みなさまこんにちは。連載も二回目になりました。もし初回の連載を読んでいらっしゃらなかったら、そこに連載のねらいも書いてありますのでご覧いただければ幸いです。
健全なる精神は健全なる身体に宿る?
前回の記事では、ユウェナーリスによる「誰が見張り番を見張るのか?」という文の背景を取り上げました。ユウェナーリスは風刺詩集の中で数々、後世に残るフレーズを生み出しています。今回扱う引用句も、またユウェナーリスから取り上げました。それは「健全な体に健全な精神」です。よく「健全なる精神は健全なる身体に宿る」という形で使われています。この文章に関しては、様々な解釈が見られます。例えば Oggi.jp というウェブメディアの記事(https://oggi.jp/6929341)では、このフレーズは「健やかな身体に、健やかな魂が宿るように祈ればいい」という趣旨で、つまりユウェナーリスは「健やかな身体に健やかな魂が宿るのは現実に起こっていない」と憂いていたと筆者は述べています。また、スポーツライターの玉木正之氏によるコラム(http://www.tamakimasayuki.com/nongenre/bn_209.html)においては、ユウェナーリスのこの言葉は「健全な肉体には健全な精神も宿るべきである」という意味で、肉体美を偏重する世の中を痛烈に批判したものだったと解釈されています。加えて評論家の渡部昇一氏は、著書において、ユウェナーリスが「健全な精神が健全な肉体にあるように祈るべきである」と書いたのは、健全な肉体に(罪を犯してしまうような)不健全な精神や病める精神が宿ることがあっては困るからだと書いています(『ローマ人の知恵』70頁)。
神々に願うべきこと
このように、この引用句には様々な解釈がありますが、ユウェナーリスが書いた詩全体の文脈は何だったのでしょう? それを説明する前に、まずはこの文を文法的に詳しく見てみましょう。実際の形は Orandum est ut sit mens sana in corpore sano です。個々の語の解説は以下になります(かっこの中は辞書の見出しで載っている語形)。
orandum 「願われるべき」は oro 「願う」という動詞から作られる動形容詞です。orandum est で「願われるべきである」になります。何を願うのか、その内容は ut で導かれた部分、つまり sit mens sana in corpore sano です。sit は「あってほしい」という意味で、願われる内容での主語は mens sana 「健全な精神」です。sana という形容詞が名詞 mens を修飾しています(mens と sana は同じ性、数、格になっています)。同じくcorpore sano も一つのまとまりになります。前置詞もつけて in corpore sano で「健全な体に」となります。したがって Orandum est ut sit mens sana in corpore sano を文字通りに訳せば、「『健全な精神が健全な体にあれ』と願われるべきである」となります。では次に、詩全体においての文脈を見ていきましょう。さすがに全文の訳はそのまま書けませんが、この引用句の出典となった『風刺詩集』第10巻本文の構造を解説します。
ユウェナーリスの真意
10巻の最初の部分は例示が続いて趣旨があまりはっきりしないように思えますが、著者は「神様にお願いをして、たとえ叶っても結果的にいいことにはならない」ということを述べています。例えば8行目の「家に住むその人の願いを神々は親切にも叶えてやり、(結果的に)一家全員を破滅させた(evertere domos totas optantibus ipsis di faciles)」などが分かりやすいです。 続いて、無駄であるお願いの種類が豊富な例とともに一つずつ挙げられていきます。神々に祈って強大な権力を手にしても待っているのは悲惨な最期。雄弁の才能を得ても殺され、あるいは自殺に追い込まれてしまいます。あるいは戦で多大な戦果を挙げた人も後には不幸な出来事に遭い、長生きをしても自身の体はどんどん魅力が薄れ、おまけに親しい人を何人も見送るという悲惨な結果になり、美しく生まれても、重大な危害が襲い掛かってくるものだと説かれています。 そのあとは結論部分です。大層なことをお祈りするのを控えるよう忠告する著者は「もしアドバイスをご所望であれば、何が我々に相応しく何が状況に役に立つかは神々が判断するに任せよ(si consilium vis, permittes ipsis expendere numinibus quid conveniat nobis rebusque sit utile nostris)」と説きます。そして、それでもお願い事をしたいのであれば、「『健全な精神が健全な肉体にあれ』と願うべきである」と言うのです。 つまり「健全な精神が健全な肉体にあれ」は控えめなお願いの例として書かれており、ユウェナーリスは世の中の風潮や現実を嘆いたり批判したりしていたわけではなく、彼は単に「大層なことを神々にお願いしてはいけない。それでも何かお願いするのであれば、『心も体も健康でありたい』くらいのことを祈るべきだ」と述べているのです。 このように有名な引用句は、実際の詩を読んで前後の文脈を参考にすれば著者の意図がよりはっきり見えてきます。ぜひ、気になる引用句がありましたら和訳本でもいいので出典の箇所の前後を読んでみてください。意外な文脈だったりするかもしれません。また、もしユウェナーリスが書く詩に興味がありましたら、以下の参考文献に挙げられた和訳本を読んでみてください。今回はここで終わりです。この記事を読んでいただき、ありがとうございました。
〈参照文献〉
ペルシウス、ユウェナーリス『ローマ諷刺詩集』国原吉之助訳(岩波文庫、2012)。
渡部昇一『ローマ人の知恵』(集英社インターナショナル、2003)。
玉木正之「現在の「スポーツ・ブーム」「マッチョ・ブーム」は危険ではないか?」『カメラータ・ディ・タマキ』2019-12-04. http://www.tamakimasayuki.com/nongenre/bn_209.html(2023-06-14 閲覧)
「「健全なる精神は健全なる身体に宿る」は本来の意味とは違う使われ方をしていた! その違いと現在での使われ方をご紹介」『Oggi.jp』2023-02-23. https://oggi.jp/6929341(2023-06-14 閲覧)
Braund, S. M. (2004). Juvenal and Persius. Harvard University Press.
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