活において日本語を書き表す場合の「よりどころ」として設けられています。

 たとえば、2010年に内閣府から告示された「常用漢字表」には常用漢字として漢字が2136字あげられていて、公文書や新聞などはこのリスト外の漢字使用を避けるようにしています。同様に、外来語の表記にも「よりどころ」があります。(文化庁「外来語の表記」より)

 すなわち、公文書や緊急時の報道のように、情報を素早く正確に発信する使命を持ったメディアの表記法と、どんなメッセージをどのように発信することによってどういうイメージで受け取らせるかなどを熟考して創作する文芸作品やポピュラーメディアの表記とでは、全く違ったコミュニケーション上の機能があるのです。言語学者のロマン・ヤコブソン (Roman Jakobson 1960)は言葉を使ったコミュニケーションには6種の機能があると論じています。文芸作品やポピュラーメディアに使用される表記法は、その中の「詩的機能」(言語表現を使って創作すること)が前景化されたものだと言えます。しかし、「よりどころ」の対象外とは言え、物語に使用される文字表記は日本語コミュニティや日本社会が共有するイメージとの相関関係であり、作者と「読者との長年にわたるキャッチボールを通じて出来上が」るイメージ像だと言えます(吉村 2007:120頁)。それが、役割語が成り立つ条件だと言えます。

 

 外来語の表記 

 公文書の「よりどころ」と言えば、今年(2019年)になって外務省が外国名を表記する際に、従来使用してきた「ヴ」という表記を改める改正案が衆院で可決されたというニュースが入ってきましたね。朝日新聞(2019年3月19日電子版20時41分)によると「判断基準は『現地の発音に近づける』と同時に、『国民に定着していること』」だったそうです。中南米の島国「セントクリストファー・ネーヴィス(Saint Christopher and Nevis)」が「セントクリストファー・ネービス」になり、西アフリカの島国「カーボヴェルデ(Cabo Verde)」が「カーボベルデ」になりました。

 今野(2013)は、欧米からの外来語や外国語が数多く日本に入ってきた明治期には現在よりもっと多様な表記法が存在したと説明しています。たとえば、福沢諭吉が著した『西洋事情』(全10冊、1866〜1870年)には、「瑞典(スヱーデン)」や「蘇格蘭(スコツトランド)」(本論ではルビを( )に入れて緑色の文字で表記)のように外来語や外国語に漢字列をあて、それに振仮名をつけている例が見られます(今野 2013:150頁)。日本語と全く音韻体系が違う言語の音を、なるべく原音に近く見えるような表記で表そうと工夫するのは、今も昔も変わりませんね。

 さて序論が長くなりましたが、今回は、このような外来語の表記の揺れや独創的な表記法が役割語として機能する例を少年マンガから紹介したいと思います。まずは、「国際人」キャラクターからです。

 

 「国際人」キャラクター 

 国際人とは「広く世界的に活躍している人」(『広辞苑』第7版)です。たとえば、競技ダンスをテーマにした竹内友の少年マンガ『ボールルームへようこそ』には、兵藤(ひょうどう)マリサといういわゆる「国際人」キャラクターが出てきます。彼女は、元プロ競技ダンサーで、世界チャンピオン。スタイルがよくて大人の魅力を持った強い女性のイメージ画で表現されています(TV アニメの公式サイトにイメージ画があります http://ballroom-official.jp/character/)。ロシア人の母と日本人の父を持ち、風貌も日本人離れしていて、世界的に活躍するプロフェッショナルというキャラクター設定です。現在は、ダンススクールで主人公の富士田多々良(たたら)という高校生など若手の競技選手の指導にあたっています。下の会話は、そんなある日のシーンからです。

 

 

 このシーンではマリサが発する「ヴァリエーション(variation)」と、多々良が以前通っていたダンス・スクールのスタッフ円谷環(つぶらや・たまき)の発した「バリエーション」が対比されています。国際人キャラクターのマリサの発話だけに「ヴァリエーション」という表記を当てることで、世界で活躍し外国語もネイティブ並みだという国際人キャラクターを際立たせる機能があります。

 

TV アニメ『ボールルームへようこそ』第2弾 PV

 

 

 多重の役割・多重のヴォイス 

 また、このマンガには、競技ダンスの専門家や競技選手たちが使う「ダンス用語」に今野(2013)が明治時代の文献から紹介しているような外来語の表記法が見られます。上の会話の中でも「振付(ルーティン)」「振り付け(バリエーション・ルーティン)」のように、一般的に使われる言葉が本文に、そしてダンスの専門用語がルビとして併記されています。少年少女マンガは、対象読者が小学生を含むので、基本的に全ての漢字にルビがつく「総ルビ」になっています。しかし、「振付(ルーティン)」のような例は特別で「ルーティン(routine)」は「振付」の読みではありません。「ルーティン」という専門用語が、独立した言葉として「振付」にルビとして施されているのです。このような場合、どちらが実際の「発話」かという問題ではなく、両方のヴォイスが響き合っているのです。すなわち、独立した二つの視点を表す言葉が重なり、前回の連載で紹介したバフチン(Bakhtin 1984)のポリフォニー効果を生み出している例だと言えます(松田 2019:122-123頁)。そのため、ルビを使って二つの属性や役割を同一人物に当てるケースもあります。上記と同じマンガから例をあげます。

 

 

 ここで、多々良と話をしている仙石要(せんごく・かなめ)は、かつてのマリサのように海外でも実績を認められている現役のトップクラスのプロダンサーという設定です。(上と同サイトのイメージ画をご参照ください。http://ballroom-official.jp/character/

 仙石は、多々良に競技ダンスの極意を叩き込んだ師匠に当たる人物で、尊敬すべき存在ですが、同時に少年マンガにはお決まりの「ちょい悪」で「いいかげん」なヒーロー・キャラクター(たとえばルパン三世)でもあり、金水のキャラクター分類で言えば「俺」(金水 2014:64-66頁)や「やがる」などの言葉(同 189頁)を使う「男」「ヤンキー(やくざ)」「武者」的な役割を果たします。仙石のヴィジュアルは金髪、長身、鍛え抜かれた肉体で、強面な表情も少々やくざっぽいと言えます。

 もう一つのキャラクターはプロのダンサー、ダンスの師匠という役割です。上の会話では、多々良が組むダンスパートナーがいなくて困っているという状況で、仙石が多々良にアドバイスをしているのですが、ダンスのパートナーを見つけることと、自分の彼女を見つけることを比喩的に結びつけて「モテるぞ!」と言っています。ところが、仙石と対照的に真面目すぎるほど真面目な多々良は、最初は仙石の比喩の意味がわからず、不可解な表情をします。それに気づいた仙石が「女(パートナー)が寄ってくる男(リーダー)になれってことだっ!」と説明したことで、多々良がやっと「モテる」という意味がわかって納得するという状況です。

 ここで重要なのは、「女が寄ってくる男になれ」(男性的・ヤンキー的役割語)だけでも「パートナーが寄ってくるリーダーになれ」(男性的・専門家的・師匠的役割語)だけでも、仙石の比喩の十分な説明にはなっていないということです。二つの独立した文が融合して初めて、多々良が「モテる」の意味を理解できたことの筋が立ちます。

 このように、日本語には漢字、ひらがな、カタカナ、ローマ字という4種類の文字種混用以外にもルビ構造という表現リソースがあり、ライティング・モードのコミュニケーションでキャラクター設定や世界観の構築に大きな役割を果たします。

 

 役割語としての漢字と虚構性 

 さて、最後に役割語としての漢字について少し触れておきたいと思います。たとえば、久保帯人の世界的にも人気のマンガ『BLEACH』(集英社)の27巻(53-59頁)では、

 

 

など難解な漢字を戦闘中の武者的キャラクターの発話に当てています。これらは、少年マンガの対象読者である小学生がとても読める漢字ではないのですが、少年マンガは総ルビになっているため漢字の視覚的イメージとともに「読める」わけです。

 しかし、実際に武者キャラクターが「漢字で話す」わけではなく、これらの漢字使用は「詩的機能」を狙って創作された虚構の世界のものです。マンガ評論家の夏目(1999:84頁)も、マンガ的に進化したオノマトペである「え゛」や「ん゛も゛〜」などの「音喩」をとりあげ、虚構の世界でのライティング・モードのコミュニケーションの独創性を訴えています。「音喩」は、マンガ独特のオノマトペのことですが、先の例では通常は濁点をつける必要のない有声音を表す文字に、わざわざ濁点をつけて新しい表記を創作することにより、大きな驚きや怒りを表現する効果があるのです。夏目(同 85頁)は、「そもそもマンガのオノマトペは、音声言語としての側面と、描かれた文字=絵としての側面をあわせもつ。つまり音声記号でありつつ画像記号でもある」と述べています。『BLEACH』に現れる武者キャラクターの発話に使用される漢字も、夏目が指摘するようなハイブリッド記号であると考えられます。

 このように、マンガなどでは文字を独創的に使って虚構の物語を展開していきますが、読者はそれを読むという社会実践を繰り返すことによって、虚構の世界における言葉とイメージの相関関係を構築していくのです。金水(2008) は、日本語史の研究の一環として、役割語の起源をさらに広く研究し、「現実の反映として無批判に扱ってきた」戯曲や小説などのデータを役割語の観点から再分析する必要性を説いています。そして、その実践の一例として高山(2007)の『源氏物語』少女巻に登場する博士たちの話し方の分析を引用しています。

 

 

 この一節に見られる「はなはだ非常(ひざう)」などの表現は、従来の研究において博士の話し方の位相を示すとされてきたようですが、高山は、こうした表現を虚構の物語のキャラクターや世界観を創出する役割語表現として再分析するように提案しています。たとえば『竹取物語』や『平家物語』をはじめとする伝承物語は多様な表記の写本が存在し、それらを文字の社会記号論的な立場から再分析を試みるのも、今後の役割語の研究に貢献できるのではないでしょうか。もちろん、現代のポピュラーカルチャーのテキストに関しても同じことが言えるでしょう。

 かつて国語学者の山田孝雄は、その著書『國語史 文字篇』(1937)の中で、次のように述べています。

 

今、思想を基として、それを言語があらはし、その言語を文字があらはすものと見るときは如何にも言語が主で、文字がそれの従属物であつて、文字が、言語を忠実に写しうるかの如くに考へらるゝ。しかしながら、かやうな場合でも、文字と言語とはどうしても同一になり得ない。言語は口で発し耳に訴ふるものであるが、文字は手で書き目に訴ふるものである。山田 2009:34頁)

 

 ここで山田が言う「言語」というのは「話し言葉」のことですが、書き言葉が話し言葉に基づくというような主従関係ではないという論説です。視覚的なイメージと言語としての意味が融合した文字が役割語として機能するのは、ヤコブソンが言う「詩的機能」を持った虚構の物語においてであり、大衆がその物語を「読む」という社会実践を繰り返した結果だと言えます。

 

 さて、2回にわたる連載に参加させていただきましたが、最後まで読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。もうすぐ令和元年も終わりますが、来る年が皆様にとって良い年になりますように。

 

 ご感想、ご質問等ありましたらぜひ nihongo@kenkyusha.co.jp までお寄せください!

 

(by 石橋博士)


良いお年を!

 

〈使用データ〉

久保帯人(2007)『BLEACH 27』(ジャンプコミックス)集英社。
竹内友(2013)『ボールルームへようこそ 5』(講談社コミックス月刊少年マガジン)講談社。
竹内友(2014)『ボールルームへようこそ 7』(講談社コミックス月刊少年マガジン)講談社。

 

〈参考文献〉

金水敏(2008) 「役割語と日本語史」金水敏、乾善彦、渋谷勝己(編著)『日本語史のインタフェース』岩波書店、205-236頁。
金水敏(編)(2014) 『〈役割語〉小辞典』研究社。
今野真二(2013) 『正書法のない日本語』岩波書店。
高山倫明(2007) 「訓読語と博士語」 九州大学大学院人文科学研究院(文学部)平成19年度社会連携セミナー I 「言語と文芸――和漢古典の世界」第2回2007.8.17(於福岡市文学館)。
夏目房之介(1999) 『マンガの力――成熟する戦後マンガ』晶文社。
松田結貴(2019) 『ポピュラーカルチャーの詩学――日本語の文字に秘められたマルチモダリティ』風間書房。
山田孝雄(2009) 『日本文字の歴史』(山田国語学入門選書 3)書肆心水。
吉村和真(2007) 「近代日本マンガの身体」金水敏(編著)『役割語研究の地平』くろしお出版、109-121頁。
Bakhtin, M. M. and Caryl Emerson(1984) Problems of Dostoevsky's Poetics [Theory and History of Literature, Vol. 8] Minneapolis: University of Minnesota Press.
Jakobson, Roman(1960) Closing Statement: Linguistics and Poetics. In Style in Language, edited by Thomas A. Sebeok, 350-377. The Massachusetts Institute of Technology.

 

松田 結貴(まつだ ゆき)

 大阪府に生まれる。博士(言語学 南カリフォルニア大学)。現在、米国テネシー州立メンフィス大学外国言語・文学学科准教授、日本語プログラム主任。専門は言語学・日本語学・日本語教育。
 主な業績は、「少年マンガに見る『表現としての振仮名』と日本語表記のマルチモダリティ」(『ことばと文字』10, 2018)、‘Expressing Ambivalent Identities through Popular Music: Socio-Cultural Analysis of Japanese Writing Systems’ (Southeast Review of Asian Studies, Vol. 39, 2017), 『ポピュラーカルチャーの詩学――日本語の文字に秘められたマルチモダリティ』(風間書房、2019)、翻訳:アンドリュー・バーン『参加型文化の時代におけるメディア・リテラシー――言葉・映像・文化の学習』(共訳、くろしお出版、2017)など。

 

 

 


 

 

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