▲ケネディのベルリンでの演説(1963年6月26日)
英語を習った皆さんは、例えば「私は学生です。」という日本語を、"I'm a student."とパッと直して言えると思います。では、ドイツ語で同じ内容を言う場合は? 不定冠詞なしで、次のように表現します。
bin は、「~である」の意味の動詞 sein が、主語の ich に合わせて変化したかたちです。冠詞がない理由は追って説明しますが、まず、アクセントに気をつけてください。Student は外来語で、アクセントが第1音節ではなく、後ろにあります。また、すでに指摘しましたが、名詞は大文字で書き始めます。 1. 男性形と女性形もうひとつ、大事な点は、職業や出身などを表す名詞には、男性形と女性形があることです。先ほどの文は男子学生用の文でした。女子学生の場合には、次のように言います。
女性形を作る場合には、男性形に -in の語尾をつけるのが基本です(例外ももちろんありますが、いずれかの機会に…)。 ちなみに、Student / Studentin の語源はラテン語の動詞 studere で、「一生懸命取り組む」という意味です。つまり Student / Studentin とは「一生懸命取り組む男性/女性」のことです。え、日本の学生とは違う? そんなことはありませんよ。最近はずいぶんしっかりと真面目に勉強する学生が増えてきています。 さらにもうひとつ、ドイツ語の Student / Studentin という言葉で面白いのは、これが「大学生」専用の言葉であることです。英語の student は高校生なども指すことができますね。しかしドイツ語では、高校生以下には Schüler[シューラー]/ Schülerin[シューレリン]という言葉を使うのです。いわば、「教わる」のか、それとも自主的に Bildung[ビルドゥング]「教養」を身につける=「人間形成」をするのかの違いと言っていいでしょう。 さて、ドイツ語の職業名や各国の人の呼び方は、次のように対にして覚えていくといいのです。定冠詞をつけて覚えましょう。
2. ケネディ大統領のベルリンでの演説冒頭でご紹介した文は、アメリカ合衆国大統領だったジョン・F・ケネディが、1963年6月26日に当時の西ドイツで演説した際に使ったドイツ語です(演説中2回言っています)。この年は、1948年のソ連によるベルリン封鎖と、アメリカを中心とした西側陣営によるベルリン大空輸(ドイツ語では die Luftbrücke[ルフト・ブリュケ]「空の架け橋」)から15周年の記念の年でした。 終戦直後の1948年、東西の対立は先鋭化し、ソ連はベルリン(厳密には、米英仏に統治されていて、東側陣営のなかの飛び地となっていた西ベルリン)への陸路を遮断しました。これがベルリン封鎖です。ただ、空路だけは開かれていたため、アメリカが中心となって西ベルリンに大量の物資を運び続けた結果、ソ連も翌年5月には封鎖を解除せざるを得なくなったのでした。 この空輸作戦の意義と、何よりもベルリン市民の忍耐と勇気を「自由」という言葉に集約して、ケネディは演説の最後に次のように語ります。「自由な人間は皆、どこで暮らしていようとも、ベルリン市民なのです。それゆえ、自由な人間として私はこう言えることを誇らしく思います。私はベルリン市民なのだ、と。」 この最後の「私はベルリン市民なのだ」を、ケネディはドイツ語で言っています。それが冒頭の文です。 ▲ケネディのベルリンでの演説(„Ich bin ein Berliner”は6:56~)
「あれっ」と思われたのではないでしょうか。本課の最初で述べた、職業や出身を「である」などの述語として言う場合には冠詞をつけないという原則に、この文は反しているからです。実際、英語圏では「これじゃあ、『私は(ベルリン名物の)ジャムドーナツです』と言ったようなものだ」という意見がある(あった)のだそうです。 たしかに、der Berliner には「ベルリン市民」という意味の他に、 der Pfannkuchen[プファン・クーヘン]とも呼ばれる「ジャムを入れた丸いドーナツ風のお菓子」という意味もあるのです。Pfann- は die Pfanne「フライパン」を指し、der Kuchenは「ケーキ」という意味です。 ▲ Pfannkuchen *1
しかし、ここは不定冠詞があっていい場合なのです。というのも、不定冠詞にはその属性を強調する比喩的な使い方があるのです。例えば、ある俳優がチャプリンのような印象を与えるとき、次のように言うことができます。
ケネディは、自分をベルリン市民のように自由のための戦いに負けない人間として語ろうとしたわけです。その意味で、不定冠詞のない、出身を表すだけの „Ich bin Berliner.” では、本当に伝えたいことが伝わりきらないのです。 3. 自分の名前に定冠詞?? 地方差の大きいドイツ語さて、「僕はトーマスだよ」という場合には,普通は
と言います。ところが、ドイツ語圏全域というわけではないのですが、主に南部(例えばバイエルン州やオーストリアなど)では、自分の名前を言うときに定冠詞をつけて言うことがあります。
定冠詞は、das Buch「その(自分たちの間で話題になっている)本」などのように、特定の「定まった」対象を指すときに使うのが基本です。ところがここではそうした意味合いはなく、習慣的に定冠詞をつけてしまうようです。これは、同じドイツ語圏でも北ドイツの人などにはとても不思議な表現だそうです。 ドイツ語は地方差が大きな言語です。先ほど紹介したお菓子の Pfannkuchen, 実はドイツ東部での言い方です。ドイツ西部では Berliner[ベァリーナー]という言い方がされますし、ドイツ南部からオーストリアでは Krapfen[クラプフェン]と呼ばれます。他にも Kräppel[クレペル]とか Faschingskrapfen[ファシングス・クラプフェン]という言い方もあるようです。次の「日常ドイツ語地図」から、さまざまな言い方の分布を見ることができます。 私はドイツ南部のバイエルン州の州都ミュンヘンに留学していましたので、Krapfen という言い方に馴染んでいました。Pfannkuchen というのは、ミュンヘンでは「パンケーキ」のことを指します。おまけに、この「パンケーキ」を表す言葉も地方ごとに違っていて、例えばオーストリアだと Palatschinken[パラチンケン]と言ったりと、混乱してしまいます。 4. ドイツ語は複合名詞が多い先ほど、Pfannkuchen という名詞が出てきましたが、そのときに、これが die Pfanne「フライパン」と der Kuchen「ケーキ、菓子」のくっついた名詞であることを説明しました。ドイツ語はこうした複合名詞の造語力が高い言語です。皆さんも聞いたことがあるような複合名詞としては、例えば…
などがあるでしょうか。なお、強アクセントはそれぞれ2箇所を示していますが、実際には最初の強アクセントが格段に強く発音されます。 また複合名詞では、最後の名詞の性が複合名詞の性となります。ですから、Pfannkuchen の場合には Kuchen が男性名詞なので、全体が男性名詞となるのです。 さて、ドイツ語は造語力の高い原語だと述べましたが、それでは、どれくらい長い単語があるのでしょうか。ドイツのネット質問コーナーの回答のなかで紹介されいていた単語には、
というものがありました。ハイフンは区分するために私が入れたもので、本当はハイフンはありません。ところどころにつなぎのための s があり、斜字体にしておきました。この単語、アルファベートでなんと87文字あります。逐語的に訳すと、「ドナウ川・蒸気・船・航行・会社・(外)輪・蒸気船・船長・船室・ドア・安全・キー・ケース」で、少し日本語らしくすると、「ドナウ蒸気船会社の外輪蒸気船の船長の船室ドアの安全錠ケース」とでもなるでしょうか。 でも、これはいわば架空の名詞で、実際には使われてはいません。では実際に使われた単語で一番長いのは? ドイツ語辞書のスタンダードといえる Duden の出版元が最近調査したところによると、日常的なテクストで4回以上の使用が確認されたのは、次の67文字の単語です。
おおよその意味は「土地取引承認責任移譲条例」です(これもハイフンとsの斜字体は矢羽々による)。法律の専門家ではないので、これがいったい何なのかは聞かないでください…。
▶ 「である」などの述語で職業や出身を言う場合には、冠詞は不要です。 ▶ 複合名詞の性は、最後の名詞の性で決まります。
*1 By User Rainer Zenz on de.wikipedia (Own work (Original text: Eigene Aufnahme.)) [GFDL or CC-BY-SA-3.0], via Wikimedia Commons
矢羽々 崇(やはば・たかし) ■ 執筆者プロフィール 1962年岩手県盛岡市生まれ。ミュンヘン大学マギスター(修士)、上智大学博士(文学)取得。獨協大学外国語学部ドイツ語学科教授。専門は近現代ドイツ文学(主に叙情詩)。著書は、『「歓喜に寄せて」の物語――シラーの詩とベートーヴェンの「第九」』(2007年)ほか多数。2000~2002年度および2007年度に「ラジオドイツ語講座」講師、2008~2010年度「テレビでドイツ語」講師を担当。
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