先日、言語学に関する興味深い会議に出席した。テーマは、日本語での「飽和名詞」と「非飽和名詞」に関するものだった。簡単に言うと、「非飽和名詞」とは、文脈などからその所属、またはそれがどういうことに関係しているかがわからないと普通に使わない名詞のこと。「飽和名詞」は、その反対で、特定の文脈がなくても使える名詞である。
例えば、街を歩いているときに、警察に補導されている人をたまたま見かけたら
「彼はたぶん犯罪者だろう。」
と言えるが、
「彼はたぶん犯人だろう。」
とは言わない。その人がどの犯罪を起したかを知らなくても「犯罪者」と呼べるが、「犯人」は特定の事件が指示されていないときに普通は使えない言葉なのだ。そのため、「犯人」は非飽和名詞の類に、「犯罪者」は飽和名詞の類に入るそうだ。
日本語には「社員」「作者」「本場」「原因」など、非飽和名詞が多数あるそうだが、英語はどうだろう。私はまだ深く検討していないが、"Is he a brother?" などは普通言わないから、brother や sister、すなわち多くの場合に所有代名詞などを伴なう名詞は非飽和的と言えるかも知れない。
そして、会議の議論では「容疑者」が非飽和名詞の例として取り上げられたときに、私は映画『カサブランカ』(1942年)の名場面をふっと思い出した。映画の最後のシーンでは、警察署長ルノーは自分の目の前に友人のリックが人を撃ったにも関わらず、自分の部下に
「Major Strasser has been shot! Round up the usual suspects!」(シュトラッサー少佐が撃たれた!いつもの容疑者たちを逮捕しろ!)
と命ずる。suspect は特定の事件の容疑者であるので、the usual suspects、すなわち「いつもの容疑者たち」は存在しないはずだ。この表現は可笑しいから、『カサブランカ』が公開されて以来、the usual suspects というフレーズが様々な場面で使われるようになった。現在はウェブ上だけで200万以上の用例があるほどの定句だ。
私は40年近く Round up the usual suspects! という台詞が可笑しいと思ってきたが、先日まではそれが文法に基づいているジョークだとに気が付かなかった。