カルペ・ディエム
ラテン語を学習したことが無い方でも、このラテン語を聞いたことがある人は多いのではないでしょうか。一番有名な例としては、『いまを生きる』(Dead Poets Society, 1989-90)という映画で言及されたものだと思います(映画の邦題『いまを生きる』は、まさに carpe diem の日本語訳です)。他に挙げると、例えば東京ディズニーランドのトゥーンタウンのギャグファクトリー/ファイブ・アンド・ダイムというお店の出口付近に CARPE GAGEM と書かれているのですがそれは carpe diem をもじったものなのです。その他にも、メタリカというバンドは Carpe Diem Baby(1997)という曲を出しています。英語圏のみならず、最近だとアニメ『すばらしきこのせかい The Animation』(2021)のエンディングテーマにもなっており、日本でもこのラテン語が知られていることが分かります。他にも、ブラジリアン柔術の教室の名前としても取り入れられています。
日を摘め
まずは文法の説明です。 carpe は carpo 「摘む」という第三活用動詞の命令法現在二人称単数で、「摘め」という意味です。diem は dies 「日」という第五変化名詞の単数対格で、「日を」です。「日を摘め」だとさすがに分かりづらいので、出典の詩全体をここに載せます。書いた作家はホラーティウスという、古代ローマの詩人です。生きた時代は紀元前一世紀、活躍したのはアウグストゥス帝と大体同時期です。 carpe diem というフレーズがあるのは『カルミナ』という作品の第1巻の第11歌です。この詩はそんなに長くないので、全体を一気に見ていきましょう。 お前は、レウコノエーよ、神々がどんな終わりを私に、そしてお前に与えるのかと詮索するな(それを知ることは罪である)。そしてバビロンの数を試みようともするな。なんであれ、それが生じたら、耐えて受け入れる。それがどんなに優れていることか! ユッピテル神がより多くの冬(年)を与えたとしても、あるいは現在、立ちはだかる岩でティレニア海を弱らせているこの冬を最後のものとして与えたとしても、お前は賢くあれ(私の忠告に従え)、ワインを漉せ、そして長き希望を短い期間に収まるように刈り上げよ。我々が話している間にも、意地の悪い時は逃げてしまう。次の日をできるだけ当てにせず、今日の日を摘め。
Tu ne quaesieris, scire nefas, quem mihi, quem tibi この詩に出てくる「レウコノエー」とはギリシャ的な女性名です。「バビロンの数(Babylonios numeros)」は占星術のことです。「バビロンの数を試みる」とはつまり、天体観測のデータを用いて未来予想をすることです。占星術はバビロンで始まりエジプトやギリシャにも広まり、そこからローマにも入ってきたのでこのような言い方がなされたのです。また「ティレニア海」はイタリア半島の西側に広がる海のことです。「ワインを漉せ」と言っているのは、当時はワインに不純物が混ざっていることがあり、漉し器を使ってそれを取り除く必要があったからです。ただ、その場合は漉し器を使わずとも、ただワインを置いといて不純物が沈殿するのを待つことだってできます。つまり、素早く幸せにありつける手立てがあるのであれば、待つのではなく幸せを素早くつかめという暗示が感じられます。加えて本文中で「意地の悪い時」と言われているのは、時は速く過ぎて、人間が長い時間楽しみを味わうことを許してくれないからです。
今日を楽しめ
carpe diem 「日を摘め」というフレーズが有名になったのは、carpe 「摘め」という動詞と diem 「日を」という名詞の組み合わせが一般的でないからで、そこで読む人に深いインパクトを与えるからです。ここでは「日」が摘まれるべき実として表現されています。ちなみにただの「日」ではなく、postero 「次の(日)」と対比される形で carpe diem の diem は「摘み取りが行われるその日」を指していると考えられます。carpe diem が「今日を楽しめ」「今を生きよ」と訳される理由も、これで納得ではないでしょうか。 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
〈参照文献〉
逸身喜一郎『ラテン文学を読む――ウェルギリウスとホラーティウス』(岩波書店、2011)。
逸身喜一郎『ギリシャ・ラテン文学――韻文の系譜をたどる15章』(研究社、2018)。
Hulton, A. O. (1958). “Horace, Odes i. II. 6-7.” The Classical Review New Series 8(2), 106-107.
Mayer, R. (2012). Horace: Odes Book I. Cambridge University Press.
Nisbet, R. G. M., & M. Hubbard (1970). A Commentary on Horace: Odes Book 1. Oxford University Press.
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