みなさん、こんにちは。前回にひき続き、今回の「トークライブ!」でも、話し手のことを「西洋」出身者であると伝える〈役割語〉(〈西洋人語〉)を取り上げます。 前回は、次の3点についてお話ししました。
そこで今回は、〈西洋人語〉「おお+相手の名前」の成立過程について、シェイクスピア劇『ロミオとジュリエット』の翻訳の変遷をもとにお話ししていきます。 前回の最後に、「おお+相手の名前」を日本人のセリフに当てはめて作った次の例を挙げました。ここで使われている「おお+相手の名前」「ああ+相手の名前」について、みなさんはどのようにお感じになったでしょうか。
もちろん個人差がありますので一概には言えませんが、日本語として読んだり聞いたりするとすれば、A よりも B、つまり、「ああ」を使った言い回しのほうが幾分しっくりくると思った方が多いのではないでしょうか(ちなみに私の感覚ですと、据わりがよいように思えるのは蓮 Bかなあというところです)。この、日本語としてすんなり味わえるかどうかというところが、今回のお話の鍵になります。
相手に自分の気持ちを投げかける「おお+相手の名前」の言い回しが日本で使われた例は、古くは明治時代に出版された翻訳劇まで遡ることができます。当時、文明開化によって西洋の文物や技術などが数多く日本にもたらされました。シェイクスピア劇をはじめとする西洋の戯曲も、西洋の文化を知ったり広めたりする役割を担って盛んに翻訳されたそうです。 中でも『ロミオとジュリエット』の翻訳に出てくる「おお、ロミオ」は、話し手の感情を表出させる「おお+相手の名前」の代表格です。前回も少し触れましたが、この「おお、ロミオ」のセリフは、原典の「O Romeo」をそのまま日本語の音に写すかたちで翻訳が行われています。言い換えると、感動詞に相手の名前が続く組み合わせを変えず、同時に、感動詞「O」には日本語の中で音が近い「おお」を充てる方法を使用しています。
一方、翻訳者によっては「O」を「ああ」と訳しているものもあります。 そこで明治時代からこれまで、『ロミオとジュリエット』の原典 The Most Excellent and Lamentable Tragedy of Romeo and Juliet に出てくる「O+相手の名前」がどのように訳されてきたのかを調べました。すると、「O」の部分を「おお」と訳すか「ああ」と訳すかの違いには、大きく分けて3つの時代的な傾向が見られることがわかりました。すなわち、「おお」と写す第1期、「おお」を中心に「ああ」などの他の感動詞も織り交ぜる第2期、主に「ああ」を用いる第3期です。
原典には「O+相手の名前」が10箇所出てきます。それぞれがどのような日本語に翻訳されているかについてまとめたものが次の表です。調査には、戯曲として翻訳された主なものを13点使用しました。なお便宜上、表には原典として用いたテキストに載っている幕・場の表示を挙げています。また、セリフは話者ごとに並べました。「●」は感動詞の部分が見られないことを、また、空欄は該当箇所が前の文に組み込まれる形で省略されていることを示します。アは、バルコニーの場面でジュリエットが言う「おお、ロミオ」です。
《第1期》 まず、表の明治後半から戦前に当たる、戸澤訳、坪内訳、横山訳の3点を見てみましょう。どれも、ケの修道僧ロレンスのセリフに「あゝ(ああ)」が見られるほかは、主に「おお+相手の名前」で訳されています。つまり、この3点の翻訳では原典の「組み合わせ」と「音」が保たれています。
このころはまだ翻訳劇の黎明期でした。そのため、西洋文化を日本に紹介する手段の一つとして、原典からうかがえる西洋の特徴をできるだけ訳文に反映させようとしたと思われます。「おお+相手の名前」というかたちで訳すことも、西洋らしさや本場の作品らしさを伝える役割を担ったのでしょう。原典の特徴を日本語訳に写したこの時期を第1期とします。 なお修道僧ロレンスのセリフが、原典の特徴を写した「おお」ではなく、「ああ」に置き換えられているのは、当時「僧」が他の登場人物と比べてどのようなイメージで捉えられたかにもよるのですが、「おお」と翻訳すると日本語として意味がわかりづらい、しっくりこないといったことが反映されたものだと考えられます。これは、「おお+相手の名前」と翻訳した場合の特殊性を感じ取っていたということを意味します。
《第2期》 次に、戦後から昭和後期までの竹友訳から平井訳までの7点を見ましょう。この時期は、ジュリエットのセリフに竹友訳と中野訳で「ああ」が使用されているのをはじめとして、「O」の翻訳に「おお」だけでなく、他のいくつかの感動詞も用いられているのが特徴的です。中でも竹友訳では、「ああ」が9例ある上、残りの修道僧ロレンスのセリフでも「可哀そうに」が用いられており、意図的に「おお」以外のことばに置き換えられていると言ってもよいでしょう。つまり、第1期とは異なり、原典の特徴からやや離れた翻訳がなされています。これは当時、翻訳劇の役割が、西洋を紹介する手段の一つから文学作品として味わうものへと移行していたことを意味すると考えられます。
一方、戦後のこの時期は、日本の人々の関心が外国人や外国の文化に向けられた時代でもありました。たとえば、このころに公開された特撮映画では回を重ねるたびに外国人キャストの数が増えています(依田2011)。また、テレビ番組などに外国人キャストが登用されることを日本の発展だと捉えて報じる記事(朝日新聞1958年11月2日付など)も見られます。1954年にはレナート・カステラーニ監督による映画『ロミオとジュリエット』が、1968年には若いオリビア・ハッセーが以後日本で大人気となる、フランコ・ゼフィレッリ監督による映画『ロミオとジュリエット』が、それぞれ公開されたことも拍車をかけたことでしょう。1965年には福田恆存氏が、イギリスで演出を担当していたマイケル・ベントール氏を迎えて外国人の演出による『ロミオとジュリエット』を上演しました(佐野 2006)。このことも、大きなインパクトを持って人々に受容されたと思われます。 1954年の中野訳以降では「おお」の使用率が高くなり、原典の特徴を写した第1期と同様の翻訳になっているかのようです。しかしよく見ると、感動詞の部分をなくしたり、感動詞と名前の「組み合わせ」の順序を変えたりしている箇所もあります。すなわち、原典の特徴を保っている箇所と原典からやや離れた箇所がともに用いられています。このことは、原典の特徴を知る・伝えるということと日本語で作品を味わうということとのバランスが試行錯誤された結果だと考えられます。 このように、戦後すぐから昭和の後半では、「O+相手の名前」を翻訳する際に、「おお」だけでなくより日本語としてしっくりくる「ああ」なども織り交ぜたり、「組み合わせ」の並びを変えたりするということが行われました。この時期を第2期とします。
《第3期》 最後に、平成になって出版された松岡訳、河合訳、大場訳の3点を見てみましょう。ここではいずれも、原典の「O」の翻訳として「ああ」が主に用いられています。また、いずれも修道僧ロレンスのセリフでは「おお」が使用されており、「ああ」と「おお」の使い方が第1期と逆になっています。日本語として「おお」よりもすんなり味わえる「ああ」が多用され、一部の話者に限って「おお」が使われています。
この使い分けには、感動詞「おお」自体は現代の日本語では男性性や古めかしさ、威厳を表す〈役割語〉である(『〈役割語〉小辞典』p. 36)ということが反映されているのかもしれません。威厳のある男性ロレンスには「おお」がふさわしいけれども、14歳の少女ジュリエットには「おお」は当てはまらないという使い分けです。
松岡和子氏はその著書『深読みシェイクスピア』の中で、男言葉と女言葉を翻訳する上での問題点にふれ、自身がシェイクスピア劇を翻訳する際には「ひたすら日本語としてのアップデートを心がけようと」(p. 152)したと述べています。現代の日本語としてしっくりくることばで翻訳していることがうかがえます。
このように平成の翻訳では、原典の「O」に、より日本語としてすんなり読める「ああ」が多用され、〈役割語〉に即した「おお」との使い分けも含めて、日本語としての味わいやすさが志向されていると言えます。これが第3期です。 第1期から第3期まで、各時代の翻訳状況を見てきました。もしみなさんが翻訳家だとしたら、上の表のアからコまで、どのような日本語に翻訳しますか。
以上をまとめると、「O Romeo, Romeo,」に代表される「O+相手の名前」の翻訳では、「おお+相手の名前」と訳した場合に特殊性のあることが長らく意識され、「O」をどのように訳すかが3段階で試みられてきたと言えます。翻訳劇を味わう側にとっても、「おお+相手の名前」というセリフから受ける衝撃は大きなものだったでしょう。 平成の現代でも、学習まんがや下記の児童向けの本など、バルコニーでのジュリエットのセリフに「おお」が使われているものもあります。作品の紹介として『ロミオとジュリエット』らしさを伝えるには、きっと「おお+相手の名前」の特殊性が鍵になるのでしょう。
この「おお+相手の名前」の持つインパクトこそが、話し手と西洋人らしさ(日本人にはない特殊性)とを結びつけて受け取られ、受け取った人が使用することでさらに広まり、〈西洋人語〉として共有されるに至った、その理由だと考えられます。 ちなみに、上の表のアのジュリエットのセリフについて、どの翻訳でもロミオの名前が原典どおりに2回くり返されていることにお気づきの方も多いかと思います。今回のお話の趣旨からは逸れますが、1985年に出版された『ハイコミック名作 2 ロミオとジュリエット』の巻末にある、女優・武藤まみ子さん(当時11歳)のコメントに、次のような箇所があります。
ロミオの名前をくり返さず、五七五の歌のような流れで進む名文句は、遅くとも1980年代半ばには日本で共有されていたのではないでしょうか。 (2018年9月26日, 10月2日本文一部修正)
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〈使用テキスト〉
Shakespeare, William (1595) Romeo and Juliet (引用はGreenblatt, Stephen (ed.) (1997) The Norton Shakespeare, Based on the Oxford edition, W. W. Norton, New York. に依る).
大場建治編注訳(2007)『ロミオとジュリエット』研究社シェイクスピア選集5.東京:研究社.
大山敏子訳(1966)『ロミオとジュリエット』旺文社文庫.東京:旺文社.
ウィリアム・シェイクスピア著、小田島雄志訳(1973)『ロミオとジュリエット』(『シェイクスピア全集 I』)東京:白水社.
河合祥一郎訳(2005)『新訳ロミオとジュリエット』.東京:KADOKAWA.
学習研究社書籍編集部(編)(1965)『世界青春文学名作選27』.東京:学習研究社.(小田島雄志訳「ロミオとジュリエット」)
岸田恋作画・恋塚稔構成(1985)『ロミオとジュリエット』ハイコミック名作2.東京:学習研究社.
竹友藻風訳(1949)『ロウミオとジユーリエット』シェイクスピア選集 5.東京:大阪文庫.
坪内逍遥訳(1910)『ロミオとジュリエット』.東京:早稲田大学出版部(『シェイクスピア翻訳文学全集 39』(2000).東京:大空社).
戸澤姑射訳(1905)『ロメオ、エンド、ヂュリエット』.東京:大日本図書(『シェイクスピア翻訳文学全集 21』(1999).東京:大空社).
中野好夫・三神勲訳(1951)『ハムレット ロミオとジュリエット ヴェニスの商人 ジュリアス・シーザー』世界文學全集 古典篇 第10巻 シェイクスピア篇.東京:河出書房.
平井正穂・小津次郎・中野好夫・永川玲二・木下順二訳(1973)『ロミオとジューリエット ハムレット オセロ― 他』(『愛蔵版 世界文学全集 4』)東京:集英社.
福田恆存訳(1964)『ロミオとジュリエット』シェイクスピア全集 3.東京:新潮社.
松岡和子訳(1996)『ロミオとジュリエット』シェイクスピア全集 2.東京:筑摩書房.
松岡和子(2011)『深読みシェイクスピア』.東京:新潮社(引用は新潮文庫(2016)に依る).
三神勲訳(1954)『ロミオとジュリエット』河出文庫.東京:河出書房(引用は国立国会図書館デジタルコレクションに依る).
横山有策訳(1929)『沙翁傑作集』世界文学全集3.東京:新潮社.
りんりん舎編・臼井儀人著(2015)『クレヨンしんちゃんのまんが世界の名作文学 24』.東京:双葉社.
〈参考文献〉
朝日新聞1958年11月2日東京夕刊4頁ラジオテレビ欄「目立った外人の出演 ことしの芸術祭参加ドラマ」
金水敏(編)(2014)『〈役割語〉小辞典』.東京:研究社.
佐野昭子(2006)「日本における『ロミオとジュリエット』」『帝京大学文学部紀要 米英言語文化』37、pp. 37-50.
依田恵美(2007)「〈西洋人語〉「おお、ロミオ!」の文型―その確立と普及―」金水敏(編)『役割語研究の地平』くろしお出版、pp. 159-178.
依田恵美(2011)「役割語としての片言日本語―西洋人キャラクタを中心に―」金水敏(編)『役割語研究の展開』.東京:くろしお出版、pp. 213-248.
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