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名句の源泉を訪ねて(ラテン語さん)


第7回
Omnia vincit Amor
オムニア ウィンキト アモル
愛は万物を征する

愛は万物を征する

 なんと素敵な響きでしょう。今回は、Omnia vincit Amor愛は万物を征する」を取り上げます。

 こちらのフレーズは英語圏で現在でも知られている句で、例えば東京ディズニーシーのメディテレーニアンハーバーのヴィラ・ドナルド・ホームショップに飾ってある絵にも語順違いで Amor Vincit Omnia と書かれています(語順は違っても意味は同じです)。この絵ではドナルドダックとデイジーダックが仲睦まじく微笑みあっています。また実は、チョーサーの『カンタベリー物語』のいわゆる General Prologue という序章において、尼僧院長が身につけていると書かれた金のブローチに Amor Vincit Omnia という文字があると書かれているのです。英語圏では Amor Vincit Omnia の語順が一般的で、東京ディズニーシーでもこちらの語順で使われているようです。

 さらに、17世紀に描かれたカラヴァッジョ(1571-1610)の絵 Amor Vincit Omnia も有名です。こちらは、日本では『愛の勝利』というタイトルで知られています。黒っぽい羽を携えたクピードー(キューピッド)が矢を持ちニヤニヤ笑うその姿を、一度は見たことがあるはずです。

カラヴァッジョ『愛の勝利』(1602年頃)
カラヴァッジョ『愛の勝利』(1602年頃)
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Amor_Vincit_Omnia-Caravaggio_(c.1602)FXD.jpg

 他には、Omnia Vincit Amor という形で、京都の四条通にある生活雑貨のお店イノブンの外壁にも書かれています。京都に住んでいる方は、どの建物を言っているのかおそらくピンとくるのではないでしょうか。このように、広く使われているラテン語であることが分かると思います。Omnia Vincit Amor の形でも Amor Vincit Omnia という語順でも、タトゥーとして彫られている場合も少なからずあります。

ウェルギリウス『牧歌』

 では出典は何でしょうか? それは、ウェルギリウス(70-19 B.C.)の『牧歌』という詩の第10歌です。この詩人は『アエネーイス』という作品が有名ですが、こちらの『牧歌』の他にも『農耕詩』という作品も書いています(ちなみに『農耕詩』には、「悪なる労働は万物を征した(labor omnia vicit improbus)」という文もあります)。さらに、後のヨーロッパ文学に対する『牧歌』の影響力があまりにも大きいので、『ヨーロッパ文学とラテン中世』を書いたドイツの文学研究者 E. R. クルツィウス(1886-1956)は「ローマ帝政時代の1世紀からゲーテの時代にいたるまで、すべてのラテン的教養は『牧歌』の第一歌を読むことで始まった。このささやかな詩をそらんじていない者には、ヨーロッパの文学的伝統への一つの鍵が欠けている、といっても過言ではない」とまで書いています(『ヨーロッパ文学とラテン中世』275頁)。

 文脈を解説する前に、各単語を解説しましょう。

文中の単語辞書の見出し語品詞見出し語の意味性、活用・曲用
omniaomnis形容詞「全ての」中性複数対格
vincitvinco動詞「打ち負かす」直説法能動態現在三人称単数
Amoramor名詞「愛、恋愛の神」男性単数主格

 omnia は形容詞ですが、ここでは名詞化されて「万物」という意味になっています。英語の omnipotent 「全能の」の omni- の部分の語源になっています。vincit は invincible 「無敵の」の語源に、amor は amateur 「アマチュア」や amorous 「好色な、恋している」の語源になっています。amor はここでは神格化され、「恋愛の神(=クピードー、キューピッド)」を指しています。

あの神の心を変えることはできない

 さて、この言葉がある行全体を見てみましょう。

Omnia vincit Amor, et nos cedamus amori.

愛(の神)は全てを征する。我らも愛(の神)に身を任せようではないか

 愛の神がどれだけ強力(と発言者は感じている)か、が分かります。話の主人公は、ガッルスという詩人です。彼はリュコリスという女性との恋が成就せず、ひどく落胆しています。そのガッルスがずっと嘆いているのです。Omnia vincit Amor の前は、このような文になっています。

iam neque Hamadryades rursus neque carmina nobis
ipsa placent; ipsae rursus concedite silvae.
non illum nostri possunt mutare labores,
nec si frigoribus mediis Hebrumque bibamus
Sithoniasque nives hiemis subeamus aquosae,
nec si, cum moriens alta liber aret in ulmo,
Aethiopum versemus ovis sub sidere Cancri.

木の精たちや詩が再び私を楽しませるということは、もうないだろう。森もまたおさらばだ! 私の労力ではあの神の心を変えることはできない。たとえ極寒の時期にヘブロス川の水を飲み、トラキアのみぞれに耐え忍ぼうとも、高きニレの木の樹皮が活気を失いつつしおれる時期に、私が蟹座の星の下でアエティオピア人の羊を追っても、もう無理なのだ

 どう感じましたか? つまりガッルスは、一言で言えば、あきらめているのです。「愛の神は全てを征服する」というフレーズは大抵の場合「恋する人たちは何でも乗り越えられる」と解釈されているのですが、一方出典の文学作品においては失恋して気持ちがひどく落ち込んでしまった青年のあきらめなのです。このように、出典を調べるとこのフレーズの違った側面が見えてきます。

 

〈参照文献〉

Fairclough, Rushton. (1999). VIRGIL, Eclogues. Georgics. Aeneid, Books 1-6. Harvard University Press
E. R. クルツィウス『ヨーロッパ文学とラテン中世【新装版】』南大路振一 他訳(みすず書房、2022)。

 

ラテン語さん

東京古典学舎研究員。高校2年生からラテン語の学習を始め、2016年から Twitter(現 X)でラテン語の魅力を日々発信している(アカウント名: @latina_sama)。企業等からのラテン語翻訳の依頼も多数。2022年にはアニメ『テルマエ・ロマエ ノヴァエ』とノートパソコン Chromebook のコラボ CM で使われるラテン語を監修した。著書に『世界はラテン語でできている』(SB クリエイティブ、2024年)がある。

 

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